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四十一、本気の狂気

 場が一気に静まりかえる。最悪な事態をなんとか阻止したロジュは肩で息をした。


 テキューの剣は彼の真っ赤な瞳を貫きそうになるすんでのところでロジュが右手で掴んでいた。

 剣の刃がロジュの右手を傷つける。

 ロジュは痛みに顔を顰めた。掴んだ剣に力を込めると、思ったよりもスルリとテキューの手から抜き取ることができた。テキューは愕然、とした様子でロジュを見つめる。真っ赤な瞳がこぼれ落ちそうになるほど見開かれたが、ロジュはその目を見ていられず、目をそらした。


 テキューは本気だった。本気で、自分の瞳に剣を突き刺すつもりだった。ロジュの手の痛みがそれを証明している。


「テキュー、お前……。本気だったな?」


 ロジュの言葉は疑問の形をとっているが、確認をしているわけではない。


 周りの人間に知らしめるためだ。


 ロジュの声が会議室に響く。テキューは何も言わずに微笑んだ。それが、すべてを物語っていた。


 誰も、言葉を発せない。今起こった出来事がなんだったのか、理解ができない。全く動揺していないのは、ソリス国王、コーキノくらいか。


 テキューは今まで、無邪気な笑みを浮かべる、好青年として捉えられていた。明るく、表情はコロコロ変わり、礼儀正しかった。彼は表面上、至って『普通』の青年だったのだ。


 それが、狂気が顔を覗かせた。普通な面に覆い隠されていた、異常。


 自分の手で、自分の瞳を突き刺そうとする、彼の常軌を逸した想いを理解できる人間は果たしているのだろうか。


 沈黙。ひたすら沈黙が続く。それを破ったのは、この沈黙を作った本人だった。


「皆様。ご覧になりましたよね? 私はこの赤い瞳を捨てようとしましたが、ロジュ第一王子殿下が守りました。これにより、私の瞳はロジュ第一王子殿下の物となりました」


 そう言ったテキューはニコリ、と微笑む。彼の表情には邪気がないが、言っていることは暴論だ。

 しかし、テキューの異常さを見た貴族達は何も、声を上げることができない。彼に異を告げれば、次に彼がどんな行動に出るか、分からないからだ。

 今度こそ、本気で自分の瞳を突き刺しかねない。


「ロジュ、治療が必要だろう。一度会議を中断する」


 全く動じていないソリス国王、コーキノが言葉を発したことで、中断となった。


 ロジュは自分の右手を見た。血は止まっていない。彼が自分の手を見るその瞳は特に感情を宿していなかった。

 ポケットから白いハンカチを取り出し、右手にあてると、じわじわと赤く染まっていく。思っていたよりも傷は深いようだ。ロジュはそれに気がつきながらも、先ほどとは違い、表情は一切変わっていない。


 ロジュは音もなく立ち上がり、会議室を出ていった。


 痛い。苦しい。


 ロジュを追い詰めるのは、手の痛みではなかった。テキューからの惜しみのない感情。それはロジュの心を刺激してならない。一体、どうしろと言うのか。


 彼はテキューの想いを嫌だと感じたわけではない。ただ、どうしたらいいのか分からない。


 ラファエルの感情にもまともには飲みこめていない。ラファエルに譲歩してもらった部分もある。

 ロジュの苦手分野だろう。人の気持ちに向き合うことが。相手の気持ちを理解することが。


「ロジュお兄様」


 近くの部屋に入ったロジュが誰かを呼ぼうかと考えていると、テキューが声をかけてきた。


「……テキュー」


 ロジュの声には迷いが混じる。どのようにテキューと接したらよいか、という迷い。


「これは、お前のシナリオ通り、だったのか?」


 テキューはどこまで計画していたのだろう。ロジュはそれが知りたかった。自分はテキューの思惑通りに動いてしまっただけなのか。或いは彼の思惑を阻止できたのか。


「いいえ。僕のシナリオでは、本当に自分の目を突き刺すつもりでした。そして、赤い瞳の王位継承権を持つ人物はいなくなった、と言うつもりでした。ロジュお兄様が止めるとは思っていませんでしたし、仮に止めようとしたとしても間に合わない、と踏んでいました」


