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四十四、異変

「ロジュ様、お疲れでしょうから、ゆっくりお休みください。それから王太子に決定なさったこと、おめでとうございます」


 ロジュの部屋の前まで来たことに気がついたラファエルは、ロジュに向かってお辞儀をする。


「ありがとう」


 ラファエルに礼を言ったロジュは部屋に入ろうとしたが、ドアノブに手をかけたところで動きを止めた。


「ラファエル、まだ時間があるなら、俺の部屋によっていかないか?」


 急なロジュの誘いに、ラファエルは驚いて首を傾ける。今までロジュの仕事部屋には入ったことや、朝にロジュへ声をかけるためにロジュの私室に入ったことはあるが、ロジュに引き留められて私室へ誘われたことはない。


「よろしいのですか?」

「ああ。少し話がある」


 ラファエルにそう伝えたロジュの表情は明るいものではない。どこか憂いの表情にラファエルの疑問は深まるばかりだ。またロジュの「色仕掛けの真似事」かと若干疑ったが、今度は真剣であることがわかったラファエルは頷く。


「時間でしたら大丈夫です。ロジュ様よりも優先事項などあるはずがありません」


 ラファエルは自分の思ったことをそのまま口に出した後に、失敗した、と感じた。あまりストレートに思った事ばかり言っていると、ロジュを困らせてしまう。しかし、ラファエルの予想とは打って変わって、ロジュはあまり気にとめてなさそうだ。逆に言えば、気にする余裕がない、ということ。ラファエルの目に映るロジュはいつも余裕そうだった。だから、ロジュの様子に不安が募る。


「失礼します」


 ラファエルは一礼をしてロジュの部屋へと入る。目に見える位置に無駄な物は置いていない。片付いている部屋をラファエルはじっくり見渡す。呼びに来るときは、そこまで見る時間はない。目に焼き付けるつもりでラファエルは薄紫色の瞳を動かす。


「あまりじろじろ見るな」


 窘めるように、少し照れるようにロジュは言うが、部屋の中に見られて困る物なんてなさそうだ。


「ロジュ様って大雑把な一面もありますが、基本的には丁寧ですよね」

「そうか?」


 ラファエルからの評価に返答をしながら、ロジュは椅子に座るよう、ラファエルを促した。ラファエルは失礼します、と言いながら座る。


「それで、どうされました? 特に人には聞かれたくないお話なんですよね?」


 ラファエルの言葉に、ロジュは躊躇を見せる。彼の美しい藍色の瞳を伏せ、悩ましげな表情をしているロジュに見とれたラファエルだったが、ロジュに見とれている間でも彼の脳は回転している。ラファエル・バイオレットという人物は優秀なのだ。


「ロジュ様がそこまで言いづらそうになさっているということは、何か他の人に知られたくはない悩み事ですか?」


 ラファエルからの問いかけにロジュはゆっくりと頷く。


「でしたら、無理に言う必要はございませんよ。ロジュ様が言いたいと思ったときでいいです」

「いや、ラファエルには知っておいてほしい」


 軽く首を振ったロジュは逡巡していたが、やがて口を開いた。


「さっき、父上とテキューと同じ部屋にいただろう? そのとき紅茶が出されたんだ。いつも通り、飲もうとした。だけど、飲めなかったんだ」


 ロジュは自分の口元を押さえる。その手は震えていて、彼の顔色は青白く見える。

 ラファエルは息をのんだ。それは、ロジュにとって、致命的な弱点となり得る。


「手が、震えて、カップを上手く持てなかった。飲むのを身体が拒否している」


 ロジュの表情は強張っている。自分でも、どうしたら良いかわからないのだろう。


 お茶会、というものがある。それは昼に行われるパーティーで、交流を深めるために使われる。そこで紅茶は必ず出される。

 ロジュは今までほとんど参加したことはない。夜に行われるパーティー、夜会だけで十分だったからだ。しかし、王太子となった今、お茶会を避けるのは難しいだろう。

 勿論、ロジュの身分だと断ることは可能だ。しかし、それはロジュが王となった時に不利に働くかもしれない。

 ただでさえ、敵か味方か曖昧な人が多すぎる。『第一王子であり、テキューと王位を争っているロジュ』の敵と『王太子のロジュ』の敵はまた異なるのだ。それを見極める作業をしていかなくてはならない。


