四十三、愛情の形
会議後の別室。コーキノ国王、ロジュ、テキューが集まっていた。ソファと机がある部屋で、三人ともソファに座っている。
ロジュはテキューに向かって、疑問を呈する。
「スカーレット公爵は、どうして何も言わなかったんだ?」
派閥の筆頭であるスカーレット公爵が、何も言わないということは、テキューが話をつけていたのだろう。
「ロジュお兄様を毒殺しようとした貴族は、第二王子派の人間です。そのような危険因子を取り除けなかったのは、自分の責任だと叔父様はおっしゃっていました」
スカーレット公爵は、王妃の兄である。つまり、スカーレット公爵はロジュやテキューの叔父にあたる。親しげに叔父様と呼ぶテキューとは違い、ロジュはほとんど話をしたことはない。
「それに、元々叔父様は、そこまで僕を支持していたわけではないですから」
「え? そうなのか?」
それはロジュにとって、意外であった。そもそも、ロジュの母親であるグレース王妃は、テキューを一番かわいがっていた。だから、スカーレット公爵もテキューをかわいがっているものだと思っていたが。
「叔父様はソリス国を一番大事にしています。あの人は、僕が王になる器でないことを僕が幼い頃から見透かしていました」
テキューが幼い頃から、それこそロジュと出会う前から、テキューが王に向いていないことをスカーレット公爵は気がついていた。それなのに、テキューを王にしたいように振る舞い、テキューを一番大事と考えているような行動をした理由は何か。
「スカーレット公爵は、三大公爵家のバランスを崩したくなかったんだな」
「その通りです。ロジュお兄様」
現在のスカーレット公爵の妹、グレースが王妃だ。ここでスカーレット公爵が支持する王子が王となってしまうと、スカーレット公爵家の力が増してしまう。
スカーレット公爵は国を大事にしている、とテキューは言っていた。その言葉を鑑みると、スカーレット公爵は三大公爵家で均衡を取るために、自身の家の力を削ぐ必要があると考えていたのだろう。
もしかしたら、母親のグレース・ソリストも同じ気持ちだったのだろうか。ロジュの中でそんな考えがよぎるが、ロジュは自身で否定した。そんなはずがない。母親が政治のためにロジュから距離を取っていただけで、本当はロジュのことを好きだなんて、あるはずはない。
しかし、ここでまた、何も知らないのに、勝手にないと決めつけてもいいのだろうか。ロジュは、自分の母親のことを、何も知らない。
考え込むロジュだが、今までずっと黙り込んで二人のやりとりを見守っていたコーキノ国王が口を開いた。
「ロジュ、手は大丈夫だったか?」
コーキノ国王の声には慈愛が込められており、ロジュの動揺をかき立てた。
なぜ。なぜそんなに愛する子を見るような視線を向けるのか。ロジュ・ソリストではなく、ソリス国の第一王子として見てきたはずなのに。ロジュ自身には無感情で興味がなかったはずなのに。コーキノ国王が一番可愛がっているのは、一人娘であるクムザのはずなのに。
ロジュの心は困惑で満たされる。それでもなんとか口を開いた。
「大丈夫です。たいしたことはありません」
ロジュにとってたいしたことはない。これよりもひどい怪我なんていっぱい負ってきた。
幼い頃に暗殺者が送り込まれたとき。まだ今ほどの強さを持ち合わせていなかったロジュは何度か怪我をしてきた。守ってくれる人なんていなかった。誰にも、頼れなかった。
送り込んできた貴族を調べる方法があれば、この国を蝕む膿を除去できるのに、とは思う。しかし、もう時効だ。今更手遅れだ。
「それなら、良かった」
なんで、そんなに優しい瞳で見つめるのか。
人との関わりが以前よりも格段に増えたロジュはもうその答えを持っていた。
「父上は、私のことを、愛しているのですか?」
今度はコーキノ国王が動揺する番だった。言葉を失ったコーキノ国王をロジュは黙って見つめる。
「……ああ。勿論だ」
「冗談ですよね?」
「いや、私もグレースもお前のことを愛している」
両親のどちらとも、ロジュのことを、愛しているという。
