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二十二、ラファエル・バイオレット

「ロジュ様、おはようございます」

「ああ、リーサ殿下、おはようございます」


 リーサが留学してきてすでに数日が経った。リーサの挨拶に対し、ロジュは少しだけ口角を上げて返事をする。リーサはロジュに許可を請うこともなく隣の席に座る。二人の様子に周りにいる生徒たちは騒ついた。


「リーサ殿下、またロジュ殿下へと話しかけているぞ」

「いいなー。僕もロジュ殿下に話しかけたい」

「お前が話しかけるなんてお恐れ多い」

「いや、こいつが気安すぎて忘れそうになるけど、こいつは公爵令息だぞ」

「そっか、身分的には問題ない」

「よし、行ってくる」


 三人話していたうちの一人が意を決しロジュの方へと向かう。その人物は薄紫色の瞳を複数回瞬かせながら、ロジュへ声をかけた。


「あの……。ロジュ第一王子殿下、おはようございます」


 ロジュはリーサ以外の人から声をかけられたことに驚きの表情を見せるがすぐにふわっと笑みを浮かべた。


「ああ、バイオレット公爵令息、おはようございます」


 彼はソリス国の宰相である、バイオレット公爵の息子であり、ラファエル・バイオレットという。テキパキ動き、はっきり物を言うバイオレット公爵とは違い、のんびりしており、人懐っこい。公爵令息という高貴な立場でありながら、友達は身分を問わず、友達とは遠慮なく話をする間柄だ。


「僕のことをご存知だったのですね」

「ええ。勿論です。バイオレット公爵様にはいつもお世話になっております」

「そうでしたねー。母上は宰相でした」


 あははと笑いながらそう言うラファエルをロジュは凝視する。そして少しだけ目を細めた。テキューとは違い、何を考えているか分からない腹黒さは感じない。しかし、何も考えていない呑気な人物というのもまた違う気がする。


「それでどうかいたしましたか、バイオレット公爵令息」

「ラファエルでいいですよ。敬語も要りません」


 桃色の髪をひょこっと揺らしながら言うラファエルはどこか楽しげだ。


「分かった。ラファエル。俺のこともロジュで構わない。それで用事があったのか?」


 警戒を感じさせない様子のラファエルにあっさりロジュは丁寧な口調を止める。


「いいえ、ロジュ様とお話したいと以前から思っていたので」

「……。そう、か」


 自分に対し、好意的に話しかけてくる人にロジュはあまり慣れていない。自分を王に推す派閥の人は対等な立場で話しかけてくることはなく、どこか一歩引いた様子だ。対等として話しかけてくるのはウィリデぐらいだった。リーサも対等寄りだが、それでもロジュへは敬語であり、様をつけて呼んでいる。

 だからロジュは慣れていないのだ。グイグイ話しかけるラファエルとは対照的にロジュは一歩引き気味で返答している。その様子を見兼ねたのか、リーサが会話へと入ってきた。


「もう、ロジュ様。ラファエル様にそんなすぐ敬語をなくすのでしたら、私にもなくして良いと申していますのに」


 ニコニコと話しかけるリーサは、いまだ人目のある場ではリーサ殿下とロジュから呼ばれ、しかも敬語を使われている。リーサの言葉は全くロジュの助けにはならず、むしろ追い討ちをかけにいっているだろう。


「分かった。リーサ様。これでいいか?」


 ロジュは面倒になった。体裁を保つのが。他国の姫を殿下呼びしないのは、誤解を生みそうな話だが、リーサはロジュを様と呼んでいるから今更かもしれない。一応リーサ様と呼び、呼び捨てをしていないのはロジュなりの抵抗だ。


「お二人は仲良しなんですね。婚約の噂は本当なんですか?」


 こいつ言った、と周りにいた生徒たちは思う。みんな触れたくても触れないようにしていた話。それでも、みんなが気になっていた話題だ。同じ教室にいる全員が声を潜め、耳をすます。二人が婚約するかしないかは大事な情報となるだろうから。