 そこでお茶会という手札が使えないのは致命的だ。夜会よりも実施回数の交流行事がお茶会。


「ロジュ様、他者が入れたお茶が飲めないのですか? それとも自分でお入れになった物も難しいですか?」


 ラファエルからの発言で、ロジュは立ち上がって、自室の奥へと向かう。

 しばらくして戻ってきたロジュの手には茶葉とお湯をすでに入れたティーポットとカップが二つあった。


「やってみるか」


 ロジュは一度決めると行動が早い。行動力の塊と言われたコーキノ国王の血筋だろうか。

 ロジュは丁寧な手つきでお茶を入れる。その手つきに迷いがないことから、いつもは自分で入れることが多いのは明白だった。


 だからこそ、今回の事件より前には、人の入れる紅茶への警戒心が低くなってしまっていたのかもしれない。いつもは自分で入れる安全な物を飲んでいるからこその弊害。


 ロジュはジッと自分で入れたそれを眺めていたが、そっと自分の口元へと近づける。それは何の躊躇いも見せず、ロジュは受け入れることができた。紅茶の爽やかな香りが口の中いっぱいに広がり、身体の中に入り込んでいく。


「……。大丈夫そうだな」

「ご自分の入れた紅茶が大丈夫なら、まだ望みはありますね。僕が毎回毒味しましょうか?」


 ラファエルからの提案に、ロジュは首を振った。


「毎回そんなことをしていられないだろう。なにより、相手は疑われていると気を悪くするかもしれない。それに、俺はラファエルを代替可能な駒だなんて思っていないからな」


 信用。信頼。それは人と生活していく上で大事な活力となる。実際にしているかどうかは関係がない。信頼をしているように見えるか、見えないかだ。

 もし、信用していなことが相手へ伝わってしまえば、それは今後の関係に大きく響く。ラファエルが毎回毒味のようなことをしていれば、相手は気分を害するかもしれない。


 また、ロジュはラファエルのことを側近として受け入れた。その時点で、ロジュはラファエルを守らなくてはならない、と感じている。自分の身代わりにしていい、なんて思っていない。


 毒味をする人間を置いている国と置いていない国があるが、ソリス国では置いていない。ロジュが毒殺されそうになった後は置いたらどうか、という提案も出たらしいが、現時点では置かれていない。


「ロジュ様、その優しさは人間としては正しいものです。しかし、王太子となったのですから、人に守られることに慣れてくださいね」


 ラファエルの言っていることが正しい、というのはロジュも理解しているが、彼が頷くことはしなかった。ロジュは身内には甘いのだ。

 ラファエルはそれ以上その話を引っ張ることはせず、先ほどの続きへと戻す。


「ロジュ様が全てのお茶会を主催すれば解決できますけどね」


 ラファエルは思いついたから言ってみたが、それはできないことは重々承知だ。様々な貴族が、話が合いそうな人や、仲良くなりたい人、関係を作りたい人を招待して行う。自分が主催していない物に参加することは避けられない。


「一度、僕が入れてみて、ロジュ様が飲めるかどうか試してみましょうか?」

「……」


 ラファエルはそう言ったが、ロジュは迷うように黙り込んだ。仮に、ロジュがラファエルの入れたものを飲めなかったとしたら、ラファエルは傷つくだろう。ラファエルを傷つけたくないが、自分でどうにかできる話でもない。拒絶を感じさせたくない。ラファエルが自分の力不足だと、自分を責める結果にもしたくない。これは、ロジュ自身の問題なのだから。