ロジュはコーキノ国王が冗談を言っているわけではないことに気がついていた。彼の顔は強張っており、手は少し震えている。覚悟を決めてロジュに伝えたことは明白だった。
しかし、簡単に納得もできない。
それを認めてしまうと、孤独に震えて涙を堪えていたあの頃のロジュは、どうなるというのか。あの頃の寒々しい感覚を今も忘れることができない。あの時自分は、生を辞めかけたことは誰にも言えない。
ロジュは出された紅茶を口にしようとしたが、その手はロジュの意思に反して震えていた。手からは力が抜け、カップは床へと落下する。
絨毯に紅茶が染みこむのを、ロジュは強張った表情で見届ける。
「申し訳ありません。体調が優れないので失礼します」
ロジュはそれだけを伝えると、テキューとコーキノ国王の方をあまり見ずに立ち上がった。
「ロジュお兄様、お部屋までお送りしましょうか?」
ロジュへの気持ちを隠すことがなくなったテキューが声をかけるが、ロジュは首を振って部屋を出て行った。
ロジュは部屋を出て、ゆっくりと歩いていた。頭はゴチャゴチャで、身体は疲れたと悲鳴をあげている。しかし、今はあまり人がいなくても、いつ人が通るかわからない廊下で蹌踉けることも、しゃがみ込むこともロジュにはできない。
「ロジュ様、お部屋に戻られますか?」
「ラファエル、どこにいた?」
「ここでロジュ様をお待ちしていました」
廊下の端にラファエルは立っていた。ラファエルの笑みには悪い感情は一切なく、その笑みでロジュは少し落ち着いた。
「ラファエル、愛って何だと思う?」
ロジュからの突然に質問に、ラファエルは数回目を瞬かせたが、すぐに考え込む表情となった。
「難しい質問ですね。でも、僕の場合だと……。自分よりも大切だと感じたら、それは愛していると言えると思います」
自分以上に大切だといえる人。何があっても助けたいと思う人。それがラファエルにとっての愛だ。恋愛だけではない。全ての愛は今の一言に尽きる。
主君である、ロジュへの深い友愛もそれと同じだ。
ロジュのことは大切だ。自分よりずっと。
ラファエルはそれをわざわざ口にしない。ロジュを困らせてしまうだろうから。ラファエルだって学ぶのだ。
「ラファエルって婚約者いないよな?」
「いませんよ。分かっているなら聞かないでください」
少し頬を膨らませながら、軽くロジュをにらむラファエルは、実際には怒っていないのだろう。すぐに元の表情へと戻った。
ロジュは首をかしげる。ラファエルほど人気があり、能力があり、家は名家なのだから、周りの人間は放っておかないだろうから、婚約者がいないのは不思議だ。
「政略的に結婚する必要がないのです」
ロジュの疑問を悟ったようにラファエルは言う。
ラファエルにとって、結婚は駒にもならない。必要がない。宰相の母親と軍の上層部の父親、そして濃くはなくとも自分に流れる王家の血。
ラファエルの持つ物よりも多くの価値ある物を提供できるのなんて、王族ぐらいだ。
だからラファエルは焦って婚約する必要はなく、相手を自由に選べる。
選択権はラファエルにあるのだ。
「ところでロジュ様。どうして急に愛のお話を?」
ロジュに尋ねたラファエルだったが、自分の脳裏に幾つかの可能性がよぎる。
「もしかして、リーサ様に告白されました? それともテキュー第二王子殿下の異常な愛情に恐れていますか? それともコーキノ陛下からの愛を感じたのですか?」
「全部あったぞ」
「うわー……」
ロジュの予想外の返事に、ラファエルは思わず思ったことを声に出してしまった。全部を体験したロジュが哀れに感じる。どれも楽ではないはずだ。真っ直ぐな感情をぶつけられることを忌避しているロジュはなおさらだろう。
「リーサ様になんとお答えしたのかが一番気になります」
ラファエルは好奇心を抑えることができなかった。ロジュを薄紫色の目でジッと見つめると、ロジュは困った顔をしながら軽くため息をつく。
「一言で表すなら、保留だ」
「まあ、そうですよね」
ロジュがその場で了承することはまずないだろうし、ロジュが断ろうとしたならリーサは止めるだろう。二人の友人であるラファエルは、そうなることを予想できた。




