三十六、目覚め
次の日の昼。ロジュは重い瞼を持ち上げた。体中が重い。手足に軽く痺れを感じる。それでも、生きている。死はロジュを迎えにこなかった。
夢を、見ていた気がする。内容までは覚えていない。何かを、失った夢。この世界で一番というほどにほど大事なものを、夢の中の自分は失った。
ひどい絶望。心には穴が空き、世界は色を失った。世界が色あせる直前、目の前は赤に染まり、最後に覚えている色は金だった。
暑くて寒くて寂しい空間。
あの夢は、何だったんだろう。はっきりは覚えていない。しかし、微かに残る夢を頼りに、警告が聞こえる。忘れては、駄目だ、と。先程まで微かには残っていたはずのその夢の輪郭はどんどん境界線が曖昧になり、やがて形をなくした。
言いようもない焦燥感だけが残った。
「ロジュ」
優しげな声が聞こえた。ああ、来てくれたという安堵と、彼も巻き込んでしまったのか、という申し訳なさ。
「ウィリデ、陛下」
自分の声は思っていたよりも掠れていた。ロジュは慌てて起きあがろうとするが、思うように体は動かない。
「起き上がらなくていいから。体調はどう?」
「最悪だ」
うっすらと笑みを浮かべながら、ウィリデの静止を気にせず体を起こしたロジュが答える。ロジュがいくら常人離れした身体能力を持っていても、この毒の影響は抜けきっていない。
「ロジュ様、心配しましたよ」
「ラファエル」
不安げな様子をしたラファエルが部屋に入ってきた。
「ウィリデ様、ロジュ様がお目覚めになったら教えてほしいとお願いしたじゃないですか」
「悪い。忘れてた」
「もう」
二人の会話は自然であり、堅苦しさがない。ロジュはそれが不思議に感じた。
「二人は、今まで会ったことあったのか?」
ロジュの疑問は最もだ。公の場で二人に接点はない。
「今回のロジュ様暗殺未遂の対処で、少しだけ親しくなりました」
「まあ、そんな感じだ」
二人の表情に嘘はない。ラファエルはふわふわと笑っているし、ウィリデもいつもの美しい笑みだ。
「そうか。二人には迷惑をかけたな」
それ以上追求することはなく、ロジュは頷いた。
「それより、教えてくれ、この事件をどう収集つけたか」
二人はロジュに頷く。
「ラファエルから話すか?」
チラっとウィリデはラファエルを見るが、彼は首を振った。
「ウィリデ様が一番活躍しておられたじゃないですか。ウィリデ様からお願いします」
「分かった」
ウィリデがゆっくりと口を開く。
ウィリデがロジュのブレスレット、ルクスから危険信号を発する機能をつけていたことを最初に説明すると、ラファエルは引いた表情をした。
「ウィリデ様もやっていること、やばいですね」
「ちょっと待て、ラファエル。どういう意味だ」
「テキュー第二王子殿下のこと言えないですよ」
「全然違うだろう」
テキューとは違うと自分では思っているが、ラファエルの言葉でウィリデは不安げにロジュの方を見る。
「ロジュはそんな機能を勝手につけられて嫌だった?」
ウィリデは人の感情を正しく理解している。だからこそ、不安げな表情で尋ねたウィリデをロジュが拒むことないというのは確信している。
「別に構わない。元々『お守り』っていう話だったから。でも、ウィリデ陛下はそんなにルクスに効果を込めて大丈夫だったのか?」
ウィリデは『お守り』と最初に言っていた。それはロジュの危険な時に守るという意味もあったのだろう。その機能を聞いたロジュは自分の左手首に付けられているアクセサリーに優しく触れた。これのおかげで助かったと言っても過言ではない。
しかし、ルクスを作るのはとても大変だと聞く。具体的な方法は秘匿とされているため知らないが、それでも製作者のウィリデが心配となる。
「ああ。これくらいなら大丈夫だよ。どうせなら一度きりじゃなくて制限なしにしておけばよかったかな」
ウィリデは密かにまた作らなくては、と考えていた。
自分が知らないうちにロジュが危険な目に遭うなんて、絶対に許せない。知らせなかった人間も、知らせが届く経路を準備しておかなかった自分も、許せない。
「ああ、ごめん。話がそれたね。続きを話そうか」
ウィリデはシルバ国から出てソリス国に入るタイミングでフェリチタを呼び寄せ、リーサに連絡を送ったという。ウィリデはシルバ国の王だ。シルバ国のことも考えて動かなくてはならない。リーサはシルバ国の王位継承権第一位。リーサに事情を伏せたまましばらくシルバ国にいることを頼んだ。自分がいなくてもシルバ国は大丈夫だと思う。簡単に革命が起こることはないだろうし、仕事が回らなくなることもないだろう。それでも、念のため。仮にロジュの毒殺未遂がウィリデをシルバ国から出すための策略である可能性までも考えた行動であった。
「リーサ様に丸投げしたんですね」
ラファエルが思わず言葉をこぼす。それと同時に、リーサがこの場にいない理由をラファエルは納得した。リーサなら飛んできたような速さで来そうだと思っていた。
「まあ、リーサは以前から王の代理で仕事をしたことがあるから、リーサしか任せられないと思っている」
リーサは若いウィリデが王を務める様子を十年間見てきた。それに思うところもあっただろう。兄にだけ負担を押し付けてしまっていると、感じている部分もあった。故に、ウィリデに任されたのは信頼の証として少し喜んでいる。
リーサに連絡をした後、ソリス国に着いたウィリデはソリス城に直行した。ソリス国への連絡をしていなかったから、城の門衛に止められるかと思ったが、止められることはなかった。一度訪問したことがあったおかげだろう。
ウィリデがソリス城で、最初に話したのはソリス国王、コーキノだった。彼は情報が漏れていないはずなのにウィリデがきたことに驚いていたという。そして、その後に来たのはテキューだった。ウィリデは、テキューに話したのと同じように自分の推測を話す。
「なるほどな」
ウィリデの推測を聞いたロジュは頷く。確かに筋は通っている。そしてロジュを狙う方法も納得だ。
「王位継承争いを片づけないと、またロジュ様が狙われる可能性があるってことですね」
今まで先延ばしにしてきた結果が、これだ。
「王太子が決まれば、狙われることは少なくなるだろうな」
ロジュが王太子になれば、それでも狙う人はいるだろうが、少なくとも第二王子派、テキューの派閥の人物は狙わなくなる。自国の王が決めたことだ。それに逆らうのは叛逆に他ならない。
勿論、王子を狙うことも重罪ではあるが。王太子を狙うのと、一王子を狙うのでは話が変わってくる。
「ロジュ、ロジュが何か動く必要はないよ」
ウィリデが確証を得ている表情でそう言い切る。
「ウィリデ陛下は今後どうなるかが見えているのか?」
「これでテキューが動かないわけがないからね。断言しよう。一ヶ月以内にソリス国の貴族で会議が行われる」
ロジュの質問にウィリデは笑って答える。その目にテキューへの信頼なんてものは全くない。しかし、確信はしている。
ロジュが生死をさまよう程の害を受けたのだ。ここで何もしないほどテキューはぬるい人間ではない。テキューの狂気的なまでのロジュを思う気持ちはウィリデが一番知っている。




