六十六、身勝手な、呪い(あい)
シルバ国から戻ったロジュは、いつもどおり就寝の準備をしていた。
窓の外から人の気配がする。警戒をしながらそちらを見ていると、コンコンと叩かれた。
侵入者なら、ご丁寧に叩くことはしないはず。
ああ。なるほど。少し考えたらすぐに思い当たった。ロジュは窓を開ける。
「どうした? エドワード」
部屋のバルコニーにいた鳶色の髪を持つ男。ロジュを見た瞬間に片膝をついた。
エドワード・マゼンタ。ロジュがラファエルを通じて調査を頼んでいたはずだった。彼がこんな時間に来るということは何か分かったのか。
「夜分に失礼します。ロジュ様」
「お前が必要だと思ったのなら、問題ない。話が長くなるのなら、部屋に入るか?」
エドワードは少し迷う素振りを見せたあと、頷いた。
「失礼します」
エドワードは部屋に入るとすぐに、ロジュに複数枚の紙を手渡した。ロジュがは驚きながらも受け取る。
「こちらが調査結果です。ラフの分も、回収してきました」
「……速くないか?」
あまりにも速い。調査を頼んだばかりだというのに。しかもラファエルも資料ができていたというのか。
てっきり途中経過の報告に来たと思っていたが。目を見開いたロジュに、エドワードが困ったような表情を浮かべながら答える。
「一刻を争う話ですから」
「助かった。ありがとう」
ロジュが礼を言うと、にこりと彼は微笑んだ。ロジュは手渡された書類を開く前に尋ねた。
「今見てもいいか?」
「はい」
紙をぱらぱらとめくりながら、ロジュは自分の表情が強張るのに気がついていた。
そこに記されていた名は。既に何度も名前が挙がっていた人物だったから。
「ワイス・ベインティか……」
「ええ。王族に絞っていただけて助かりました。おかげで、すぐに特定しました」
ベイントス国の王太子。
ベイントス国。風と雲をフェリチタにもつ。国の特徴としては利己主義の傾向にある。
ウィリデが怪しいと口にしていたから、ロジュもその可能性が高いとみていたが。どうにも、納得しがたい。
「利己主義な国なのに、なぜ……」
ウィリデを呪う利点は何か。
ウィリデ・シルバニアが王として有能。それはあるだろう。ウィリデはシルバ国の発展に繋がる行動を取っているし、それがベイントス国の利益を減らしている可能性はある。シルバ国の王位継承権が第一位のリーサからなら、有利に交渉ができると考えたかもしれない。
しかし、リーサはロジュと恋仲の噂がある。ロジュも、シルバ国も何も発表をしていないが。ロジュが王太子となったことを祝うパーティーでロジュとリーサが踊ったことで、その噂は浮上したようだ。
それが噂に過ぎないとしても。ロジュがシルバ国と、特にウィリデと懇意なのは周知。
ウィリデ・シルバニアを害するということは。下手をすればロジュを、あるいはソリス国までも敵に回しかねないと考える人が多いだろう。少なくとも外形的にはそのように見えているはず。
また、目的がシルバ国を滅すことだとしても。世界が荒れるのは必須。その中で、ベイントス国が利益をとれるという確証もない。
どっちに転んでも危険な賭け。むしろ「勝利条件」は何か。破滅しにいっているようなものでは?
