十四、初恋の自覚
いつも通り、ロジュの仕事部屋。ロジュ、ラファエル、シユーランがいる部屋で、ロジュは眉をひそめた。目の前にいる男との付き合いが増えてきたが、いつもとは明らかに様子が違う。
どこかぼんやりとしており、先ほどから手が止まっている。いつもは作業中は口も手も動いているというのに、今日はどちらも動いていない。いや、口はともかく手が動いていないのは困るのだが。
ラファエルに悩み事。それがあまりしっくりこず、ロジュはシユーランの方を見る。ロジュの視線に気がついたシユーランも、不思議そうにこちらを見て首を振った。彼も知らないらしい。
どこまで踏み込んで良いかを考えたが、やはりラファエルが心配だ。ロジュは口を開く。
「ラファエル」
「……」
「ラファエル」
ロジュが二度目に声をかけたことで、ラファエルが肩を揺らした。慌てたように笑みを浮かべたラファエルが、こちらを向いた。
「はい、ロジュ様。なんですか?」
彼の表情に焦りが浮かんでいることから、自身がぼんやりしていた自覚はあるのだろう。やはりそんなラファエルは珍しい。相当疲れているのだろうか。
「疲れているなら、帰ったらどうだ?」
「疲れてないです」
即座に否定され、ロジュは困り果てた。疲れているのではないなら、どうしたのか。考えても答えは出ないため、ラファエルに尋ねる。
「じゃあ、どうした?」
「それは……」
口ごもったラファエルの様子をロジュはしばらく見守った。しかし、ラファエルが何も言わないため、念のために付け加える。
「言いたくないなら、別に構わない。それでも、悩みがあるなら聞こう」
「ある人のことが、脳に焼きついてどうしようもないときってどうしますか?」
ロジュは黙り込んだ。そもそも、ロジュに人間関係の相談をするのは間違っている。最近では会話できる人が増えてきているとはいえ、経験値は少ない。
「……シユーラン」
「無理です」
シユーランの返事は妥当だ。彼は周囲から疎まれ、馬鹿にされていた期間が長く、まともな人間関係の構築ができていない。
この3人の中で、1番それに慣れていそうなのがラファエルだ。その彼から相談をされても、答えられるはずはない。
ロジュはどうにかラファエルの言葉を理解しようと、尋ねる。
「その人のことを、ずっと考えてしまうということか?」
「まあ、そう、なんですかねー?」
ラファエルの返事は曖昧だ。彼自身も分かっていないのだろう。
誰かのことを考え続けてしまう状況。それは、どんなときか。それだけ、ラファエルの感情が揺さぶられたに違いない。良い方か、悪い方かは分からないが。
少なくともロジュなら、自身の感情が大きく動かされたときには、しばらくそのことを忘れられないだろう。
ロジュが考えていると、シユーランがふと思いついたように言う。
「そういえば、私がエレンに恋をしていたとき、そんな感じでしたね」
「……は」
ラファエルが、小さく声を零した。それは、考えもしなかった、というように驚きの声だった。動かなくなってしまったラファエルを見て、ロジュは怪訝に思い声をかける。
「ラファエル?」
「……」
ロジュは黙っているラファエルを見る。その頬がじわじわと朱色に染まっていくのを見て、ロジュは瞠目した。そんなロジュの驚愕に気づいたのかは分からないが、ラファエルは立ち上がった。
「すみません、今日は失礼します」
「……ああ」
すたすたと部屋から出ていくラファエルを、ロジュとシユーランは呆然と見送った。あんなに、動揺して照れたラファエルは過去に見たことがあっただろうか。
ロジュは、思わず言葉を零した。
「え、あいつ、恋したのか?」
「そう、なんですかね?」
ラファエルは、どちらかと言えば恋愛に冷めている方だと思っていたが。それが、あそこまで心あらずになるとは思わなかった。
ロジュは一度手元の書類を置いた。爆弾のような情報をおかれて、仕事になるはずがない。シユーランはその意図をくんだようで、お茶を持ってきてくれた。礼を言いながら受け取ったロジュだったが、ラファエルのことをやはり考え続けてしまう。
「あいつが惚れた人……。誰だろうな?」
「気にはなりますね」
シユーランも知らないようだ。それなら、ラファエルだけでいるときに出会ったのだろう。どんな人だろう、と考えるが、ラファエルの好みは知らないため、すぐに諦めた。
そんなことよりも、ロジュが枷にならないことを祈るばかりだ。ラファエルがロジュに忠誠を誓っていることは非常に助かっているが、それが邪魔にならないと良い。
ロジュだって、友人の幸せを祈っているのだ。
「気にはなるが、余計なことはしたくないから、俺はしばらく静観で」
「私もです」
ロジュの言葉に、シユーランも頷く。人間構築の経験が少ないロジュとシユーランは何かするだけ無駄だろう。
「ラファエルのことだから、数日以内に対処するはずだ」
恋を成就させるか。あるいは失恋するのか。どうなるかは神のみぞ知ることであり、相手次第でもある。そもそも、ラファエル自身が気づいたばかりだ。
それでも、ラファエルは上手いことやるだろう。そんなロジュの予想に、シユーランが首を傾げた。
「でも、ラファエルにとっても初めてのことでしょうから、時間がかかる可能性もありますよ」
「恋に振り回されるラファエル……。想像はできないな」
ラファエルの行動は、突拍子もなく見えることもあるが、それでも彼はある程度裏打ちされた情報と、知識に基づいていることが多い。感情を爆発させるところだって見ない。
しばらくラファエルのことを考えていたロジュだったが、やがて肩をすくめた。
「……まあ、普段の生活に影響が出ないようにしてくれれば、それで良い」
「そうですね。それで、ラファエルが納得できる結果になればそれで」
「ああ」
ラファエルの人生だ。ロジュには、祈ることしかできない。側近でもあり、友人でもある彼のことを思いながら、ロジュはやるべきことに思考を戻した。




