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二十、点をつなぐ線

 聞き馴染みのある低めの声と同時に、壁が崩れ落ちた、かのように見える。あったはずの壁はなくなり、それは赤へと色を変えて、床に置かれている蝋燭の炎へと形を戻す。壁がなくなった場所、そこに佇む人は。


「ロジュ……」


 ウィリデが思わず声を出す。勘の良いウィリデですら気が付いていなかった。部屋を出て行ったはずのロジュがまだいるなんて。ロジュは「本物の」壁にもたれて立っている。


「先ほどまでの壁は、ロジュ様がお作りになったものですか?」

「そうだ。炎で作った幻影だ。まるで本物のようだろう」


 驚きで動けなくなっているウィリデとテキューとは違い、リーサがロジュに声をかける。


 崩れた壁のようなものが炎へと形を変え、ロジュの持つ蝋燭へと戻っていくのに、リーサは見惚れていた。リーサは地面を見てみる。先ほどのは幻影であり、炎が姿を変えたものとロジュは言っていた。それにしては地面に焦げた後なんて残っていない。それが意味することは、炎の性質を変えて燃えないようにしていたか、地面にはつかないように僅かに浮かせていたか。どちらにしても驚異のコントロールであろう。そこまでフェリチタを従えられるものなのか。




 ロジュは最初にウィリデとリーサと部屋に入った瞬間から炎で偽物の壁を作っていた。誰も、気がついていなかった。ロジュは偽物の壁よりも後ろにある廊下に面した窓から入り、部屋にいたのだろう。窓の鍵が開いているかなどは問題ない。この部屋を提案したのは、ロジュであるのだから。


「ええ、素晴らしいですわ。私にも作れるでしょうか?」

「練習したらできるんじゃないか? ただ、これは秘匿方法だから、やるならこっそり練習してくれ」

「はい。分かりました」


 二人の会話は平穏なものであった。ロジュがニコリ、と笑みを浮かべるまでは。


「ところで」


 ロジュを纏う雰囲気が一変する。軽く首を傾けたロジュは美しく笑みを浮かべた。しかし、目は一切笑っていない。彼の藍色がいつもよりどす黒く見える。笑みの中に怒りを隠す方法はまるでウィリデの怒り方のようだ。


「随分と楽しそうな話をしていたようだな、俺抜きで」


 そしてテキューへと視線を向ける。その視線に温厚さはすこしも混じっていない。


「なあ、テキュー。俺が初めて聞く話が多かったようだが、事実か? 俺よりも状況を把握しているんじゃないか?」

「……。どこから聞いておられたのですか、ロジュお兄様」


 恐る恐るといった様子で尋ねるテキューだが、ロジュの表情が和らぐことはない。


「全部に決まっているだろう。最初から最後まで」


 ロジュの言葉にテキューは顔を覆う。その後、天井を見上げた。ついに知られてしまっただろう。ロジュへの想いを。テキューが如何にロジュを陶酔しているかを。ウィリデの予言めいた言葉が脳裏をよぎる。彼はテキューが自分の気持ちを伝える日は近い、と述べていた。

 一方で、テキューは安堵を感じている。知られてしまったなら、隠すために気を張る必要はもうない。伝えることができる。伝える気なんて少しもなかったはずなのに、知ってほしいという欲は自分の中に芽生えていたようだ。


「ロジュお兄様、僕は……」


 手が震える。頬が熱を帯びる。その理由を緊張ゆえだとテキューは思っている。ロジュに自分の気持ちを伝えることができるという歓喜が混ざっていることを本人は気がついていない。


「お兄様、僕はずっとロジュお兄様のことを……。敬愛しております」


 敬愛なんて言葉で伝えられるほどの思いではない。もっと複雑で、ごちゃごちゃしていて、ドロドロしたものだ。それでも、先ほどまでの話を聞かれてしまい、恐らくロジュにバレたであろう自分の気持ちをこのように表現するしかなかった。


「なんの、話だ?」


 思い切って、彼が持ちうる限りの勇気を振り絞って、自分の気持ちの一欠片を伝え、そっとロジュを見上げたテキューが見たのは、ロジュの困惑だった。ロジュが訳のわからないといった表情をしているのを見て、テキューは思わず動きを止める。


 何かが、おかしい。


「お前が俺を尊敬? それを信じろと?」


 なぜ、伝わらないのだろう。先ほどまでの会話を聞いていたというならば、一体なぜ。ロジュほどの察しがよく、頭の回転が速い人間に、なぜ理解してもらえない。テキューは頭が真っ白になる感覚を鮮明に味わった。


 ウィリデがため息を一つ。やっぱりこうなったか、と考える。

 ウィリデがテキューへ警告したことはまさにそれだ。今になってそれをロジュが簡単に信じるか、というと信じないだろう。信じない、というよりは理解できないはずだ。


 ウィリデはため息をついた。テキューと話を始めてから何度目か分からない。そして自分以外の三人を見渡し、ゆっくり口を開いた。


「情報をいくら持っていたところで、所詮は点だ。点を繋ぐ線がないと、正しい解釈はできない」


 ウィリデの表情は憂いに満ちている。自分が誰にこの言葉を伝えたいか、ウィリデ自身にも分かっていない。ただ、彼の考えていたことが口からこぼれ落ちただけだ。


「……。俺には線が足りないということか?」


 最初に口を開いたのは、ロジュだった。ロジュの察する能力は全く問題ないのだ。それがこの反応の早さからも証明される。悪いのは、周囲の環境であって。


「いや、ごめん、深い意味はないんだ。気にしないで」

「……わかった」


 ここでウィリデが全く関係ない話をするはずがない。そのように感じて、あまり納得していなさそうなロジュだが、ウィリデの言うことを疑うことはほとんどしない。あっさり引き下がった。


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