二十三、盤面を崩す一手
「ロジュ様、僭越ながらお願いがあります」
ロジュが物思いにふけっていると、ラファエルが覚悟を決めたように口を開いた。
「話だけ聞こう」
ロジュは簡単にお願いを聞ける立場ではない。だから了承を簡単にできないため、明言は何もできないが、ラファエルは聞いてもらえるだけでも嬉しそうだ。
「それで十分です。ロジュ様、いや、ロジュ・ソリスト第一王子殿下」
ラファエルの薄紫色の目が強い色を放つ。彼の目線から迷いは一切ない。そこに宿る覚悟は底が知れない。神秘的な夕焼けのような色の瞳をロジュから逸らすことはなく、ラファエルは口を開いた。
「私をロジュ殿下の側近にしてください」
ガタっと音を立てて、ロジュが席から立ち上がる。ラファエルの声が思いのほか他者まで声が届いてしまっていた。部屋中が静寂に満ちる。
「ラファエル・バイオレット」
ロジュの声は決して荒れていない。しかし、彼の声の震えは抑え込めていない。彼の困惑を伝えるには十分だった。
「お前は、自分が何を言っているか分かっているか?」
正気なのか、と言いたげなロジュに対し、ラフェアルは大きく頷いた。
「勿論です。ロジュ殿下」
ラファエルの薄紫色の瞳からは迷いなんて一切見えない。彼はロジュの前で跪く。普段よりも真剣な眼差しで微笑んで見せた。そしてゆっくりと口を開く。
「私、ラファエル・バイオレット、バイオレット公爵家次期当主はロジュ殿下を王へと望みます」
王位継承者が決まっていない状態で側近になることや婚約者になるというのは自分がつく派閥の表れとなる。面倒なことになった、とロジュは頭を抱えたくなる。中立派代表のバイオレット家がこんなことを目立つ場所で言うなんて。もう、取り消しは効かないだろう。
この情報が大学中へと伝わるにはさほど時間がかからなかった。あちらこちらでこの話を噂しているのを、ロジュは気がついている。それはだんだん婉曲されていき、事実と異なる噂も流れていた。
実はロジュから勧誘しており、教室で行ったのは人に見せるための芝居ではないか、という噂。ラファエルはロジュに惚れ込んでいるという噂。バイオレット公爵家の作戦ではないか、という噂。様々な噂が流れ、それに対しそれを聞いた人の意見や想像が含まれ、さらに変な噂へと形を変えて広がっていく。
「ラファエル、今日一緒にソリス城まで来てくれ」
様々な視線を送られたロジュはいつもの涼しい顔とは違い、疲れた表情でラファエルに声をかける。視線を送られるのはいつものことだが、今日の視線はいつも以上に好奇心に満ちていた。ソリス城でラファエルと話をするか、もしくはソリス城に行けば母親であり宰相であるバイオレット公爵がいるだろう。それなら、彼女にラファエルによって起こされた騒動の収束を任せればいいだろう。
そのように判断したため、ソリス城へ行くことを提案した。
「分かりました、ロジュ様」
嬉しそうにニコニコしているラファエルを見て、本当に事の重要性が分かっているかロジュは疑問に感じる。
全てを一番近くで見ていたリーサは口元に笑みを浮かべる。すぐにウィリデに伝えなければ、という焦燥感に駆られながら。この話をきいたウィリデは一体どんな顔をするのだろう。リーサはそれを見てみたいと思ったが、それを見る方法はない。少し残念に感じながらも、リーサは文面を考えていた。
「やってくれたね、ラファエル」
ソリス城にロジュとラファエルが到着すると、怒りを隠そうとしないバイオレット公爵、ラファエルの母親であり、この国の宰相である女性が立っていた。彼女の名はリリアン・バイオレットという。
ソリス城にはあっという間に情報は伝わっているようだ。
「焦りすぎですよ、母上」
ラファエルはのんびりとした空気のままだ。ラファエルの母親と違い、焦りなんて見えない。
