二十六、真意
エドワードは自身に与えられている研究室へラファエルを連れてきた。ラファエルがここに来るのは初めてではない。
勝手に椅子を引っ張り出してきて座るラファエルを見ながら、エドワードはしっかり扉の鍵まで閉めた。それを見たラファエルが僅かに目を見開くが、エドワードは気にしない。
ラファエルの前に椅子を持ってきて座ったエドワードは、その薄紫色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ラファエル・バイオレット。どういうつもりだ?」
「何がー?」
エドワードがラファエルのことをわざわざフルネームで呼ぶことは少ない。それくらい、エドワードは真剣だ。わざと厳し目の声を出す。
きょとんとしているように見えるラファエルだが。ラファエルとの付き合いが10年あるエドワードには分かる。ラファエルはエドワードの言いたいことを察しながらも素知らぬふりをしている。
エドワードは浅く息を吐いた。
「白々しい。あの距離感が普通なわけないだろう。試しに俺がお前の髪を撫でるか?」
先ほど、エドワードがロジュとラファエルの距離を指摘したとき。ロジュは本気でエドワードの言っていたことにきょとんとしていたが、ラファエルは分かっていて制止しなかったし、ロジュに『普通の距離感だ』という情報を吹き込んだ。エドワードはそのように確信している。
口の端を持ち上げるようにして笑ったラファエルがのんびりと答える。
「ロジュ様以外なら遠慮したいかなー」
「ほらな」
肩をすくめたエドワードはラファエルを見つめる。
「お前、ロジュ様に適当なことを吹き込むのは止めておけ」
「えー」
不満げな声を出すラファエルの真意が、エドワードは分からない。
「なんで嫌がるんだよ」
「だって、ロジュ様が自分から触れてくるのってほとんどないから」
ラファエルの言葉に、エドワードは動きを止める。ラファエルのことだから何かは考えているだろうと思っていたが。
ラファエルが穏やかな笑みを浮かべる。
「自分の気持ちを伝えるために、人に触れることも必要だし、逆に触れられることで感情が伝わることもあるよね?」
自分の気持ちを伝えるとき、触れるというのは有効な手段だろう。
よくやった、と労いを込めて肩を叩くことや、会えて嬉しいと握手をすることや抱きつくこと、別れを惜しむときも同様に。
ラファエルに言われて、エドワードは考える。ロジュは、この前もリーサの髪に触れていたし、人に触ることに抵抗があるとは思えない。
「ロジュ様はそんなに潔癖な御方か?」
「うーん、どちらかといえば、自分が触れると相手を傷つける、とか思ってそうだねー。そんなことないのに」
エドワードは、自分と話をしていたときのロジュの表情を思い出す。普段はあまり感情豊かではない。しかし、話せば楽しげな笑みを浮かべるし、苦笑いもするし、慈愛に満ちた笑みを浮かべることもある。
そして。時折浮かべる不安を抱えているような。自分を責めているような。苦しみを堪えているような。そんな彼の藍の目に、気がつけば引き寄せられてしまうのだ。
ロジュのことをほとんど知らないエドワードだが。ラファエルの言うことが妙にしっくりきた。そうか。ロジュは怖いのか。人を傷つけることが。
それでは、ロジュは誰を傷つけたことがあるというのだろう。エドワードが以前調べても何も出なかった。
ラファエルの方を見るが、彼はエドワードを見ていない。どこを見ているか分からないようなぼんやりとした瞳には何も映っていない。
「ロジュ様にしては珍しいことだったから、止めない方がいいかなーって」
「むしろ、お前やリーサ殿下、ウィリデ陛下みたいな親しい人以外は止めておけと釘を刺すべきじゃないのか?」
エドワードが尋ねたことで、ラファエルがぱちりと薄紫色の瞳を瞬かせた。エドワードのことを凝視した後で、軽く首を傾げる。
「まあ、でも他の人には流石に……。え、大丈夫かな?」
「いや……。俺は不安だからお前をわざわざ呼び出したんだが」
急に不安そうになったラファエルに、エドワードは苦笑いをした。
ロジュは聡明であり、知識も多い。その一方で、生まれながらの王子だ。もちろんリーサやシユーランとは比べものにならないくらい世の中を知っているだろう。しかし、各国の人間と交流のあるラファエルや、自身の家門の領地で農民に交じって作業することもあったエドワードと比べれば明らかに少ない。
ロジュの世界に、心を許せる人があまりいなかったのは、エドワードでも察することができる事実だ。だからこそ、人との距離感を間違えそうだと考えていた。それでラファエルを問い詰めようと呼び出したのだから。
「うう。ロジュ様が僕を可愛がるの、嬉しいからロジュ様をとめるようなこと、言わなかったのに」
「全部台無しじゃねえか」
先ほどまでロジュの気持ちを尊重したいと言っていた男はどこにいったのか。先ほどの言葉も嘘ではないだろうが、私情も入っていただろう。そして自分が可愛いとでも思っているのか。こいつが学院時代を含め、何本の木刀を折ってきたかをロジュに教えようか。
エドワードが呆れると、ラファエルは楽しげに笑った。
ふと疑問に思い、エドワードはラファエルに問うた。
「ちなみに、ロジュ様の距離感が可笑しいのはなぜだと思っている?」
「えー。多分、ウィリデ様じゃない? ウィリデ様、ロジュ様への距離感が近いから」
なるほど、とすぐに納得する。ウィリデがロジュに与えた影響は大きいのだろう。
ラファエルの真意はきいた。エドワードの用は済んだ。軽く息を吐く。
「俺はお前の真意が知りたかっただけだから、ロジュ様に何を言うかはお前が決めろ」
「そうするよ」
別にラファエルのやることを否定したかったわけではない。なんだかんだ、ラファエルはロジュのためになることを選ぶだろうから。
他にもラファエルの行動で気になることはあるが、尋ねるほどでもない。そう思っていると、ラファエルが笑みを深めた。
「エド。聞きたいことがあるのなら、今なら答えるよー。僕、ロジュ様に撫でてもらって機嫌が良いから」
ラファエルの言葉に、エドワードは動きを止めた。
やはりこの男は怖い。気づかないフリをしていただけで、見透かすのが得意だ。




