三十九、茶番
会議当日。ロジュはゆっくりと体を起こした。
ロジュは毒の事件後に目を覚ました後、しばらくは動くことが難しかった。体の痺れがひどく、痺れがなくなった後も言いようのない体の重みを感じていた。
二週間経った今では大分動けるようになったのだ。テキューはロジュが回復する日を狙ったかのように会議を今日にしていた。
もし暗殺者に襲われたら、ロジュの今日の体調では勝てないだろう。クルクルと手元で短剣を回しながらロジュは考える。流石に、この前の毒殺未遂で城の警備を強化したと信じたいが、用心するに越したことはない。ロジュは服の下に短剣を仕舞い込んだ。今日の服装は正装だ。
ロジュは今日の会議で何が行われるかは知らない。父親であるソリス国王も、テキューも口を閉ざしている。ラファエルやウィリデは何となく察しているようであったが、ロジュに教えることはしなかった。
ロジュの部屋に響く、ノックの音。
「おはようございます。ロジュ様」
ラファエルの声だ。ロジュの側近としてラファエルも今日の会議についてくる。時間に余裕を持って、ロジュを迎えに来たようだ。
「入っていいぞ」
ロジュの返答を受けて、ラファエルが入ってくる。彼も正装を身につけており、いつもより大人びて見える。彼の桃色の髪がキラキラと太陽の光を浴びて輝くのをロジュはじっと見つめた。
「ロジュ様、どうしましたか? まだ体調がよろしくないですか?」
彼は戸惑うように薄紫色の瞳を揺らがせる。ロジュが黙ってラファエルを見つめているため、ロジュに何か言いたいことがあるのか、と疑問に感じたのだ。
ロジュはスッと表情を変えた。彼の表情は少し不安げだ。彼の中性的な容姿も相まって、見ている者が思わず手助けしたくなるような表情。
「ラファエル。教えてくれないか。テキューが何をしようとしているかを」
それは懇願。どこか儚さすら宿す彼は、ラファエル自身のを藍色の瞳でじっと見つめる。その藍色が全て自分に注がれているとラファエルが認識したとき、彼の顔はぶわっと紅く染まった。
甘えるようで、頼るようで。ロジュのこのような切実な眼差しをラファエルは受けたことがなかった。ラファエルは熱を持った頬を手で押さえる。
「……。テキュー第二王子殿下は、ロジュ様を王太子へと仰るでしょう。自分は王になる気はない、というと思います。場合によっては継承権放棄まで考えられます。王位継承権放棄を材料に使っての交渉もありえます」
テキューはロジュを王太子にするように貴族の前でいうだろう。そして、もし理解を得られなさそうだったら、王位継承権の放棄まで考えられる。現在、ロジュとテキューの妹、クムザは王位継承権を放棄している。テキューまで放棄したら、王族で王座を継げるのはロジュしかいなくなってしまう。それはリスクが大きすぎるから、ソリス国の貴族としては阻止したいところだ。
そこにテキューはつけ込むだろう。
王位継承権は放棄しない、その代わり次の王はロジュだ、と。
それがラファエルの予想だった。ウィリデも恐らく同じ予想をしている。ソリス国王がどう思っているかはラファエルの予想が及ぶところではない。だから彼が止める可能性もあるが。
ソリス国王、コーキノ・ソリストもロジュを王に指名したいのではないか、とラファエルは考えていた。ラファエルはロジュの側近になってから、ロジュに渡されている仕事を見てきた。それは明らかに一王子に任せるような内容ではない。国の基盤であったり、外交であったり、調査であったり。明らかに国の中枢に関わらせようとしている、と一瞬でわかってしまった。恐らく、ラファエルの母、宰相であるリリアン・バイオレットも気がついているのだろう。気がついていながら、何も言わない、というのは了承に違いない。
王位継承争いなんて茶番でしかない。
ラファエルはこの事実に気がついたとき、乾いた笑みが溢れていた。王、宰相。この国のトップの中では決まっているであろうことを、貴族たちは騒ぎ立て、どちらの派閥につくかを見極めて、家門の今後をかけたつもりになっている。
ロジュ、テキュー、両名にも知らされていないことも貴族の争いに拍車をかけている。ロジュが、気がついていないのだ。彼は幼い頃から王族で第一王子。故に、どのあたりの仕事までを任されているのか認識していない。与えられている仕事は当たり前のもので、王族の責務だと捉えている。だからロジュには気がつけない。
