十六、外堀
「シルバ国から来ました。リーサ・シルバニアと申します。よろしくお願いします」
ロジュは廊下を歩いていた。留学してきたリーサが挨拶をしているのがロジュの元へまで聞こえてくる。リーサはシルバ国の王族だ。しかし、五年間の鎖国期間もあって、顔はあまり知られていない。髪の色で予想がつきそうなものだが、それでもリーサは丁寧に挨拶をしている。
この前ウィリデが正式にリーサのフェリチタが炎であることを公表したため、周囲からの興味も増しているのだろう。多くの人がリーサに近づいている。
「ロジュ様、こちらにいらしたのですね」
ロジュのことを見つけたリーサがこちらに向かってきた。一応この前の邂逅は公のものではなかったため、知り合いの体で話すか初対面の体で話すかを迷っていたロジュは、リーサが知り合いで通すことを選択したことを悟った。
周囲の学生はリーサが気軽にロジュへと話しかけたのを見てざわついている。
「リーサ殿下、先程ぶりですね。ソリス国はどうですか?」
ロジュは『さっき会った』というシナリオで進めることに決めた。
「ソリス国もいい所ですね。ところで、ロジュ様。リーサと呼んでくださいと言っていますのに。呼んでくれませんの?」
リーサがニコリ、と微笑む。その笑みはどこかウィリデと似たものを感じる。
「ご容赦ください、リーサ殿下。いきなりお名前だけでお呼びするなどできません」
ロジュはリーサの要望を拒絶した。公の場ではまだ呼ばない、ということだ。
二人のやり取りを見ていた周囲の生徒は戸惑いを隠せない。
「え、あの二人ってどういう関係なんだ?」
「王族同士だから、着いた時に挨拶とかしたんじゃないか?」
「それにしてもリーサ殿下は『ロジュ様』と呼んでいるぞ。もしかしたらそれなりに親しいとか……」
「でも、ロジュ殿下は断っているから、そういうわけではないのかも……」
困惑を隠そうとしない周囲に対して、ロジュは気にも留めない。どうせ真実が分かるはずはないのだから。
「そういえばリーサ殿下、陛下は今どこにいらしているのですか?」
ロジュは周囲を見渡したが、ウィリデの姿は見えない。
「兄上なら、十年前の留学時にお世話になった教授へ挨拶をしにいくと言っておりました。そろそろこちらに来るのではないかしら」
リーサの言葉が発し終わるか終わらないかのタイミングで廊下の奥がザワザワとうるさくなった。そしてそのざわめきの原因となっているのは、勿論。
「ウィリデ陛下」
ロジュが呟く。ウィリデはすぐにロジュとリーサに気がつき、満面の笑みで手を振った。
「ロジュ、リーサここにいたのか」
ウィリデの発言にさらに周囲は動揺する。
「今、ウィリデ国王陛下が第一王子殿下のことを呼び捨てで呼んだよな」
「十年前のパーティーで親しくなったという噂は本当だったのか」
しかし、ざわつきもすぐに沈黙へと変わる。ロジュの表情を見た人たちは次の言葉を発せなくなった。ロジュは大切なものを見る優しげな眼差しで、ウィリデを見つめていた。また、彼の表情は心底幸せそうな美しい笑みが浮かべられていた。ロジュのそんな表情を見たことがなかった周囲の人たちは驚きを隠せない。
「ウィリデ陛下、お会いできて嬉しいです」
「ロジュ、会えてよかった」
「兄上、もうお話は終わったのですか?」
リーサがニコリと笑ってウィリデに話しかける。
「ああ。大体終わった。リーサ、ここの雰囲気はどうだ? やっていけそうか?」
ウィリデの心配そうな様子でリーサに尋ねる。
「ええ。大丈夫だと思います。それにロジュ様もいらっしゃいますし、安心です」
「お二人とも、ここだと通行の邪魔になってしまいますので、場所を移しませんか?」
ロジュへの信用を隠そうとしないリーサにロジュは、これ以上人前で話すとよくないと判断した。リーサとロジュの関係を勘繰られるのはロジュの望むところではない。二人が頷いたのを見て、ロジュは空いてる場所の候補を思い浮かべながら、二人を連れて行くことにした。
「リーサ、あまりロジュを怒らせることはするなよ」
ロジュに人気のない空き教室へと案内されてすぐにウィリデが口を開いた。その表情は呆れを含んでいる。
「まあ、何のことをおっしゃっていますの?」
リーサは何もわかっていないような顔で微笑む。
「とぼけるな。ロジュとの婚約のために、外堀を埋めようとして、大勢の前で仲が良いとアピールしようとしていたのだろう?」
「兄上、全部わかっているのなら聞く必要ないのでは?」
対するリーサは全く悪びれる様子はない。
「リーサ」
黙って二人の会話を聞いていたロジュが言葉を発する。
「別にお前が何をしようが俺は構わない。だが」
ロジュは笑みを浮かべる。それは作ったものであるはずなのに、わざとらしさはない。藍色の目が柔らかい色を放ち、目を逸らしがたい色気を感じさせる。その瞳は彼の笑みを妖艶なものへとさせた。
「外堀を少し埋めたくらいで、俺を落とせると思うなよ」
その笑みにリーサは思わず動けなくなった。
「ロジュ様、そんな表情もできたのですね……。惚れなおしそうですわ」
少し顔を赤らめたリーサの言葉を聞いて、ロジュは呆れの表情へと変わった。彼の人を惑わす雰囲気はどこかへ消えていく。
「嘘つけ。一度も惚れたことないだろう」
リーサの言う「恋」を信じていないのは、ウィリデだけでなくロジュも同じだ。ロジュの指摘にリーサは首を振る。
「人聞きの悪いこと言わないでください。ロジュ様も白か黒でしか考えないタイプですの? 兄上と一緒ですね」
「じゃあ、最高を十とした時幾つなんだ?」
「そんな御本人に伝えるなんて、恥ずかしくてまだできません……」
「まあ、別にそこまで気になっていないからいい」
ロジュがあまり興味のなさそうな表情でいうため、リーサは内心悔しさを感じる。道のりは長そうだ。
「ロジュ様はまだ公表なさっていない婚約者の方などはいらっしゃらないのですよね?」
「それは私も気になっていた。どうなんだ、ロジュ?」
二人の興味に満ちた顔を見て、ロジュは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「……。婚約の話は持ち上がった。でも、断られた」
その言葉に二人は意外そうな表情を浮かべる。
「ロジュ様との婚約というお話を断る方がいらっしゃるのですね」
リーサはソリス国の貴族にとって、ロジュを婚約者に、と考える人は多いのだろう、と考えていた。だからこそ、断る人間がいるのは信じがたい。
「もし言いにくい話だったら言わなくて良いのだが、理由とかはあるのか?」
ウィリデは不安げな表情を浮かべる。ロジュが傷ついていないか心配で。そしてそれを思い出せることが彼を再度傷つけないかも怖くて。その気遣いはロジュにしっかりと届いていた。ロジュは少し表情を和らげる。
「理由、か。それは正直なところ分からない」