顔を顰めたロジュに、エドワードがおずおずと声をかけてきた。
「なぜ、ワイス王太子殿下が動いたか。それもそこにのっています」
「……すごいな、お前たち」
あまりにも有能。ロジュがまじまじとエドワードを見つめると、彼が照れたように視線を落とした。
「お褒めいただき、光栄です」
「いや、本当にすごい」
ロジュが自分で調査に動くより、断然良さそうだ。そう考えながら、紙を数枚めくった。
そこに記されていたのは、ワイス・ベインティがどのような言動をしていたか。
彼は、シルバ国が国を閉ざし始めた頃から様子が変わり始めたという。
ウィリデ・シルバニアがそんなことをするはずがない。正しくて、清廉潔白なウィリデがそんなことをするなんて、何かの間違いだ、と言い出した。
その後の様子も、ウィリデの状況を探っては一喜一憂をする日々だったという。
そして最近になって、ワイスの様子はもっとおかしくなった。
『ウィリデ・シルバニアは変わってしまった』
『こんなの、ウィリデ・シルバニアじゃない』
『間違いは正さないと』
こんなことを周囲に零し、自室に閉じこもる日が増えたという。
それを読めば読むほど、ロジュの中の呆れた気持ちが強まっていく。
「は。自分の望む人形でいてほしいとは。随分と身勝手な呪いだな」
「そう思います」
ロジュが零した嘲笑に、顔色を変えずにエドワードが頷く。
一通り流し読みが終わったあと、ロジュはエドワードに頭を下げた。
「エドワード。本当に助かった」
「いえ。ロジュ様。不躾ながらお伺いしても?」
「何だ?」
エドワードがロジュを真っ直ぐと見つめた。その苺のような色の瞳は、少し揺れている。
「マゼンタ侯爵家の信頼は、取り戻せましたか?」
「何の話……。ああ、エレンの件か」
不安げにしているエドワードを見て、ロジュは彼の言いたいことが何となく分かった。
エドワードの妹、エレンは、ファローン国で任務違反を犯した。監視対象である、シユーラン・ファローと接触をした上、シユーランに肩入れをした。
これは、ロジュがシユーランを連れ帰ってきたことで帳消しとなったといえる。処分などは大してされず、有耶無耶になった。恐らく厳重注意くらいで終わっているはず。
エドワードは次期当主として、焦っていたのだろう。裏では諜報の家門とされるマゼンタ侯爵家。その名誉を挽回しないと、と思っていた節があったということか。
その考えもあって、夜にもかかわらず、速さを重視してロジュの所まで来た。確かに、不審に思っていたのだ。礼儀を重んじるエドワードがわざわざこの時間に来たことを。
頷いたエドワードを見ながら、ロジュはしばらく言葉を詰まらせた。
「本当に申し訳ないが、この件は俺の『個人的な用事』に過ぎない。だから、ソリス国としてマゼンタ侯爵家の評価等は関係ないと思うが」
エドワードがそれを求めていたのなら、期待に添えなくて申し訳ない。そんな気持ちになったロジュに、エドワードは首を振った。
「違います。ほしいのは、ロジュ・ソリスト殿下の評価です」
「……俺の?」
何度か瞬きをしたロジュを見ながら、エドワードが口元に笑みをのせた。その目は、確信に満ちている。
「今回の件が国としての評価が変わるかはあまり重要ではありません。重視していたのは、次期王であるロジュ様からの心象や評価です」
「なるほど」
ロジュからの評価がほしかった。それなら、話は変わってくる。特に、今回はウィリデに関することだ。ロジュがウィリデを大切にしていることを察していそうなエドワードなら、この件でロジュのために動くことが如何に効果があるか。想像は容易いはずだ。
「それがお前の求めることなら。大成功だな」
「本当ですか?」
「ああ。俺の側近にしたいな」
本気でエドワードを側近にできるとは思っていない。以前、ラファエルが似たようなことを言ったときに、彼が断っていたことを覚えているから。
ロジュが冗談として言っていることに気がついたのだろう。エドワードは嬉しそうに笑った。
「はは。それは、評価を上げすぎましたね」
「そうだな。お前は有能さを示しすぎた」
互いに冗談めかした応酬のあと、エドワードが深々と礼をした。
「それでは、夜分に失礼しました。他に疑問や追加の調査の必要がなければ、失礼します」
「エドワード。助かった。ありがとう」
「いえ。こちらこそ、諜報の人員として名前を挙げてくださり、ありがとうございました」
窓から去って行ったエドワードを見送り、ロジュは軽く息を吐いた。
この後、どう動くか。