「ロジュ様、こちらをお借りしますね」


 ラファエルは、ロジュが机の上に置いていたティーポットを手にした。ロジュはラファエルからの提案に賛成はしなさそうなので、ラファエルは勝手にしようと決めた。あくまで、ラファエルの独断。そうすることで、ロジュが飲めなかったとしても、「勝手にやったことだから」とロジュの逃げ道を作れる。しかし。


「ラファエル、頼んだ」


 ロジュは、ラファエルの意図に気がついたのだろう。気がついてうえで、自分が責任を負うと言いたいのだ。だからこそ、ロジュはこの言葉を口にして、自分が頼んだという状況へ持っていった。


「もう……」


 ラファエルは、ティーポットを軽く洗い流しながら、不満を口に出した。ロジュは、ラファエルが傷つくことを恐れながらも、それを自分の責任としてしまう。ラファエルがしたいだけであるのに。それが、酷くもどかしい。ラファエルにも、分けてくれればいいのに。


「ロジュ様、どうぞ」


 ラファエルの紅茶を入れる手つきに迷いはない。ラファエルは日常的に入れている訳ではないが、ロジュの側近になる前から、ロジュに入れる機会を夢見ながら練習していた。それを伝えると、ロジュの重圧になってしまうかもしれないため言わないが。

 ラファエルは長い間、ロジュへの憧れを秘めていた。ロジュへの思いを持ち続けた結果、拗らせているのだ。ロジュのためになる可能性があることは全てやっておこう、というぐらいは。

 ラファエルは緊張した面持ちでロジュを見つめる。


「ありがとう」


 ロジュは笑おうとしていたが、その顔は強張っていた。彼は緊張を滲ませた手で、ティーカップに触れる。


 ラファエルは、直感的に思った。ロジュは、無理だ。自分の入れた紅茶でも、飲むことができない。


「ロジュ様、無理はなさらないでください」


 ラファエルはロジュを見守ろうとしたが、結局は口を挟んだ。ロジュの顔は真っ青だった。目で見て取れるほど、手は震えていた。


「……。悪い。ラファエル。本当に、ごめん」


 ロジュは飲むことをせずに、カップを机に戻した。そのまま飲もうとすれば、またカップを落とす、とロジュも悟ったのだろう。ロジュの表情は悲痛であり、ラファエルから目を逸らした。


「お前のことを、信頼していないわけではないんだ」


 ロジュは目を閉じた。左手で顔を覆う。ラファエルになんて言えばよいか、迷っているのだろう。ロジュが恐れていたことが起こってしまったのだから。


「大丈夫です。ロジュ様、お気になさらないでください」


 ラファエルは、ロジュの右手を両手で包み込んだ。ロジュに、ラファエルの体温が移る。冷たくなっていたロジュの手は、少しずつ熱が戻ってきた。

 ラファエルは、ショックを受けることもなく、冷静であった。どうすれば、この件が解決するか、至極真剣に考えていた。


 ロジュの体温が正常に近づき、ロジュの表情に落ち着きが戻ったことに気がついたラファエルは手を離し、ロジュに微笑んで見せた。


「ロジュ様、方法を考えましょう」


 ラファエルがそう言ったため、ロジュも考え込む素振りを見せる。

 二人で考え込んでいたが、思いついた表情をしたのは、ラファエルであった。


「では、あの人をお呼びしましょうか?」


 ラファエルの名案、という表情を見たロジュは嫌な予感がよぎった。


「ラファエル、頼むから、余計なことはするなよ」

「大丈夫です。悪いようにはしません」


 ニコニコと微笑むラファエルの脳裏に浮かんでいるのは、隣国の王。


 ラファエルはウィリデを呼びつけようとしていた。普通簡単に王を呼びつける人なんていないだろう。不敬罪で処罰されかねない。


 しかし、ラファエルは知っている。ウィリデ・シルバニアは、ロジュを大切にしており、むしろロジュに関する大事なことを伝えないとラファエルがおこられかねない、ということを。



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