 ロジュは猛毒の影響から回復したばかりであった。だから素早く動き、剣を素手で掴むことができた、というのはテキューの想定外だ。また、ロジュと隣の席かどうかは事前に分かっていなかった。もし距離が離れていたら、ロジュは間に合わなかっただろう。


「でも、ロジュお兄様のおかげで、事が進みやすくなりました」


 そのおかげで、テキューは自分の瞳をロジュに差し出すことができたのだから。赤い瞳の慣習についてこれ以上追求する人間がいたら、次こそテキューは本気で自分の瞳をなくし、この国の慣習通りに王位を継げる人間をなくすだろう。


「ロジュお兄様。右手をお出しください」


 テキューの穏やかな声に、一瞬躊躇したロジュであったが、黙って右手をだす。

 テキューはゆっくりと取り出した包帯をロジュに巻き付ける。その手つきは繊細な物に触れるように優しげだ。テキューの手は少し震えていた。

 その手首に巻き付けられているシンプルなデザインのブレスレットがあることに気がつく。


「それは……」


 ロジュは目を見開いた。シンプルでありながらも精巧な作りのそれを作れる人間なんて、ロジュは一人しか知らない。


「ウィリデ陛下からのルクス、か?」

「はい」


 テキューは頷く。その表情に陰が入る。ウィリデのものだとすぐに分かったロジュへの複雑な感情。ウィリデが羨ましい。


「治癒効果があります。傷をつけられる前につけていれば、数分後に治癒効果が発動します」


 ウィリデから貰ったルクスは、傷をつける前に身体に触れる部分につけている、という条件のもとで治療効果が発動するというものだ。

 ウィリデの実力は本物だ。どれほど目を傷つけたとしても、条件さえ守れば、傷をたった一つのルクスで治してしまう。


「治癒効果、か。それじゃあ、剣で瞳を貫いたとしても……」

「はい。これで治療する予定ではありました。公の場では失った振りをするつもりでしたが」


 テキューは片目を失ったことにするつもりだった。それで、王位を継がない理由には十分だ。さらに、今日の場面を見た貴族はテキューが正気かどうか疑うだろう。それで、良かったのだ。


「包帯は巻き終わりましたが、あまり動かさないようにしてくださいね」


 テキューが疑問に思う。どこまでウィリデは想定していたのだろうか。治癒効果のあるルクスを持って来たときは、正直驚いた。ウィリデがその情報を知り得たはずがない。知らなかったはずだ。それでも、彼が持つ情報の中から、そこまで推測した。

 流石にロジュが素手でテキューを守るとは思っていなかったようだが。そうでなければ、ウィリデがルクスを渡す先はロジュであったはずだ。


 ウィリデのことを思い出したテキューは気に入らない、と少しだけ思う。テキューにとっての一番はいつだってロジュなのに、ロジュがこちらを向くことはない。ロジュの信頼はウィリデへと注がれている。


「ロジュお兄様」

「……なんだ?」


 唐突にロジュの名前を呼んだテキューにロジュは言葉を促すようにテキューを見る。


「ロジュお兄様。だいすきです」


 テキューの心からでた言葉にロジュは困ったような表情を浮かべる。

 テキューは自分の心の底から、湧き上がる思いを感じた。

 ロジュが、自分の言葉に困っている。その事実に言い様もない歓喜を感じた。

 これが狂っているというのなら、それは仕方がない。しかし、テキューはいつもの仄暗いほどの執着とは違う、悦びを覚えた。 口角が上がりそうなのを必死に抑える。

 自分はおそらくまともにはなれない。しかし、それでも良いのかもしれない。


 ロジュを見つめながらそう考えるテキューの気持ちに、ロジュが気づくことはなかった。


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