六十三、呪いの浄化
「それでは、ロジュ様がここにシルバ城にいた日の朝。何をなさったか、伺っても?」
「あの日の朝、か」
シユーランの問いかけに、ロジュは記憶をたどる。そこまで珍しいことをした記憶はない。
「ウィリデの部屋で、特に変わったことはしていないと思うが。ウィリデに触れることもしていない。名を呼んで、少し話しかけたくらいだ」
「試してみて、いただけますか?」
シユーランに言われ、頷いたロジュはウィリデに近づく。
「ウィリデ」
名を呼んだ。しかし、ロジュの目には何も変わっていると思えない。シユーランを見る。彼は首を振った。
「ロジュ様。他に、何かなさいましたか? ウィリデ国王陛下の前でなくても、シルバ城の中で」
ロジュはその日の記憶を思い出しながら口を開いた。
「朝、だよな。少しリーサと話して。いつものように太陽のフェリチタに祈って。食事をして、ライリー――ウィリデの側近と話をして。ウィリデの部屋に来て、ソリス国に帰ったという流れだったと思うが」
「ロジュ様。祈ってください」
「え?」
祈りに、そんな効果はあるのか。ロジュは疑問に思ったが、シユーランに黙って従うことにした。
窓の近くで、太陽に向かって祈る。
この前の朝は何を祈ったのだったか。確か、この地の平和。ソリス国の安定に祈りと感謝。それから、ウィリデの無事も込めて祈ったような気がする。
同じことを続けた。おそらく、この前よりも長く。シユーランが止めないということは、何らかの効果があるのだと信じて。
突然。ぶわりと部屋の空気が軽くなった気がする。
「え……?」
「ロジュ様、続けてください!」
戸惑うロジュに、シユーランは彼にしては珍しく鋭い声を出した。ロジュは何が起こっているのか分からないまま、意識を外の太陽に集中させる。
「ロジュ様、ありがとうございます」
シユーランの落ち着いた声で、ロジュは目を開けた。太陽の光を急に浴びたことで顔をしかめる。太陽は好きだが、この目を開けた瞬間の感覚は苦手だ。
目が慣れてきてから、シユーランの方を振り返る。
「シユーラン。効果が、あったのか?」
「ええ」
そのシユーランは、先ほどの鋭い声が聞き間違いかと思うほど、穏やかな表情をしている。彼は部屋を見渡しており、その目は安堵に満ちていた。
「これで、大丈夫だと思います」
「大丈夫、とは?」
「ウィリデ国王陛下は、直に目覚めると思います」
「……?」
シユーランの言葉がすぐにはのみ込めず、ロジュは首を傾げた。そんなロジュの戸惑いを見たシユーランが困ったように笑う。
「えっと……。え? これだけで?」
「はい」
「え?」
ロジュがやったことは、いつものように太陽に祈っただけだ。特別なことは何もしていない。シユーランを見る。彼は少し考え込んで口を開いた。
「ロジュ様が祈ったときに、明らかに部屋の空気が軽くなりました。それでロジュ様が続けて祈っているうちに、その汚い空気が綺麗になってきて」
「浄化された、ということか?」
「あ、そうです。多分それです。浄化」
太陽に、浄化する機能があるのだろうか。ロジュが考え込んでいると、シユーランが何かに気がついたように目を見開いた。
「これだと、ロジュ様のお力か、太陽のフェリチタのよる効果か分からないですね」
「……太陽のフェリチタの影響じゃないか?」
ロジュの言葉に、シユーランは納得していなさそうだ。彼は軽く首を振る。
「私はロジュ様だからできたことだと思います」
「なぜ、そう思う?」
「普段の朝から、思っていました。ロジュ様の祈りは他の人と違う、と」
「違うのか?」
思わぬ言葉に、ロジュは何度か瞬きをした。普通に祈っているだけだ。そんなロジュを見て、数秒間の沈黙のあと、シユーランが口を開く。
「静謐で。芯がぶれなくて。目が離せなくて、気がつけば視線が引き寄せられている。ロジュ様の祈りを見ていると、まるで炎を見ているかのような心地にあります」
シユーランは真顔で言っているため、本心だということがしっかりと伝わってきて、ロジュは目を伏せた。
炎みたい。その言葉が核心をついていそうだ。
「太陽だけではなく、炎からも加護を受けていることに関係があるかもな」
「その可能性は高いと思います」
この世界で、2つのフェリチタから加護を受けているとされているのは、ごく僅か。少なくとも、ソリス国ではロジュくらいだ。
「呪いの、浄化か……」
シユーランを疑う気はないが、本当にできたのかはよく分からない。ウィリデに視線を戻した。
その時、彼の長いまつ毛がゆっくりと開くいた。
「ウィリデ」
ロジュが声をかけると、若草色の美しい瞳がはっきりとロジュを捉えた。
「ロ、ジュ……」
少々掠れた声だが、ウィリデが自身の名を呼んだのをしっかりと聞き、ロジュはぐっと目元が熱くなる感覚がした。
「……人を、呼んでくる」
「まって」
部屋の外に行こうとしたロジュは、起き上がったウィリデに手首を掴まれ、その場にとどまった。
「なんだ?」
「ありがとう、いろいろ」
その言葉に、ロジュは思わず笑みをこぼした。
「状況の把握が速すぎないか?」
ウィリデがどこまで気づいたのかは分からないが。少なくとも先程目覚めた人の言葉とは思えない。
「意識は、あったから」
「……え? は?」
「ロジュが来てくれるのは、3回目だよね」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。そのウィリデの言葉を理解した途端、だんだん頬が熱くなる感覚がした。
全部筒抜けだったのか。意識がないと、思っていたのに。
「ありがとう、ロジュ」
笑顔のウィリデからの礼に、ロジュはただ頷いた。




