二十七、不意打ち
「ロジュ様、ラファエル様を側近になさったのですね」
次の日の教室。現在は時間帯が早いため、ロジュとリーサしかいない。いつものようにリーサはロジュの隣の席に座り、頬杖をつきながらロジュを見る。他の人がいるときにはしないような気の抜けた仕草だ。
「意外か?」
ロジュは隣の席に座っているリーサをチラリと見て尋ねた。リーサは頬杖をつくのを止め、微笑みながら首を振る。
「いいえ。ロジュ様はラファエル様とお友達になられるのではないか、と思っておりましたわ。側近とは意外でしたけど」
リーサの言葉にロジュは首を傾げる。
「なんで友達になると思ったんだ?」
ロジュの疑問は最もだろう。ロジュとラファエルには目立った接点はなかったはずだ。
しかし、リーサから見ていて、ラファエルがロジュに尊敬の念を抱いているのは明白だった。ラファエルがロジュを見る薄紫色の目には、話しかけたいけれど、躊躇を何度もしている様子が見てとれた。そして、ロジュは他者からのまっすぐな気持ちを無碍にはしないだろう。彼は慣れていないからこそ、拒絶ができない。今まで、彼の方から拒絶をしたことはないのだとロジュを近くで見ていた、リーサは気が付いていた。明確な拒絶は、この前のテキューにだけだろう。最も、それすら拒絶と言っていいのか分からない。本人はテキューの気持ちを理解できていないのだから。
「なんとなく、です」
リーサは頭ではいろいろ考えていたが、結局ロジュにはそれしか伝えなかった。
「そうか」
ロジュは特にそれ以上聞くことはなかった。ロジュは今回のラファエルの件で、自分が周りの人に気を遣わせているのではないか、と薄々感じていた。今、リーサが言わなかったのも、ロジュに気を遣ってかもしれない。リーサの考えていることは何も悟れないが、ロジュはそのように考えていた。リーサはロジュのことを好きだと言うが、いつも冗談めかしている。それはロジュの負担にならないためだろう。ラファエルからの信頼を渡されただけでも、ロジュは苦しくなった。もし、リーサからの本気の気持ちをぶつけられたとしたら、果たしてロジュは無傷でいられたのだろうか。
「ロジュ様、ラファエル様がなんでロジュ様の側近になりたかったのか、具体的なお話は聞いたのですか?」
「いや、聞いていない」
「どうしてですか?」
リーサはラファエルの気持ちの源が何か興味があった。この前、ラファエルが側近になりたいと言っていた日に、リーサがウィリデに送った手紙で、ウィリデに知っていることはあるか、と聞くぐらいには知りたかった。ウィリデからの返事でエピソードがびっしり書いてあったのは、シルバ国の情報収集の能力に若干引いたが。
ロジュの婚約の件は秘匿されており、公のものではなかったため情報を集めるのは難しかったが、ラファエルがロジュに傾倒するようになった出来事はとあるパーティーでの出来事だったらしく、情報は手に入っていたようだった。手紙には、ラファエルがロジュを困らせるようなことをしたらすぐに教えてくれ、と書いてあった。ウィリデは相変わらず過保護だ、と手紙を見ながら笑ったのをリーサは思い出した。
しかし、ロジュはラファエルとの出来事を忘れているのに、特に気になっていない様子だ。それがリーサには不思議だった。
「だって、ラファエルが言わなかっただろう。言いたくないことを無理に聞く気はない」
ロジュにとって、言えと言われたって絶対に口にしない思い出はある。主にウィリデと過ごした一年。たった一年であるが、それは一分たりとも無駄な時間はなかった。人と軽々しく共有するようなものではなく、自分の中にひっそりと閉まっておきたい、大切なもの。ラファエルにとってロジュの記憶がどんなものかは分からない。しかし、もしかしたら。もし、それほどの影響力を与えているとしたら。ロジュ本人だとしても、無闇に踏み込むべきではない、とロジュは考えている。
「ロジュ様とラファエル様は考え方が似ているのかもしれませんね」
