十六、邪魔にならない程度の噂を
ロジュとラファエルが出ていった教室で、シユーランは教室の様子を眺めていた。先程までシユーランの方に興味を向けていた人々も、ロジュの話に一気に意識が塗り変わった。
それがロジュ・ソリストという人間が積み上げてきたものなのだ。それを壊すようなことをわざとやる、というのは驚いたが。完璧な面だけを見せる必要はないのだろう。
ロジュを心配する声、呆れたような声。表情は変わっていない人もいれば、不安げにしている人、純粋に驚いている人、顔をしかめている人もいる。
シユーランは前日に覚えたソリス国貴族の名と、抱いているであろう感情を頭に叩き込んでいった。
シユーランにとって、丸暗記は苦痛ではない。ウィリデからのルクスで記録をとっているが、別の資料の一つとして参考程度に、あとで書類に書き起こしてロジュへ渡すつもりだ。
シユーランは、淡々と様子を眺めながらも考える。2,3割が要注意といったところか。そうはいうものの、シユーランは記録としてしか知らず、個々の生身の人間を把握しているわけではない。ほとんどの人は知らない。後で顔が広いラファエルの持つ印象や知識とすりあわせる必要がある。
この部屋にいるすべての貴族と、その表情を頭に入れたところで、シユーランは静かに息を吐いた。
自分の役目はこれで終了。それでも未だにロジュの名は教室のあちこちから聞こえる。
これはしばらくの間は噂になりそうだ。その噂も、調査対象とロジュは言っていた。しかし、このままロジュへの様々な言葉を好き放題させておいていいのだろうか。
正直、自分の主となったロジュが色々言われているのは気に障る。それでも、ロジュは噂となることを望んでいるようだった。
それでも、何か自分にできることはないか、と考えたシユーランは一つ思いついたことがあった。
おもむろにシユーランは立ち上がる。そんなシユーランに周りは視線を向ける。それは好都合。それを狙っていた。
シユーランは一人の男の前に立った。椅子に座ったまま、ロジュたちが出ていった扉の方を見ていたその男は、シユーランに気がつきこちらを見上げる。
「エドワード・マゼンタ侯爵令息。マゼンタ侯爵家次期当主様で間違いないでしょうか?」
目の前の男、エドワードは苺のような色の瞳をゆっくり瞬かせた。
「ええ、そうですが」
「私はファローン国第一王子、シユーラン・ファローと申します」
「……ええ。存じております」
シユーランはエドワードの考えていることが手に取るように分かった。なぜ、シユーランが今この場で話しかけてきたのか。そして公表していなくても、エドワードはロジュがシユーランを側近にしたことは知っている。なぜ、ロジュの側近になったはずのシユーランがこの部屋に残っているのか。
頭の中でぐるぐる考えていそうなエドワードにシユーランは笑みを浮かべた。
「マゼンタ侯爵令息。私は、あなたの妹君と婚約をしたいと思っているのですが、次期当主の承諾はいただけるでしょうか?」
シユーランとエドワードの方に、一気に視線が集まる。ざわりと空気が揺れ、部屋中の人が困惑をしているのが分かる。
急に留学してきたファローン国の王子。しかも、耳がはやい者なら、幽閉の噂は知っていただろう。そのシユーランが、ソリス国内の貴族と婚約したいという。
部屋中の貴族の意識が、一気にシユーランに向いたのは考えるまでもない。
先程のロジュの不調が噂として広まるのを邪魔しない程度のを噂の元を作れたことだろう。
シユーランは所詮、無力な他国の王子に過ぎない。ソリス国の王太子であるロジュの噂をなくすほどの影響力はない。
だからこそ、ちょうど良い具合に分散するのではないか。そう思って、人目のあるところでわざと言った。
シユーランはエドワードを見つめる。彼は他の人より、見えていることが多いはずだ。シユーランとロジュの関係を知っているのだから。それを知っていれば、答えにたどり着けるのでは?
シユーランの予想通り。エドワードがはっと顔を上げて、目を見開いた。少し顔を引つらせたが、すぐにそれを隠した。エドワードは笑みを浮かべる。
「それではシユーラン殿下。場所を移しても?」
「ええ。構いません」
「それでは来てください」
エドワードにつれられ、シユーランはざわざわした部屋を後にした。行き先も告げずに歩いていくエドワードを信じ、シユーランは黙ってついていく。
「……どこまで」
「はい?」
「どこまでが策だったんですか?」
シユーランは首にかけていたルクスをくるりと手でいじる。エドワードの視線がそちらに向き、右手で顔を覆った。
「それ、ただの宝石ではなく絶対にルクスですよね……。ということは、ウィリデ国王陛下の……。本当に計画されたものだったのか……」
「それでマゼンタ侯爵令息。どちらに向かっているのですか?」
シユーランは、エドワードに尋ねる。その問いに、エドワードが不思議そうにする。
「ラフ……ラファエルのもとにロジュ様もきっといるんですよね?」
そうは言われても、シユーランは特に何も伝えられていない。首をかしげるシユーランをみて、エドワードは困惑の表情を浮かべる。
「え? 意外とその場の勢いで決めている? それでも朝ロジュ様が言ってたのはきっとこのことだろうし……」
エドワードがぶつぶつ言っているのを聞きながら、シユーランはエドワードについていくだけだ。
「おそらくここです」
エドワードが一つの部屋の前で立ち止まり、躊躇なく扉を叩いた。




