十五、ずるい人
「それで、リーサはいつから来るんだ?」
ロジュが当初の話へと戻す。先ほどまで自分が何を考えていたかはすっかり記憶になかった。
「恐らく、リーサに加護を与えるフェリチタが炎ってことを公表してからかな。最初は注目を避けるために公表せずにいようかとも思っていたけど、それだとずっと隠し通す必要もあるだろう。それも生活しにくいだろうからどちらがいいかリーサに聞いたら、公表していいって言ったから、公表することにした」
リーサは「公表しないのなら、ロジュの婚約者ということにして、ソリス国に行く理由をカモフラージュする」と言っていたため、ウィリデは迷わず公表へ踏み切ることにしたのだが。ウィリデはロジュに伝える気は全くない。
「そうか。そっちの方がバレないように、とか気にしなくて良さそうだな」
「ああ」
それも勿論重要な理由だ。大きな隠し事を抱えながら一生を過ごすのは、辛いと思う瞬間も来てしまうだろう。
「それに、リーサができれば公表してほしい、と言っていた。フェリチタから加護がないと思われていた人の希望の光となるといいから、と」
フェリチタから受ける加護の大きさで決まるものは何もないはずだ。しかし、人々はやはり気にしてしまうのだ。自分が持っているものと相手の持っているもの、どちらが大きいか、比べてしまう。それは本能的なものであり、仕方がないものではあるが、次に生じるのは上と下だ。そして、それは相手を貶し、見下す道具へと成り下がる。
それをロジュは考えて、少し暗い表情を浮かべる。リーサは今まで傷ついてきたのだろうか、と心配になった。それに加え、ロジュ自身もその立場にあったかもしれない、という想像は容易に浮かんだ。ロジュは、運良くフェリチタの加護を受けることができていたから、王位継承権はあったが……。もし、なかったら。答えは明確だ。ただの「無能な王子」と蔑まれ、次期王の候補にすらあがらなかっただろう。
「そうだ、ロジュに渡すものがあった」
ロジュの暗い表情から何かを察したのか、ウィリデは空気を変えるように明るい声を出した。そして、自分のジャケットのポケットを探る。
「ウィリデ陛下が自らの手で持ってくるということは、『ルクス』か?」
「そうそう」
ルクスというのは、不思議な力を持つ道具のことを指す。例えば、普通の指輪に見えるが、実は毒を一度だけ無効化する効果を持つ、というような物だ。作れる人間は数が少なく、その中でもウィリデはルクスの作り手として有名だ。
「最近も作っていたんだな」
「ああ。これは作る練習を重ねることで、より優れた効果の物を作れるから」
そう言って、ウィリデはポケットから一つの物を取り出した。
「はい、これ」
「ありがとう」
ロジュはウィリデにもらったルクスをじっくり見た。銀の細いチェーンに藍色の小さい石が組み込まれている。石の数は九個。その藍色はまるでロジュの瞳のようだ。
「これは、ブレスレットか?」
「うん。ブレスレットとしても使えるね。でも、本来の使い方は、うーん、なんて言うか……。一言で言えば御守り、かな?」
「御守り?」
「うーん、ごめん。御守りとはちょっと違うか。ロジュは毎日祈るでしょう? その時に使うと効果が発揮する物だよ」
「祈りの効果が高まるのか?」
「そうだね。でも、ロジュが持つ力より高める必要はないでしょう?」
「なるほど。俺が普段は使わないが、万が一の時に使うから、御守りか」
「そういうこと」
なるほど、と頷きながらロジュはもらったルクスを角度を変えて眺める。効果もすごいが、このブレスレット自体も繊細で精巧な作りだ。
「実は」
ウィリデが声を潜めてロジュの耳元へと顔を近づける。ウィリデからは柑橘系の香りがフワリと届いた。
「これを応用して、もっとすごいルクス作ったんだ」
「これ以上すごいものを……? それはどんなものなんだ?」
「今はまだ言えないけど、時が来たら必ず見せるよ」
悪戯っぽい表情を浮かべて、楽しげに語るウィリデを見るとその『すごいもの』が気になるが、ウィリデは今教える気はなさそうだ。
「分かった。楽しみにしている。ウィリデ陛下が『言えない』っていうほどなら、相当影響力が強いものなんだろうな」
ロジュの予測に対して、ウィリデは笑みを深めた。