「ラファエル、自分が何をしたか分かっているのか?」
バイオレット公爵の紅色の瞳が燃えるように輝きを放つ。息子の勝手な行動に対する怒りを隠す気は全くない。
「何か問題ありますか? 母上はいつもロジュ様のことを飲み込みが早いって褒めていらっしゃるじゃないですか」
ラファエルの言葉を聞いて、バイオレット公爵はロジュを放置していることにハッと気がつく。
「ロジュ殿下、申し訳ありません。私の愚息がご迷惑をおかけしました。お許しください」
バイオレット公爵の言葉にロジュは苦笑いを浮かべる。
「迷惑、というほどまでのことはないが。大分盤面をかき乱してくれたな」
ロジュにとって、ずっと中立だと思っていたバイオレット公爵家がロジュ側に着くというのは想定外中の想定外。予想を大幅に崩した。パワーバランスが寄り過ぎているのだ、ロジュの方に。喜べばいいのか焦ればいいのか分からない。ロジュは真紅の髪をグシャリとかきあげた。
「本当に、申し訳ないです」
「バイオレット公爵が謝ることではないだろう。それにしても、人との付き合いが上手そうなご子息じゃないか。今まであまりご子息の話をすることはなかったな」
「それだけが取り柄ですので……。ロジュ殿下にご無礼を働く恐れがありましたため、紹介は控えさせてもらっていました……」
「ああ……。なるほど」
当主の意向を全て無視して勝手に意思表明するなど、普通はする人はいないだろう。その家の利益、損失、人間関係。様々な要素が影響してくるのだから。そんな不安要素を持つ息子を進んで王族に会わせようとはしない。
「バイオレット公爵、どうするつもりなんだ? 恐らくもう、取り消せないぞ」
ロジュは試すような低い声を出す。少し口角を上げて、首を傾けるロジュの美しい笑みは底知れぬ恐ろしさを秘めている。
「……。『次期当主の言葉』と『現当主の言葉』を切り離すことはそんなに難しくないです。少なくとも『次期当主予定』であり、確定事項ではないですから」
もし事態が悪くなってしまったら、ラファエルを次期当主の座から外せば良い。バイオレット公爵はそう言っているのだ。
冷静なバイオレット公爵にロジュは少しだけつまらなさそうな表情を浮かべる。ラファエルに困惑させられた意趣返しにもならなかっただろう。
今日はラファエルのお陰で通常よりも疲れたが、それでも憎めないのがラファエル・バイオレットという人物なのかもしれない。
「じゃあ、これで失礼する」
「ロジュ殿下、少しだけお待ちください」
ロジュが立ち去ろうとバイオレット公爵が声をかける。
「何だ?」
「息子のことをよろしくお願いします。ロジュ殿下への忠誠だけは持っているので」
その言葉はバイオレット公爵当主としての言葉ではない。ラファエルの母親としての言葉であろう。
ロジュは意外に感じた。忠誠心。一体いつラファエルはそんなものを持ったのだろう。
「忠誠心? 俺にはそれを向けられる心あたりがないのだが」
ロジュは自分の人柄や性格などロジュ自身に向けるものをほとんど感じたことはない。大体は知性や能力という実力への信用だと考えている。だからこそ、急に忠誠心と言われても、訝しむ様子を隠せない。その様子を見てバイオレット公爵は少し笑みを浮かべる。
「ロジュ殿下が、覚えていないことこそが信用できるという証です。見返りや対価を求めていないのですから」
ラファエルも同じようなことを言っていたが、ロジュにはよく分からない。覚えていない人間に感謝をして意味があるのだろうか。ロジュの顔には疑問が広がる。バイオレット公爵はそれ以上説明することはなく、ニコリと微笑んだ。
「引き止めて申し訳ありませんでした。ゆっくりお休みください」
ロジュはそれ以上聞き出すのは諦めて、自室へと歩き出した。




