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七、情

「良かったじゃないか、テキュー」


 ソリス城内ですれ違ったときに、テキューはロジュから声をかけられた。固まったテキューを見て、ロジュがくすりと笑った。


 ロジュも、気がつけば表情が豊かになっていたものだ。いつからだったのだろう。そして、テキューは何を見ていたのだろうか。ロジュのことをずっと見ているつもりだったのに、気づけていなかった。


 これからは、ちゃんと気づけるだろうか。そんなことを考えながらテキューはロジュに返事をする。


「ロジュお兄様。もうご存じなんですね」


 ロジュの発言は、エヴァと結婚の約束をしたことを示しているのはすぐに分かった。しかし、いまだに口約束。父王にすら言っていない。


 テキューが感心しながら言うと、ロジュは口角を上げるようにして笑った。


「お前と張り合えるほどの情報の達人を味方にしたからな」


 その楽しげな口調にテキューは瞬きをした。ロジュは今まで、基本的に人に頼らなかった。調査などを配下にやらせるテキューとは違い、自力でしていたはずだ。


 そんなロジュが、頼れる相手。テキューの脳裏に、桃色の髪に薄紫色の瞳を持つ男が思い浮かんだ。


「……ラファエル・バイオレットですか?」

「さあな」


 ロジュはにこりと笑って教えてくれなかった。他に誰かいるだろうか、とテキューは考える。


 ロジュの近くにいるのはラファエルとリーサが多い。リーサが情報を集めることもあるだろうが、彼女自身は情報収集ができると思いがたい。シルバ国のフェリチタからリーサは加護を受けていないため、シルバ国の人間を経由する必要が出てくる。すると情報を手にするまでに時間差が生じる。


 そう考えると他に誰がいるか。


 特に思い当たらず、テキューは首を傾げた。ロジュと親しくしている人間にはエドワード・マゼンタもいるが、彼の家は農業が有名であるため、情報源とは関係ないだろう。


 考え込むテキューのことを、ロジュは笑みを浮かべながら見ていたが、正解は教えてくれなかった。もちろん、ロジュが情報源を簡単に口にするとは思っていない。


 聞き出すのは諦めて、テキューはエヴァとの話について尋ねた。


「ロジュお兄様は、こうなることを望んでいましたか?」

「いや、別に」


 即答だった。ロジュはテキューにそんなに興味がないのだから仕方がないことだが。それでも少し俯いた。


「誤解するなよ。お前に興味がないと言っているわけではないからな」


 ロジュの淡々とした声で言われ、テキューはロジュを見つめた。ロジュは困ったようにテキューを見つめ返している。


「じゃあ、なんで」

「お前が選んで決めたことだ。俺の意思などどうでも良いだろう」


 ロジュにはっきりと言われ、テキューは顔を歪めた。言いたいことは分かる。それでも、テキューは不満を口にした。


「僕にとっては、ロジュお兄様の意思が大事です」


 テキューの言葉にロジュが首を傾げた。深紅の髪がふわりと揺れる。その美しい髪に目を奪われていると、ロジュが凜とした声で言う。


「でも、お前は自分とエヴァ・クリムゾンの意思で決めた。決めることができた。その事実が1番大事だろう?」

「……あ」


 そうだ。テキューは、決めた。今回はロジュのいう「正しくあること」を考えると。それに従って動いた。テキューはエヴァの意思を尊重しながらも、自分が良い人間になれそうな道を探している。


「でも、ロジュお兄様みたいに上手くできたかは分かりません」


 テキューがロジュから目を逸らしながら言うと、ロジュの不思議そうな声が聞こえてきた。


「俺みたいになろうとしてどうするんだ? 意味がないだろう。俺だって正しい人間ではないのだから」

「……」


 ロジュを追い込んだのは自分だという自覚はある。ロジュから何らかの感情を得られるのなら、それでも良かった。


 今は。できればロジュから良い感情をもらいたいし、困らせたくはない。傷つけたくもない。


「それじゃあ、ロジュお兄様。褒めてください」


 これが褒められるような行動かは分からない。エヴァに側にいてもらうということを選んだが、その結果は出ていないのだから。


 それでもロジュが今回の件に肯定的なのだから、強請ったらいけるのではないか。テキューの言葉にロジュは困ったように笑ったあと、テキューの頭に手を伸ばした。


 どこかぎこちない手つきで、ロジュがテキューの頭を撫でる。その事実に、テキューは口角を上げた。今まで、ロジュから頭を撫でられた人はほとんどいないのだろう。その事実に少しだけ心が浮き上がった。


 テキューの髪から手を離したロジュが、思い出したように尋ねてきた。


「そういえば、テキュー。最近、母上が忙しいかは知っているか?」

「母上が? 今の時期はマシだと思いますが」

「そうか」


 テキューはロジュの表情を確認した。そこに緊張が混ざっている。しかし、今までは母の方がロジュを避けていただけではなく、ロジュも母には近寄らなかったはず。


 テキューは不思議に思いながら尋ねた。


「お母様に用事ですか?」

「……まあ、そうだな。約束をしたから」


 約束。何のだろうか。じっとロジュを見つめるが、それ以上は言うつもりがないらしい。黙り込んでしまった。


 2人の最近の接点を考えたところで、1つ心当たりがあった。そういえば、ロジュが王太子となったことを祝うパーティー。ロジュが母、グレース・ソリストをダンスに誘ったという。そこで何かを話したのだろう。


 何となく事情が見えてきたが、テキューは素知らぬ顔をして質問を重ねる。


「お茶でもするのですか?」

「……母上の時間に余裕があれば」


 聞かれれば教えてくれるらしい。だから、テキューは何にも気がついていないふりをして、また質問をした。


「なぜ、急に?」


 テキューの問いに、ロジュは窓の方へと目を向けた。外を見ながら、ぼそりと呟く。


「……人への情が、必要だから」


 すっとテキューは息を呑んだ。その言葉は、どこかで聞いたことがあった。


 『例えば、全てがどうでも良くなったとして。世界を壊したくなったとして。世界を恨んだとして。それでも、最後に思いとどまる何かがあるとするならば。それは人間の絆、繋がりではないですか?』

『この人の期待を裏切りたくない。この人に悲しんでほしくない。この人のいる世界を壊したくない。それが、最後の思いとどまる可能性なのではないでしょうか』


 それは、リーサの言葉だ。ロジュ、ウィリデ、リーサがいる場で「赤い瞳の慣習」の話をしていたとき。リーサがそんなことを言っていた。


 近くで見ていたテキューからすると、リーサのそのときの言葉はロジュに深く突き刺さったように見えていた。


 その予想はきっと正しかった。だから、ロジュはリーサの言葉を意識し、人と交流をしようとしているということだろう。


 その手始めが、母のグレース・ソリスト。


 前は、ロジュの近くに人がいるのは気に食わなかった。しかし、今は。それを受容するのが良いのだと理解した。ロジュも、強いだけの人ではないから。支えがないときっと折れてしまう。


「ロジュお兄様」

「なんだ?」


 応援している、と言おうと思った。しかし、そんな上から目線な言葉は出てこなかった。それよりも、テキューが伝えられることはなんだろうか。少し考えたあと、ロジュの藍色の美しい目を見ながら言った。


「……また僕ともお話してください」

「ああ」


 一度、ロジュの大事な人を殺したテキューが、ロジュの「枷」にはなりえないだろう。それをテキューは言ったあとに気がついた。しかし、ロジュは特に言及することなく頷いてくれた。

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