二十五、親しい人々
「ロジュ様って、髪が好きなのですか?」
「なぜそう思う?」
「前もリーサ様の髪に触れていらしたので」
ラファエルに問われ、自身の記憶をたどる。確かにリーサの髪にも触れた。
「好き、なのかもしれないな」
そうはいうものの、自分の髪はハサミで切ったことがある。だから、髪自体が好きというわけではないと思う。
それでは、なぜ触れたいと思ったのだろうか。
髪に触れるには、それほど近くにいなければならない。それを許されなくてはならない。特にラファエルのように短い髪の人間の髪に触れようと思えば、頭に触れさせているのと同義だ。頭という人間にとって大切な部分に触ることを許されるくらいの関係であるということだ。
ロジュは昔のことを思い出す。自分が10歳の頃。ロジュの元に来てくれていたウィリデの、あの深緑の髪に触れたい、と思いながら手を伸ばすのに躊躇していた。今では触れることを許される人間が何人もいる、というのは幸せなことだろう。
黙り込んだロジュの顔をラファエルが覗きこんだ。
「ロジュ様?」
「いや……。朝から水をかぶって、風邪を引かないようにな」
「大丈夫ですよー」
朗らかに笑うラファエルをみて、エドワードが苦笑いを浮かべる。
「ラフは風邪引いたことがないので大丈夫だと思いますよ」
「……すごいな、お前」
「ありがとうございます!」
ロジュが感心と驚愕の気持ちで呟くと、ラファエルは楽しそうに礼をいう。褒めたわけではないが、ラファエルが嬉しそうなため、放っておくことにした。
ふわり、と若緑色の髪が視界に入る。それにつられるようにそちらを見ると、リーサだった。ロジュの隣の席、ラファエルとは反対側の隣に座る。
「おはようございます。ロジュ」
「おはよう、リーサ」
柔らかい笑みを浮かべながらリーサが挨拶をし、ロジュもそれに返す。リーサに気がついたエドワードがラファエルの肩を小突いた。
「リーサ殿下がお越しになったことだし、ラフ。お前に用事があるから、ちょっと来い」
「えー」
心底面倒、という顔をしたラファエルであったが、それを見てエドワードが目を細める。
「……お前の恥ずかしい話をロジュ様にバラされたいか?」
「えー、じゃあ行くよー」
荷物を席に置いたまま、ラファエルが立ち上がった。そしてロジュへ向き直る。
「ロジュ様。ちょっと席を外しますね」
「ああ。行ってこい」
「ちょっとは引き留めてくださいよー」
「俺はお前の行動を制限する気はないからな」
ラファエルがロジュの側にいるのは、ロジュとしては有り難い。しかし、ラファエル・バイオレットという人間をロジュに縛り付けておくのは、はっきりいって勿体ない。彼のコミュニケーション能力の高さも、相手に気を許させる力も。
そしてラファエルが今まで築いてきた交友関係も、大切にしてほしい。
「じゃあ、ロジュ様。失礼します。またお会いしましょう」
「ああ。エドワード。また」
ラファエルとエドワードがどこかに行くのを見送ってから、ロジュはリーサの方に向き直った。ぱちりと彼女の橙の美しい瞳と視線が交わる。
「なんだ?」
「ロジュ。噂を耳にしたのですが」
「どれだ?」
ロジュが尋ねると、リーサはロジュをじっくりと見つめた。
「体調が悪い、とか」
「ああ、その話か」
絵踏みの話がリーサまで伝わったのだろう。ロジュが頷くと、リーサがわざとらしく頬を膨らませた。
「もう、ロジュ。そんな他人事のように」
「心配、ありがとな。ただ、問題はない」
「あなたがそう言うのなら、信じますよ?」
訝しげなリーサであったが、諦めたように彼女は頷く。そんなリーサをロジュはじっと見つめた。
「なんですか?」
「体調が悪いのは、お前じゃないか?」
「え……?」
目を見開いたリーサのことを観察する。少し顔色が悪く、目元には薄らと隈があるようだ。
「いつもより、疲れているように見える。寝てないのか?」
「いえ、そうではないのですが……」
リーサにしては珍しく暗い表情で目を伏せた。ロジュが黙ってリーサを見つめ続けていると、それに気がついたリーサが顔を上げる。
「ごめんなさい、ロジュ。この前、今週の休みの約束をしましたが、また別の日でもいいですか?」
「俺は別に構わないが」
ロジュは急いでいるわけではない。だから日程変更については何ら問題がない。しかし、やはりリーサの様子は気にかかる。
ロジュは一段と声を潜めて、リーサに問う。
「大丈夫か?」
「ええ。これは私の問題なので」
リーサがここまではっきり断る、ということはロジュにできることはないのだろう。
「分かった。また都合の良い日を教えてくれ」
「もちろんです」
リーサは笑みを浮かべているはずだが。また作っているものに見えた。しかし、そこに言及をしてはいけない気がして。ロジュは結局それ以上何も言わなかった。