「そう。悪用されそうなものだけど、きっと役に立つと思うんだ」
そう言ってウィリデが楽しげに笑うから、そのルクスがどんなものであるか余計気になる。
「楽しみにしておいて」
笑いながら話すウィリデの表情は無邪気さを含んでいる。ウィリデはルクスに関わる時には「王」という鎧を完全に脱ぎ捨てることができるのだろう。いつもより口が軽い気もする。
「ああ」
ロジュには、ルクスを製作する適性はなかった。でも、ウィリデからもらった物を見ると、作れることが羨ましくなる。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
ウィリデも暇なわけではない。ロジュに声をかけて立ち上がる。
「分かった。また来てくれるだろう?」
「ああ。次はリーサが留学してくる時に来ようかな」
それを聞くと、ロジュは呆れた表情を浮かべる。
「リーサも子どもじゃないのに過保護だな」
「まあ、心配だからね。リーサやヴェールはほとんどシルバ国から出たことがないから」
「そういえば、鎖国状態だったからそうだな」
「うん。ロジュは他国に結構行っているよね?」
「ああ。……だから俺に依頼したんだろう?」
ロジュが言っているのは、シルバ国の動物密輸事件のことだ。
ロジュがウィリデを見つめると、ウィリデは肯定の意味をこめて微笑んだ。
「そうだね。ロジュの調査能力には目を見張るものがある」
「でも、シルバ国が鎖国した理由は探れなかった」
悔しげに呟くロジュを慰めるように、ウィリデは優しくロジュを撫でた。
「あれは仕方がない。知っていたのは一握りの人数だったからね」
「そんな分かりやすい慰めは要らない」
不機嫌そうなロジュに対し、ウィリデの表情はいつも以上に優しげだ。
「慰めなんかじゃないよ。だって知っていた人数ははっきりは教えられないけど、十人もいないし、その中の三人がシルバ国の人間だ」
シルバ国ではウィリデ、リーサ、ヴェールの王族三人のみ。他国でも王とそれに近しい人間しか知らなかった、と言うことだろう。
「それでも……」
「ロジュ」
悔しさを隠そうとはしないロジュの言葉をウィリデが遮る。
「焦らなくていいんだ。少しずつ成長するものだから。……もっとも、機密事項以外の情報は探れるロジュの能力は十分だと思うけどね」
ウィリデの言葉を聞いてもロジュの表情が晴れることはなかった。
「でも、ウィリデ陛下が悩んで、苦しんで、辛い思いをしている時に何もできなかったことが、一番悔しい」
ロジュは自分の調査の能力にそこそこ自信があった。知りたいことは大体わかるだろう、と思っているくらいには。しかし今回のシルバ国の件でそれが叩きのめされた。ロジュの自信過剰であったのだろう。しかもウィリデの役に立てないという最悪な形で。それはロジュの自信を奈落に突き落とすには十分だった。
「ロジュ。大丈夫」
ウィリデの声に一層温かみと柔らかさが増す。
「ロジュ、私はロジュのこと、そしてロジュの調査能力を信用しているよ。だからこそ、ロジュにこの事件の黒幕を探すのを手伝ってほしいって頼んだんだ」
そう言ってウィリデは寂しそうな表情を作って、ロジュを見つめる。
「ロジュは、私の信用じゃ足りない……?」
ずるいな、とロジュは思ったが口には出さなかった。ロジュは無力さに打ちひしがれていたがそれに気がついたウィリデは容易く論点をずらした。ロジュがそれ以上自分を責めないように。自分で自分の心を傷つけないように。ウィリデの質問に対してロジュが反論の言葉を持たないと知っているはずだからこそそれを聞いてくるのが本当にずるい。
「足りないわけがないだろう。ウィリデ陛下からの信用は嬉しい」
その言葉を聞いたウィリデはニコリと綺麗に微笑む。その瞳の若草色はいつもの何倍も穏やかな色をしている。
「良かった」
ウィリデの麗しい笑顔でそう言うから、ロジュはそれ以上いえなくなった。
「じゃあウィリデ陛下、気をつけて」
「ああ」
ウィリデはロジュに手を振って部屋から出ていった。ロジュはしばらくの間、ぼんやりとウィリデが座っていた空間を眺めていたが、やがてカップを片付けるために立ち上がった。やるべきことはたくさんある。




