九、命を握っているような
「ラファエル、元気ないな? どうした?」
ロジュの仕事の部屋で、来た時からずっとラファエルが悶々としている。しばらくはそっとしておいたが、全く改善をする気配がなかったため、見かねたロジュが声をかけた。
ラファエルはちらりとロジュへ視線を向ける。その瞳が申し訳なさそうなのは気のせいだろうか。
「僕は、藪をつついても蛇は出てこないと思っていたんですよ。それなのに、蛇が出てきてしまって……。僕は大丈夫だと思っていたんですが、余計なことをしたなーって思っているところです」
ラファエルが机に突っ伏す。過ぎたことを引きずるラファエルは珍しい。ロジュは彼のことをながめながら、口を開く。
「それでも、結局は藪の中に蛇はいたんだろう?」
「え?」
ラファエルが弾かれたように顔を上げる。薄紫色の瞳が真っ直ぐにこちらに見つめられるのを見ながらロジュは続けた。
「遅かれ早かれ、いつかは蛇が出てきていたはずだ。後になって蛇の恐怖に怯えることになるのだから、さっさと蛇を藪から追い出して、可視化させた方がいいこともあるだろう」
ラファエルが何の話をしているかは知らないが、問題点は目で見える方が対処しやすいだろう。だから、一概に悪いことをしたとは言い切れないのではないか。
ラファエルはぽかんとしてロジュを見つめていたが、しばらくして笑みを浮かべた。
「まあ、蛇が出たのは仕方がないですね。それにいつか最悪のタイミングで分かるよりはマシか……。僕に蛇の処理はできないと思いますが、できることがないかは探してみます」
吹っ切れた顔をしたラファエルをみて、ロジュは頷いた。結局のところ、何の話をしていたのだろう。
「とりあえず、いったん僕は大丈夫です。それより、今日はシユーラン様のフェリチタを確かめるんですよね?」
「ああ」
部屋の中で空気のように黙り込み、なにか本を読んでいたシユーランへロジュは声をかける。
「それじゃあ、シユーラン。実験に行くぞ」
「はい」
◆
ロジュはシユーランとラファエルと共に、訓練場へやってきた。物珍しそうに辺りを見渡すシユーランをロジュは手招きした。
「ロジュ殿下。具体的にはどうするのですか?」
「目を閉じろ」
シユーランに説明をせず、ロジュはただ命じる。そのロジュの指示に、シユーランは疑問を呈せずに従い、彼は素直に目を閉じた。
「触れるぞ」
ロジュの言葉に、シユーランが頷く。ロジュは目を閉じるシユーランの手を取った。
ロジュ・ソリストはこのラナトラレサの地で一二を争うくらいフェリチタに愛されているはずだ。そんなロジュがいれば加護が目覚めていない人間を目覚めさせることができるのではないか。リーサにできたように。
リーサが急にフェリチタへの加護が目に見える形になったように、触発させることができるかもしれない。
「シユーラン。目を閉じたまま心の中で祈れ。この地の空気へ、加護があるのなら教えてほしい、と」
シユーランが頷く。ロジュにも時間の目安は分からない。いつも毎朝ロジュが祈る時間である五分くらいでいいだろうか。
「一回目を開けてみろ」
ロジュが指示すると、シユーランが恐る恐る目を開けた。彼の赤茶色の瞳が世界をみたとき、彼は驚愕の表情を浮かべた。
「どうした?」
「世界が変わりました」
「どんなふうに?」
「……世界に、受け入れられているという感覚があります」
確信ができた。シユーランに加護を与えるフェリチタは空気だ。フェリチタは各国に二つずつというのが共通認識であったが、それが覆る。ロジュは口角を上げた。
「お前には何が見える?」
「世界が輝いて……あ、比喩ではなく、世界が光っています。これは加護の強さでしょうか? ロジュ様の周囲も、ラファエル様の周囲にも色が見えます」
ロジュとラファエルに視線を向けたシユーランだったが目を細める。
「ロジュ様加護つよ……。ちょっと眩しくて見てられないです。ロジュ様は二色ですね」
「それは見ないこともできるのか?」
「え、どうすればいいのでしょう?」
「フェリチタに祈るんだ。礼を込めるのでもいい」
ロジュは自分はどうしているだろうか、と考えるが、ロジュが望めば力を貸してくれ、必要がなくなれば勝手に消えていた気がする。それくらい馴染んでいるからだ。
「消えました」
そう言って何も見えなくなったのであろう周囲を見ているシユーランを見て、ロジュは口を開いた。
「シユーラン。お前は自分の力の脅威を把握しているか?」
「いえ」
ロジュは唐突にシユーランの首に右手をあてた。その手に力は入れていない。シユーランが唾を飲み込み喉が揺れる。その振動はロジュへ伝わってきた。しかし、ロジュは手をどけなかった。
「お前は常時これができる。世界中の全ての人間の命をお前は握っている」
世界の人間の命をシユーランは好きにできる。それを知っていたからこそ、シユーランに加護を与えているフェリチタを特定した。無自覚の強い力が一番危ない。
「まずはそれを自覚しろ。話はそれからだ」
ロジュの真剣な声色でシユーランに事の重大さが伝わったのだろう。神妙な顔へと表情を変えたシユーランが頷く。それをみて、ロジュはシユーランの首に当てていた手をどかした。
「今はどんな気分だ? フェリチタからの加護をないとお前を軽んじたファローン国への怒りか? それとも喜びか?」
ロジュからの問いかけに、シユーランは軽く首を傾げる。そしてロジュに向かって跪いた。
「ロジュ殿下に最大限の感謝を」
「……」
自分のことではなく、ロジュへの気持ちをシユーランが口にしたため、ロジュは戸惑う。そんなロジュに向かってシユーランは笑みを浮かべた。
「ソリス国に連れてきてくださったのも、フェリチタからの加護を受けているのではないかと考えてくださったのも、ロジュ殿下のおかげです。ありがとうございます」
「お前はすごいな。あんな環境でよく性根が腐らずにいられた」
真っ先に感謝が出てくるシユーランは、真っ直ぐ育ったのだろう。自国への怒りも愚痴も出てこないのにロジュは感心した。
「ファローン国を捨てた身です。もう何も感じません」
「それでも切り替えるのは難しいと思いますけどねー」
ラファエルも感心したように頷く。シユーランは困ったように笑った。
「非情なのかもしれませんが、ファローン国に未練も執着もないんです」
「それは、当然なんじゃないか? 人は与えられたものを返したくなるから。お前は何もファローン国から与えられていない。だから、引き止めるものは何もなかった」
ロジュの言葉に、シユーランは赤茶色の瞳を瞬かせた。少し迷いながらも口を開く。
「……ロジュ殿下はソリス国のために動いていますよね。それでは、ロジュ殿下はソリス国に何を与えられたんですか?」
ロジュは目を見開いた。喉が詰まるような感覚がある。それでもかろうじて声は出た。
「俺は、奪ったから。その分返さないといけない」
「え?」
「……なんでもない」
ロジュは目を伏せた。ソリス国を、この国を壊したからこそ、ロジュは逃げることが許されない。自分が、許してはいけない。
「ロジュ様」
ラファエルの声で、彼へと視線を向ける。ラファエルはふわりと笑った。
「ロジュ様がこの国を捨てたくなったらいつでも言ってください。僕はどこまでもついていきます」
「……ありがとう、ラファエル」
ラファエルだって、本気で言っているわけではないだろう。ただ、ロジュの気持ちを軽くするために言っただけだ。それが分かっていても、ロジュは口元を緩めた。




