六十七、狂気を演じる
クムザに真っ直ぐ見つめられ、ロジュは目を逸らした。そのまま、口を開く。
「それでも、クムザ。前までお前が俺に向けていた、憎しみや怒りは本物のように見えた。お前は、何を憎んでいるんだ?」
クムザは瞳を瞬かせた。ロジュの方から視線を逸らさずに、微笑んでみせる。怒りを秘めた笑みであった。
「愛しているわ、ロジュお兄様。だからこそ、貴方に優しくない世界も、貴方が自身を軽視するところも、大っ嫌い」
クムザの言葉が部屋に鋭く広がる。ロジュが困ったように目を伏せた。迷いながらも口を開く。
「心配を、してくれているんだな」
そのロジュの言葉はどこか他人事であり、クムザは顔を歪ませた。
「お兄様、私は本気で」
「ありがとう」
次にロジュが発した言葉に、クムザは目を見開いた。言葉を咀嚼するように、ゆっくり瞬きをする。
「え?」
「お前が、俺のために憤ってくれているなら、嬉しい。それでも、心配はいらない。大丈夫だ。世界は俺に優しいし、俺は自分を軽視していない。大丈夫だ」
「でも……」
クムザの表情が泣き出しそうに歪む。しかし、ロジュは安心させるように笑みを向けた。
「俺の大事な人はみんな生きていて、俺は王太子の座を手に入れた。俺は身勝手にも世界を滅ぼし、時を戻した。俺は、何にも軽んじられていない。むしろ、責められるべきは俺の方だ」
「え? 時を戻したの? お兄様が?」
クムザが何か引っかかることがあるように言葉をもらした。しかし、すぐに首を振る。
「あ、気にしないで。話を戻しましょう。それでロジュお兄様。貴方たちはどこから気がついていたの?」
露骨に話を逸らすクムザにロジュは顔をしかめるが、クムザは笑みでごまかす。ロジュは諦めて話を始めた。
「お前が演技をしていると気がついていたって話はしたよな? だからこそ、お前から本音を引き出す必要があった。監獄での会話は、演技がかっていただけでなく、妙な違和感というか……。辻褄の合わない気がしたんだ」
「辻褄があっていない?」
「まず、オーウェンが責任をとるというには、不自然な年齢だろう」
「でも、優秀な人なら可能性はあったでしょう」
「それはそうだ。だからそれは決定打ではなくても、要素の一つだ。ただ、平民と勘違いすることはないだろう」
若くて優秀な平民だとしても、責任を取るほどの地位にいるとは思えない。確信を持ったロジュの言葉に、クムザは不満そうにする。
「それでも、何か根拠が必要だったのよ。お兄様を苦しめる体で」
「ちょっと言い訳にしては弱い」
「そうかしら?」
クムザは納得できていない声をだす。ロジュは、少し視線を上に向けてから口を開く。
「兄二人に比べられて憎んだ、とかの方が説得力ある気がするな」
「それはそうかもしれないけれど。私としては説得力がない方がよかったの。私は、恋に狂った王女を演じたかったのよ。処刑じゃなくて、幽閉のために」
クムザの言葉にロジュは驚く。ロジュに違和感をもたせたのはわざとだったのか。それならロジュは彼女の演技に騙されたといえるだろう。ロジュは苦々しい思いがした。
そこまで、彼女は綿密に。計画を立てて、それを実行した。
「そんなところまで、考えていたんだな」
「当たり前じゃない、お兄様。何年かけた計画だと思っているの?」
自慢げに見える。それでも、それはおそらく彼女が虚勢を張っているだけだろう。クムザは微笑んだ。泣き出しそうな笑みだった。
「さあ、ロジュお兄様。これで私はこの世から中座するわ。さっきの願いどおり、私の協力者は生かしてね」
クムザの言葉で、オーウェンが彼女の肩を強くもった。その顔は悲痛さを感じさせるものだ。
「おい、クムザ。約束しただろう? 地獄まで一緒に行くと」
「でも、オーウェン。貴方には生きてほしい」
処刑が決まったかのような二人の様子をみて、ロジュがため息をついた。
「おい。まだ何も言ってないだろう? 最後まで聞け」
ロジュはウィリデに目配せをした。ウィリデが微笑んで頷く。その頷きをみて、ロジュは口を開いた。
「クムザ・ソリスト。オーウェン・バイオレット。シルバ国のために働け」