「そう見えますか? ロジュ様、私と婚約いたします?」


 楽しげに尋ねたリーサに対し、ロジュは嫌そうに顔を顰める。


「やめろ。現段階で婚約する気は俺にはない。俺の言ったことを忘れていないだろうな?」

「勿論忘れておりませんわ」


 ロジュの拒絶にリーサは残念そうな顔で笑みを浮かべる。


「こういうことですわ。ラファエル様」

「なるほど。ロジュ様が断っているのですね」

「ええ。そうですわ」

「リーサ様とラファエルは元から知り合いだったのか?」


 親しそうに会話をする二人にロジュが疑問を投げかける。


「まあ、ロジュ様、嫉妬ですか?」

「……」

「あ、待ってください、ロジュ様。冗談ですって」


 完全に表情を消し去り、無言のまま別の席へと移ろうとしたロジュを慌ててリーサが呼び止める。


「リーサ様、あまりロジュ様を困らせてはいけませんよー」


 薄紫色の瞳を少しだけ細めながら、悪ふざけが過ぎる、と咎めるようにラファエルは言う。彼の口調は柔らかいが、その瞳は険しい。その様子にリーサは一つの確信を得るが、それを口に出すことはなく、笑みを浮かべる。


「そうですわね。申し訳ありません、ロジュ様。ラファエル様とはここに通い始めた次の日に初めてお話しました」

「そうです。元から知り合いではないです」

「……。打ち解けるの早すぎないか?」


 席の移動はやめたロジュがそう聞くと、二人は同時に顔を見合わせ、首を傾げた。


「そんなことないと思いますよー」

「ええ。そんなに早くないと思いますわ」


 二人が当たり前のように言うから、ロジュはそうなのか、と思い疑問を提示することをやめた。リーサとラファエルのコミュニケーション能力の高さを指摘するものはここにいない。


「ラファエル、それで急に話しかけてきたのに、理由はあるのか?」

「それは、最近ロジュ様の雰囲気が柔らかくなった気がしたので」


 彼は人懐っこい笑みを浮かべる。ロジュはその言葉に動きを留めた。柔らかい、雰囲気。自分はそんなに目に見える変化を見せているのだろうか?


「柔らかい? 以前はそんなに怖かったのか?」

「ええと、そういうわけではないですけど」


 ラファエルの薄紫色の瞳が迷うように瞬く。どこまで言ってもよいか、悩んでいるのだろう。ロジュから不敬と怒られるのを恐れているか、あるいはロジュが気にしすぎることを心配しているか。どちらなのかロジュにしてみれば明白だ。不敬と言われるのを恐れているのだろう。


「ロジュ様は十年くらい前から、何というか……。はっきり言ってもいいですか?」

「ああ。怒るような真似はしない」

「それは心配していないです。ええと、あまり重く捉えないでほしいのですが……」

「分かった」

「ありがとうございます。その、余裕がなさそうというか、気持ちここにあらず、というか……。でも、今は解決した顔をなさっています」

「……」


 ロジュは考え込む。恐らく自分は十年前であれば急に王となったウィリデのこと、そして五年前からはそれに加えて鎖国をしていたシルバ国のことを考えていたのだろう、と。そのときの自分に余裕がなかったのは事実だ。しかし、それが表に出てしまっているとは思っていなかった。


「そんなに顔に出ていたのか?」

「うーん、他の人はあまり気がついていなかったかもしれません。でも、僕はロジュ様とお話したいとずっと思って、ロジュ様を見ておりましたので」


 ニコニコと笑うラファエルにロジュは不思議そうに藍色の瞳を向ける。


「ずっととは、いつからだ?」

「十一年前のパーティーからです。ロジュ様、僕のこと覚えていらっしゃいますか?」

「……? 申し訳ない、記憶にない」

「それで構いません」


 ラファエルは覚えていないと言われたのにも関わらず、心底嬉しそうな表情を浮かべる。覚えていない。それはロジュにとって、特別なことではなかったということになる。ラファエルはロジュに救われたが、ロジュにとっては当たり前のようにできる行動であった、ということだ。それが心底嬉しい。思い出せないことを申し訳なくなっているロジュに対し、ラファエルの心は明るかった。


「話しかけづらい雰囲気だったのなら、謝罪をしよう。申し訳ない」

「ええ? ロジュ様、謝らないでください。十一年間話しかける機会はあったはずなのに勇気を出さなかった僕が悪いのです」


 ロジュは自分が周囲の人に敬遠され、苦手に思われているとずっと思っていた。しかし、ラファエルのように話しかけようと思ってくれている人はいたかもしれない。その機会を逃していたとするなら、勿体無いことだと少しだけ後悔を感じた。自分に進んで話しかけてくる人はいない、と決めつけていた、そんな自分に。もしかしたら、自分の努力が足りなかったのかもしれない。諦めが早かったのかもしれないとロジュは思った。


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