リーサがロジュの立場だったら、絶対に聞き出す。理由も分からない一方的な好意なんて恐ろしい。しかも、ラファエルほどの重さを持っているなら尚更。
逆にリーサ自身は、自分が塗り変わるような経験をさせられたら、人に伝えるだろう。リーサは、言えるものなら、言いたい。リーサのフェリチタが炎であると分かったあの日のことを、全人類に自慢したい。炎に囲まれた中でみたロジュは、この世のものとは思えないほど、美しかった。ロジュの腕から流れる血も。ロジュの大きくなくても響く声も。全てがリーサの中では鮮明に記憶されており、できるものなら、みんなに教えたい。もし、具体的な話を口にしないという約束がなければ、リーサは自慢して回っていただろう。
だからこそ、ロジュとラファエルの考え方が似ていて良かったと思う。ロジュの一番近くに立つ資格を得た人間が、リーサみたいな考え方の人間であれば、リーサはその人物を嫌っていたかもしれない。
リーサはじっとロジュを見つめる。リーサの視線に気が付いたロジュがほんの少し首を傾けた。外の太陽からの光で、ロジュの深紅はいつも以上に明るくみえ、リーサの視線を捕らえてやまない。彼の藍色の瞳は、一見冷たく見えつつ、その奥には温かみがある気がする。それでも、彼が一番美しく見えるのは、この場所ではない。きっと、燃え盛る炎の中にいるときだ。
「私、ロジュ様のことが好きです」
リーサは無意識に言葉を放っていた。急に言われるとは思っていなかったであろうロジュが面食らっているのに気がつく。ロジュの表情を崩したことに、歓びを感じている自分を知った。ああ。リーサはなんとも言えない気持ちになる。自分も、テキューと大差ないのかもしれない。
ロジュの表情はどこか強張っており、視線が定まらないことから落ち着かない気持ちが伝わってくる。
リーサはいつもみたいに、冗談めかして、なかったことにしてしまおうとした。しかし、リーサはいつもみたいに上手く表情が作れない。いつもみたいに口を開くことができない。
自分には、ロジュに告白する資格なんてないのに、とリーサは思ったが、撤回する気は起きなかった。自分の気持ちが、ここまで大きくなってしまっているとは気が付いていなかった。
「待ってください、ロジュ様。何も言わないで」
強張った表情のまま口を開きかけたロジュを慌てて止める。まだ、ここで断られるわけにはいかない。リーサは自分が泣き出しそうな表情をしているとは気が付いていない。
「ロジュ様、今すぐに返事がほしいわけではございません。今はただ、知っていてほしいだけなのです。私が、ロジュ様をお慕いしている、ということを知ってほしかったのです」
リーサは自分の言葉の意味をロジュはわからないだろうな、と思っている。その一方で、人の気持ちを無碍にはしないロジュが断ることはないと確信していた。実際その推測は正しい。
ロジュには、リーサの言う「好きなことを知ってもらう」ということになんの意味があるのかわからない。でも、リーサの必死さから、それを断ることはできない。
「分かった」
ロジュの返事にリーサは満足そうに笑う。その笑みは心からのものであり、リーサが伝えられて満たされていることは明白だった。
「……」
ロジュは、自分がどうするのが正解か、分からない。彼が恐れていた時が急に来てしまった。ラファエルの時とは違い、契約というわけにはいかないだろう。彼女の様子から、リーサの気持ちが軽いものではないことが伝わってきた。彼女はきっと、契約や約束では納得しない。
しかし、いつから。最初はそこまでの好意を持っていなかったはずだ。炎の中でロジュを認識したリーサの橙色の瞳には、嫌悪が混ざっていた気がする。何を、どうしたらそれが反転するのか。
ロジュは知らない。愛と憎悪は紙一重ということを。感情が大きければ大きいほど、何かのきっかけがあれば、簡単に裏返る。
故に、リーサが過去に会ったこともなかったロジュにどれほどまでの憎悪を溜め込んでおり、それが愛へと反転したことを、ロジュは知る由もない。




