四十二、好き
朝の太陽のフェリチタへの祈り。ロジュは毎朝しているため、必然的に窓の外を見ることとなる。今日は青空が広がっているが、風は爽やかだ。エドワードのように天気を予測することはできないが、過ごしやすい日になりそうだ。
今日の予定を頭の中で立てる。そんなに忙しくない日になりそうだ。そう考えながら窓を閉めようとしたときに、見覚えのある馬車が見えた。
「リーサ……?」
シルバ国では馬車はない。だからこそ、リーサが使っているのはソリス国産のものだ。しかし、リーサは滅多に使っていないはず。
さらに、彼女がこんな朝早くに来る、というのも不可解だ。
本当リーサかを確認するために窓を開け放った。若緑色の髪を靡かせながら馬車から降りてきた彼女としっかり目があう。その橙の目に縋るようにロジュを見ているのに気がつき、ロジュは慌てて部屋をでた。
城内の階段を降りながら考える。自分が何かをしただろうか。心当たりはない。「絵踏み」の件だろうか? しかし、それは今日も大学があるわけだから、その時で良いはず。
ロジュは門から城へと続く道にたどり着いた。門衛には通してもらえたのだろう。ソリス城の敷地内に入ったリーサと目があう。
「リーサ、どうし……」
ロジュが尋ね終わる前に、リーサががばりと抱きついてきた。ロジュは目を見開く。リーサの顔が見えないから、どんな表情をしているかは分からない。
花のように甘い香りがして、ロジュは固まった。どくり、と自分の心音が響く。
リーサの肩は震えている。ロジュに縋るように抱きつく彼女をどうしたら良いか分からず、抱きしめ返していいのかも分からず、ロジュは困り果てた。
「どうした?」
できるだけ、柔らかい声を出すように心がけたが、ちゃんとできているか分からない。冷たいと言われる自分だ。余計にリーサを怖がらせていないだろうか。リーサはしばらくそのままだった。
「夢を、見たの」
ポツリ、と彼女が口に出したのはそんな言葉だった。敬語を使っていない彼女は珍しい。
リーサは、ロジュに抱きついた体制から、少しだけ体を離す。依然としてロジュの背に手は回されたままだが、その代わりリーサはロジュの目を見つめる。
いきなり近距離で見つめられ、ロジュは戸惑う。息が浅くなるような感覚。しかし、リーサは気にした様子は一切ない。
「私は、大事な何かを失った。私は多分、間違えた。知らなかったから」
大事な何か。間違えた。知らなかった。これらの言葉から、何を導き出せばいい?
薄らと浮かんだ仮説をすぐに否定した。そんなはずはない。彼女が思い出すなんて、そんなことはあってはならない。
しかし、否定できる材料は何もない。ロジュの口から声は出なかった。
「ごめんなさい、ロジュ」
リーサが話せば話すほど、あの時の。自分が時間を戻す前の話なのではないか、という線が濃厚になっていく。
しかし、リーサは最初に夢といった。それなら関係がありませんように。どうかリーサが思い出すことはありませんように。
ロジュはリーサをできる限り弱い力で抱きしめ返した。リーサの顔が見えない状態で、彼女の耳元で囁く。
「お前が謝ることは、何もない。大丈夫だ。大丈夫」
ロジュの口から出た言葉は、『女王のリーサ』に向けたものだ。リーサに悪いところはなかった。全てはロジュの過ちだ。リーサにも聞こえないような声で呟く。
「……本当に申し訳なかった」
それを、リーサに言っても訳が分からないだろう。しかし、これは。祈りをこめた謝罪だ。
女王のリーサへ。どうかロジュへの復讐心があったとしても。怒りがあったとしても。恨んでいたとしても。
ロジュのリーサを奪わないでほしい。
あの『女王リーサ』に向けられた瞳を目の前の彼女から向けられたら。きっとロジュは身を裂かれるような思いを味わうことだろう。
それを『女王リーサ』が望むのなら、最高の復讐だ。ロジュは苦しみながらも受け入れるしかなくなる。
しかし、リーサは謝った。それがもし『女王のリーサ』に影響された、彼女からの感情だとしたら。どうか。ロジュのことなんて気にしないで。彼女が安らかであってほしい。
そこでロジュは気がつく。自分は、何を考えた? ロジュのリーサを奪わないでほしい?
それはなんて罪深い祈りだろうか。身勝手で。許されるはずもない。ロジュの物ではないのだから。
しかし。自分が抱きしめている彼女を、手放すことができる未来は全く想像できない。
「リーサ」
「……はい」
「俺はお前のことが」
好きだ、と直感的に思った。
しかし、ロジュは口を閉じた。このタイミングで好き、というのは憚られたからだ。まるで弱っている彼女につけ込むみたいで。
「お前のことが大切だ。だから……。どうか。苦しまないでほしい。俺に何ができる?」
ロジュはそう言ったが、リーサには聞こえているのだろうか。ちゃんと気持ちは届くのだろうか。難しい。
人の気持ちを受け取るのは苦手な癖に、人には気持ちが伝わってほしいと思う。傲慢だ、と思う。
ロジュが自分の愚かさに呆れていると、リーサがぽつりと呟いた。
「私、分かりません。なんでこんなにあなたをほしいと思うのか。渇望するのか」
リーサがそっとロジュの頬へと手を伸ばした。ロジュは拒むことなくその手を受け入れる。
「それでも、これは私の恋です。身勝手、という人もいるかもしれません。それでも、あなたに焦がれるこの気持ちが恋、なんです」
リーサが少し泣きそうになりながらも微笑んだ。
「ロジュ、大好き」
そう言って、笑ったリーサを見た瞬間、もう無理だと思った。先ほど『言わない』と決意したのに、簡単に消え失せた。
理屈など、知らない。自分は、彼女のことが。
「……ありがとう、リーサ。俺も、お前が好きだ」
ロジュの言葉に、リーサが目を見開いた。ロジュは妙に吹っ切れた気持ちで笑った。
頭にかかっていた靄が晴れる感覚がした。




