四十、婚約者と妹
「アーテルお義姉様」
「どうしたの? リーサちゃん」
リーサは、アーテルの名を呼ぶと、彼女は金の瞳をリーサへと向ける。その煌びやかな色と、その瞳の奥の落ち着きは、魅力的に感じた。
しかし、呼ばれ方が気になってしかたがない。今まで、「リーサちゃん」と呼ばれたことはない。シルバ国の人は「リーサ殿下」「リーサ様」「リーサ姫」のどれかだ。やはり呼ばれ方に違和感を覚える。
しかし、目の前でにこにことしている義姉となる彼女は、その呼び方でも構わないという気持ちになるのだから不思議だ。
リーサはアーテルへと質問を投げかけた。
「愛とか、恋とか。分かりますか?」
そう尋ねると、アーテルはぱちりと金の瞳を瞬かせる。軽く首を傾げたアーテルの銀の髪は、日の光を浴びてキラリと輝いた。
「あれ、私、てっきりロジュとリーサちゃんが恋仲なのかと思っていたわ」
「そうなのですが。この前、あなたにとっての愛は何か、と聞かれて答えられませんでした」
恋仲になったという事実はある。しかし、ロジュは未だ自分の気持ちに手探りしているように見えるし、リーサも自信を持って人に伝える言葉が分からない。
自分で考えていてもぐるぐると同じようなところを思考が回るだけだったため、アーテルに尋ねようと思い立った。
「恋とは何か、ねー」
視線をリーサから外し、庭へと向けるアーテルは何を考えているのだろうか。
「私は、愛情って陽だまりのように暖かくて、宝石のように輝かしい。そんなものだと思っていたわ」
「思っていた……?」
アーテルの言葉が過去形であることが気にかかる。アーテルが穏やかに微笑んで、カップを持ち上げ、紅茶を口に含んだ。ソーサーに戻した後、アーテルは口を開く。
「そんなに単純なものじゃない、と最近は思うわ」
「単純じゃない、ですか?」
リーサがアーテルの言葉を繰り返すと、彼女は柔らかく微笑んだ。
「リーサちゃん。私が旅をしていたのは知ってる?」
「はい」
少し調べたことがある。シルバ国にいた頃は、あまり情報が入ってこなかったが、社交界では有名な話だったらしい。
だからリーサが知っていてもアーテルは訝しまないのだろう。アーテルはリーサの返事に不思議がることなく頷いた。
「世界は愛に溢れていて、みんなそれぞれ違う形の好きを持っているの」
そう言ったアーテルは紅茶を口にする。少し考え込んでから口を開いた。
「想像では補えないほどの形。例えば……。幸せにしたいと思う、だから好きとは限らないし。家族でも、幸せにしたいと思うし、友人でも幸せにしたいと思うことはあるでしょう?」
「なる、ほど」
愛情にはいろいろな種類がある。そのアーテルの優しい声色の言葉が、その場を占める。かみしめるようにその言葉を反芻していたリーサは、ふと気になった。
「アーテルお義姉様。兄上へは、どのような感情を持っているのですか?」
「そうね……」
目を伏せたアーテルはしばらく考え込んでから、ぽつりと呟いた。
「ウィリデが死んだら、私も死ぬわ」
「え……」
その異様なまでの声の暗さに、リーサは息を呑む。それに気がついているのか否か。アーテルは苦しげに微笑んだ。
「だって、ウィリデのいない世界じゃ、正しく生きられないもの」
アーテルが断言をする。その金の瞳には確信的な色を感じて、リーサは呟く。
「……まるで体験をしたことがあるかのように、お話になるのですね」
「……悪い夢の話よ」
無理矢理笑っているというのが分かるようなぎこちない笑みを見て、リーサはそれ以上言及しなかった。
紅茶を口に含んだアーテルは、しばらく目を伏せていたが、星のような瞳をリーサへと向ける。
「そもそも、恋や愛を説明しなくてはならない理由はないんじゃない?」
「そうですか?」
「ええ。言葉にできなくても、本人が恋だと思えば恋だろうし。理屈をつけたい人もいれば、気分の人もいるんじゃないかしら」
アーテルの言う通り、人によって違う。それなら自分の中で納得ができれば良いのかもしれない。絶対的な基準があるのではなく、自分自身の気持ちを「愛」「恋」だと思えるかどうか。それを考えたら良いのかもしれない。
少し霧が晴れた気分だ。
アーテルを見ると、彼女は柔らかく微笑んでいた。
「ロジュは、理屈をつけたそうな性格よね」
「はい」
リーサもそう思う。ロジュは理屈をつけないと、納得ができないだろう。見ていれば何となく分かる。
リーサも自分の中で、納得をできるように考えようと決意した。
「ありがとうございます。アーテルお義姉様は、よくご存じなのですね」
広い世界を見てきているアーテルへの憧れを向けると、彼女は少し罰が悪そうに目を伏せた。
「たくさんのことは知らないわ。私は、視野が狭かったもの」
「そうなのですか?」
そうは見えず、首を傾げる。そんなリーサを見て、アーテルが大輪の花が咲いたような笑みを浮かべる。彼女の笑顔を見ながら、アーテルは池の上で華やかに咲く睡蓮のような人だとぼんやり考えた。
純粋でありながらも、どこか影を持つ。不思議な人だ。
「リーサちゃん。何かあったら相談してね。私でも、ウィリデでも、ロジュでも」
「ありがとうございます」
リーサの脳裏には『良い人だよ』と言っていたウィリデの言葉がよぎる。本当に良い人だな、と思いながらリーサとアーテルのお茶会はしばらく続いた。




