十九、自分は人を救えない
「それでは、何が起こってロジュ様の髪の毛は短くなったのですか? 今もロジュ様が十年前よりも髪を伸ばしていらっしゃらないことは関係ありますか?」
「では何が起こったか、から説明します」
リーサの疑問に対してテキューは再び説明を始める。
「暗殺者は複数人。ロジュお兄様とクリムゾン公爵令嬢の方へ向かっていきました。通常であれば護衛が近くにいることでしょう。しかし、その時はいなかったのです。故意か過失かは僕には分かりません。とにかく、ロジュお兄様がお一人で複数の暗殺者と対峙しました。お兄様は短剣をお使いになり、難なく暗殺者を戦闘不能な状態にしました。暗殺の依頼者が誰かを調べるために、殺さないようにしながら」
ロジュは短剣を扱うのを得意としており、普段から隠し持っている。それを使い、暗殺者を一人で撃退した。
殺さずに戦闘不能な状態にするのは、殺すよりも難しい。絶妙な手加減ができるロジュは、剣の腕が高いと分かるだろう。テキューがロジュの軽い身のこなしを脳裏に浮かべる。自分の想像上だけでも格好いい。そこまでテキューが考えたところで、自分の表情はどのようものだったか、テキュー自身には分からないが、ウィリデの表情が面倒くさそうに歪んだ。そのことに気がついたテキューは話を再開させることにした。
「暗殺者に気がついた互いの親や軍の兵士がやって来ました。そして兵士達は暗殺者を牢へ連れていきました。その後、クリムゾン公爵令嬢を別室に連れていき、休ませることとなりました。問題はその後です」
テキューの瞳は輝かんばかりの赤であるはずなのに、その目が一気に影を帯びる。
「ロジュお兄様は偶然聞いてしまったようですが、あの女はあろうことかお兄様と婚約したくないなどとのたまったそうですね。……本当に腹が立つ」
燃えるようでありながらも暗い色を放つ赤は近づくと火傷をしそうで、見る者の不安を煽るような色だ。リーサは思わず一歩下がる。その一方でウィリデは表情一つ変えない。
「暗殺者に恐れをなしたという理由なら僕は何も言いません。ソリス国は比較的安全とはいえ、ソリス城ではたまに起こりうることです。しかし、あの女は。ロジュお兄様のことが『好きになったから』婚約したくないと言うのです」
テキューは考えるのも嫌だと言いたげに、橙色の髪をかきあげる。不思議そうにリーサは首を傾げた。
「申し訳ありません、全く理解ができないのですが……。好きになったのなら、外堀を埋めるためには婚約をするべきなのでは?」
リーサの言葉に沈黙が流れる。リーサは何も間違ったことは言っていない。間違っていないのだが、あまりにも当たり前のようリーサは、欲しいものはどんな手段を使っても手に入れる性格なのだろう。ウィリデは思わず苦笑した。自分の妹は思っていた以上に、欲しいものには手段を選ばないかもしれない。
「リーサ殿下、恐ろしいことを考えますね、外堀を埋めるなんて」
テキューはそう言うが、表情に怯えなんて一切見えない。ウィリデはそんなテキューに対し、疑わしげな瞳を向ける。
「白々しい。強硬派なのはお前も同じだろう」
ウィリデはテキューに対して辛辣だ。テキューは乾いた笑みを浮かべる。
「はは、ウィリデ陛下、ご冗談を。僕ほどの穏健派は滅多にいませんよ」
ウィリデはテキューのその言葉に向かって否定の言葉を発しかけた。お前が穏健派なわけあるか、と言いかけたが、諦めたように首を振って深く息を吐いた。いちいち相手にすると疲れる。
「それで、テキューはその理由に対してどう思っているんだ?」
「腹立たしいです」
テキューは顔を歪めた。
「どうせ、ロジュお兄様に愛してほしい、とでも思ったのでしょう。政略結婚が嫌になったのでは?」
興味なさそうなテキューの言葉に、ウィリデは考え込む様子を見せた。本当に、クリムゾン公爵令嬢はそのような理由でロジュとの婚約を嫌がったのだろうか。
「どうかしました、兄上」
リーサからの声に対し、ウィリデは緩やかに首を振った。今考えてもおそらく答えは出ない。
「いや、それだけではない気がして……。まあ、今はいいか」
「話を続けますね」
ウィリデの考え込む様子を気にせず、テキューは口を開く。
「婚約を断るという話をたまたま聞いてしまったロジュお兄様は、自分の部屋に戻って何をしたか。分かりますか? ウィリデ陛下」
「……。ハサミを手にした、か?」
「流石ウィリデ陛下」
ヒントはほとんど出ていないはずだが、あっさりと話の先を読むウィリデ。自分の兄のことながら、リーサは考えを理解できないことは多々ある。それはこの話も同様だ。
「申し訳ありません。話の流れを教えていただいてもよろしいですか?」
リーサの言葉にテキューは頷く。きちんとした説明はまだ終わっていない。ウィリデは勝手に悟っただけだ。
「わかりました。簡潔に言うと、ロジュお兄様は自らの手で自分の髪をお切りになられたのです」
あっさりと、何でもないことのようにテキューは言うが、そんなに軽い話でもないだろう。
「理由は御本人にお聞きしていないのではっきりとは分かりませんが……。恐らくロジュお兄様が感じた感情は『絶望』」
その言葉を聞いたウィリデの表情は陰る。ロジュは、傷つき、辛い思いをしたのだろう。それが痛ましい。
「絶望、ですか……。それほどクリムゾン公爵令嬢に断られたのがショックだったということでしょうか?」
急に絶望という言葉が出てきたのが、リーサは分からない。リーサの言葉にテキューは首を振る。
「それはないでしょう。僕の予想ですが……。ウィリデ陛下のようには自分はなれない、と思ったのでしょう」
ロジュにとって、ウィリデは救世主のような存在。自分も誰かを救いたい、とロジュは思っていたのだろうが、クリムゾン公爵令嬢はロジュとの婚約を拒否した。自分の行動が裏目にでたとき、ロジュは何を感じるのだろうか。
恐らく絶望だろう。自分は人を救えない、という絶望。
だからこそ、ロジュはウィリデのようになりたい、と伸ばしていた髪を切った。その望みを捨てよう、という気持ちで。
実際は裏目になんて出ていない。むしろ、正しかっただろう。だからこそクリムゾン公爵令嬢はロジュを好きになった。
しかし、ロジュ本人が失敗した、と思っているのならば失敗と同義だ。ロジュ自身には伝わっていない。彼の影響を理解していない。
ウィリデは自分の頭を押さえた。ロジュの周囲では何でこんなに話が複雑化してしまうのだろう。実際はロジュにとって柔らかい世界であるはずなのに。
「正解だ。よく分かっているじゃないか」