母を宰相にもち、父を軍の上層部に持つラファエルは、気がついてしまった。ロジュがどれほど国に貢献しているかを。ソリス国王は、絶対にロジュを国から手放さない。それがわかるほどには、ロジュはソリス国の運営に関わってしまっている。
それをラファエルがロジュに今伝えることはしない。なぜなら、すぐにわかることだからだ。
「そうか、テキューが王位継承権を放棄……」
ラファエルの言葉を聞いたロジュは真顔で呟く。その後でニコリ、と笑う。
「教えてくれてありがとう、ラファエル」
そこには先程までの儚さなんてどこにもない。ロジュは考え込むように目を伏せる。そして思い出したように、ラファエルを見た。
「ラファエル、これくらいの色仕掛けの真似事で引っかかるなら、気をつけたほうがいいぞ」
ラファエルの方を見ながら、イタズラっぽく笑うロジュにラファエルはただ敗北感を感じるだけだった。
ロジュじゃなければ引っかからなかった、という言葉をラファエルは飲み込んだ。よく考えれば、同じようなことをウィリデやリーサにやられても引っかかるかもしれない。多くの人間と親交を深めてきたラファエルは知っている。ロジュ、ウィリデ、リーサのように顔が美しく、その使い方を知っている人が一番、扱いにくいのだ。
ロジュがわざわざ手間をかけてラファエルから聞き出そうとしたのは、ラファエルが言うつもりがないと悟っていたからだろう。回復途中のロジュに負担をかけないように、とラファエルはウィリデから口止めされていた。
ウィリデに怒られるかもしれない、とラファエルは思うが、その一方で仕方がない、と割り切った。
会議はもう目の前だ。
ロジュが毒殺されそうになったという話は少しずつ、少しずつ広まっていた。水が布に染み込んでいくようにじんわりと。
「あのお話聞きました?」
「勿論。ロジュ殿下は大丈夫でしょうか?」
「ロジュ殿下はもう起き上がれないのでは?」
「ロジュ殿下ではなくテキュー殿下が王にという天啓かもしれませんね」
純粋な心配。隠しきれない悪意。様々な思惑が渦巻く。
会議室には身分が下のものから入ることになっている。今回の会議はほとんどの貴族を集めたものだ。主に当主が参加している。
ロジュより先に入ったラファエルは、舌打ちしそうになるのを飲み込んだ。ラファエルはロジュの側近であるから参加することになった。周りの人がラファエルの参加に対して興味をもち、チラチラ見てきているのに、ラファエルは気づいていながら無視をする。
好き勝手にいっている人達を睨みそうになるのを必死に堪える。顔が苛立ちで歪みそうになるのを我慢する。
ラファエル・バイオレットのイメージを落とすわけにはいかない。その印象もロジュへの評価に関わるのだから。好印象を保つことが、ロジュの役に立つかもしれないから。
ラファエルはいつものフワリとした印象に見える笑みを浮かべる。苛立ちなんてどこにも見えない。
「コーキノ国王陛下、ロジュ第一王子殿下、テキュー第二王子殿下がいらっしゃいます」
騒ついていた会議室によく通る声がした。リリアン・バイオレット。ラファエルの母親であり、この国の宰相だ。彼女の声で、場は一瞬にして静まった。
三人が歩いてくる。貴族たちはロジュの様子を観察していた。ロジュの一挙一動を見守る。ロジュを心配するかのように。あるいはロジュの失態を見つけ出そうと。
ロジュの動きに違和感はない。彼は以前と同じ、隙のない動きをしていた。彼の歩き方、歩く速さ、姿勢には特筆すべきことは何もなく、彼が毒を飲んで倒れた、という話はただの噂ではないか、と疑う人もいるほどロジュはいつも通りだった。
ロジュは分かっていたのだ。自分が少しでもミスをすれば、ロジュを蹴落としたい人間が喜ぶだけだ。ロジュが完璧な振る舞いをすることで、敵を焦らせることができる。
コツコツと音を立てながらロジュは席へと辿り着いた。ロジュの体に染み付いたマナーは完璧であり、それはロジュの体調には依存しない。
ロジュとテキューが隣り合っている席に着き、最後にコーキノ国王が席に座る。
会議が始まる。