「それが、シルバ国の王としての判断でもあるよ」
ロジュとウィリデの言葉に、クムザとオーウェンは呆然とした表情を浮かべる。
「え……。嘘でしょう? さっき、お兄様とウィリデ国王陛下が言っていた罪名が妥当じゃない」
「罪名については確かにそうだな。しかし、そもそもシルバ国の動物密輸事件は存在しない事件だ。法の裁ける範囲じゃない」
シルバ国の密輸事件。それはどの記録にものっていない。あるのは、彼らの記憶にだけだ。
存在しない事件を裁くための法はあるか? 答えは否。
ロジュの言葉にウィリデが付け加える。
「それに君たちの能力を捨て置くほど、無駄なことはしないよ。君たちの計画力と状況判断力、そして、前世だっけ? その知識。全部くれない?」
疑問の形をとっているウィリデだが、そこには逆らえない圧がある。首を横に振らせる気なんてないのだろう。
「それでも、普通に生きていていいというの?」
「『普通』かは分からないな。ウィリデの下で働くことが」
ロジュがウィリデに視線を向ける。ウィリデは頷いた。
「ロジュの言う通り。見たくないものを見るかもしれないし、きれいなだけの世界じゃない。私は『正しく』生きないことにしたからね」
影のある笑みを浮かべるウィリデをみて、その場には沈黙が流れた。ウィリデの強い覚悟が瞳に宿っているのをみて、何と声をかけたらいいのか分からない。
時が戻る前ウィリデは正しかった。清廉とは、ウィリデを表した言葉だった。それでも過去形だ。今のウィリデは違う。以前のウィリデなら。「正しく生きていた」ウィリデであればシルバ国で動物密輸事件が起こったとして、国民にすら公表しないなんて考えられなかった。絶対に公表していただろう。
しかし、ウィリデは徹底的に隠蔽した。そちらの方が国の混乱を招かない。シルバ国を恨んでいる人間がいたとして、その人物の感情を荒げないように。
ウィリデは明確に変わった。それが良い変化なのか、悪い変化なのか誰にも分からない。ロジュにしてみればどちらでもいいが。時が戻る前は「正しい」ウィリデを、時が戻った後は「正しくない」ウィリデを同様に信頼していたのだから。
ウィリデをじっと見つめていたクムザが、ウィリデのもつ空気に気圧されながらも口を開く。
「……分かったわ。ウィリデ国王陛下。貴方の元で働くわ。それ以外、選択肢はないんでしょう?」
「俺も従おう」
「良かった。クムザ、オーウェン。よろしくね」
合意がとれたのを見たロジュは立ち上がり、窓の方へと向かう。そして、フェリチタで周りと遮断していたのを解除した。
「それで、いつからシルバ国に行けばいいの?」
「え?」
クムザからの質問に、ウィリデが不思議そうな表情を浮かべる。
「え、オーウェンは知らないけれど、クムザは学院生でしょう? 卒業してからでいいよ。大学からシルバ国に来た方が、名目としてはいいんじゃない?」
「え、それまでソリス国で野放しにするっていうの?」
「ああ、それなら大丈夫だよ」
ウィリデはニコリと笑ってロジュの方をみた。
「他でもないロジュと一緒の城に住んでいるんだから、野放しとは言えないよ。ソリス国の王太子の指示で動くのは問題がありそうだけど、ロジュ個人なら問題ないから。しばらくはロジュに使われてて」
「ロジュお兄様はそれでいいの?」
クムザからの視線を受けて、ロジュはあっさりと頷く。
「ああ。元からそうウィリデと決めてたからな」
「いつから?」
「お前が黒幕と確証を得たとき、あらゆる可能性を検討した。もし、お前が使える人物だったときはそうしようと決めていたんだ」
ロジュたちにとって、クムザが黒幕であることが分かっても、それ以上の何も分かっていなかった。悪意があるのか、狂っているだけなのか。狂気を演じているのか。何も分かっていなかった。
だから、あらゆる可能性を列挙して、それをどう対処するかを考えた。
クムザがもし悪意なく、「何か」を救うために動いていた場合。そのときは味方に引き込むと決めていたのだ。
シルバ国のために働け、としたのはシルバ国が被害を受けたからというだけだ。




