六十六、救い
ウィリデを手にかけた人物。ロジュは勿論知っている。しかし、クムザが知っているのは同じ人物なのだろうか。違うのだろうか。ロジュが迷ってから口を開いた。
「テキューだろう?」
「え? 知っているの?」
クムザは驚きの声を上げてから、ウィリデとラファエルの方を見た。
「お二人も?」
「うん」
「はい」
二人の返事をきいたクムザが、意味が分からない、という表情を浮かべる。
「それじゃあ、どうしてテキューお兄様を殺していないの? ウィリデ国王陛下を殺すかもしれない、不安要素でしかないでしょう?」
「落ち着け、クムザ。俺たちの知っている情報を基準で話しても伝わらないぞ」
「でも、意味が分からないじゃない。え、ロジュお兄様が前世の情報を思い出したのはいつなの?」
「この前のパーティーだ」
「え、数日前じゃない。そんな最近?」
クムザの驚きを横目でみながら、オーウェンがラファエルとウィリデに目を向ける。
「ラファエル、お前は?」
「僕は、ロジュ様が毒殺されそうになったときくらいです」
「ウィリデ国王陛下は?」
「私は十年前だね」
「十年あれば、テキューお兄様くらい殺せたでしょう?」
オーウェンの質問に答えたウィリデに対し、クムザは不可解そうな表情を浮かべる。その表情をみて、ウィリデが苦笑した。
「何度も考えたよ。それでも、代償なくテキューを消せるとは思えなかった。それに、クムザ殿下。君の五歳の誕生日のとき、君は王位継承権を放棄するって言ったよね? その時は保留にされたけれど、君は本気に見えた。だから仮にテキューを殺してしまえば、ロジュには王太子になる、という選択肢しかなくなってしまうだろう?」
ウィリデがテキューを手にかけなかった理由の一つ。ソリス国の王位継承者。ロジュが本気でその座を捨てたくなったとしても、テキューがいないとロジュは逃れられない。ウィリデは、ロジュが王太子になる以外、ソリス国に未来はないと思っていた一方で、ロジュの逃げ道を残していた。
ウィリデの言葉に、クムザは虚を突かれたように黙り込んだ。その当時のクムザは生き残ることを考えており、その影響まで考えていなかった。
「たし、かに。そう、よね。ウィリデ国王陛下、貴方は王なのね。どこまでも。視野が広くて、冷酷になれるくせに優しさも持つ。貴方みたいに器用になれたら、正解を選べていたのかもしれないわね」
クムザの言葉に、ウィリデは困ったように首を振った。
「まさか。私も正解なんてできていないよ。失敗したり傷つけたり、間違いだらけだ。それでも、自分に選べる選択肢の中で一番最善そうなのを選んだだけだ」
「それは、私もそうよ。完全円満なハッピーエンドなんて、私は導けなかった。それでも、最善手を選びきった、と思ってた。それなのに、貴方たちが、知っていたなんて。知っていたなら、こんなことする必要は、なかったのに……」
クムザは、顔を覆った。その場に、沈黙がおちる。藍色の瞳で真っ直ぐにクムザを見つめたロジュが口を開いた。
「話を整理してもいいか? お前たちはウィリデが死ぬ未来を回避したかった。だから、シルバ国の動物密輸事件を起こした。その認識であっているか?」
「そうよ。シルバ国で問題が起きれば、警備が厳しくなる。そしたら、テキューお兄様がウィリデ国王陛下を殺す未来はなくなるでしょう?」
「それから、さっきの監獄で話していた話の大半は嘘だよな?」
「ほとんど、作り話よ。オーウェンは生きているし、一目惚れの話から嘘だし。貴方が信じるかどうかは自由だけど、お兄様の毒殺事件に関しても、適当に喋っていただけよ。私達は関与していないわ」
クムザの返事にロジュは頷いた。ロジュは、クムザの先ほどの振る舞いや口調がどうにも演技がかっていた気がしていたのだ。
「ロジュお兄様を捕らえたのは、交渉のためよ。何もしなくても伝わるなら、行動した方がいいでしょう?」
「……行動が本当に速かったな」
ロジュたちは、自分たちが先手をとれた場合の計画も勿論立てていた。しかし、それよりも圧倒的に速い。
クムザが誇らしげに笑ったあと、思い出したように付け加えた。
「そういえば、ロジュお兄様に刺した注射器に入っていたのは毒じゃないわ。栄養剤よ。人間の脳なんて単純だから『毒』といえば錯覚するわ。ウィリデ国王陛下のルクスが発動したのは、私が注射器を刺すのが下手だったせいね」
まあそうだろうな、とロジュは頷く。クムザがこの前と同じ猛毒だと言っていたときは肝が冷えたが、体調は全く変化していないのだ。
クムザのさきほどの監獄でしていた話が嘘、ということは分かった。しかし、ロジュには引っかかることがある。
「お前は俺を、不幸にしたくなかったのか? 一体なぜ? たいした関わりもなかっただろう。時間もかけただろうし、命を落とす危険もあっただろう? 何でそこまで?」
クムザがしたことは、リスクが高すぎる。ほぼ話したことがないロジュにここまでする理由が分からない。
ロジュの言葉に、クムザは弱く微笑んだ。ロジュを見つめる暗い赤の瞳には水の膜ができていた。
「私達の生きていた世界は、この世界と比べものにならないくらい、平和だった。暗殺者なんていなかったし、治安もよかった。この世界で、前世の記憶が宿ったとき、すっごく怖かった。だって、普通に暗殺者がいる世界なのよ」
クムザはロジュを見る目は、穏やかなものだ。彼女は、満面の笑みを浮かべてみせる。
「でも、私はこの世界の、ソリス国の王族であっても、平和を享受できた。ねえ、ロジュお兄様。貴方のおかげでね」
『ロジュ様。貴方が思っているよりも貴方の慈悲深さに気がついている人間はいるんですよ』
以前のラファエルの言葉が蘇る。ロジュが、クムザやテキューには暗殺者の類いを送らないように、と自身の派閥への統制を完璧に行っていたことをラファエルに指摘されたときの言葉だ。
ロジュは、藍色の瞳を見開いた。その後で緩やかに首を振る。
「そこまでのことは、していないはずだ。俺はそこまで考えて動いていたわけではない」
ロジュは家族愛があるからした行動ではない。打算と少しの情。自分が派閥を統制できているという実績。ロジュに何かあったときにソリス国の後継者がいなくなるのは困るという合理的判断。そして自分より弱い弟妹に暗殺者が送られるのは可哀想、という気持ちを解消するため。
結局のところは打算であり、自分のための行動だ。感謝をされる筋合いはない。
クムザは首を振って、微笑んだ。
「それでも、私は守られた気持ちになったわ。ロジュお兄様。私はそんな貴方に救われたのよ。独りぼっちであるかのように思っていたこの世界で無条件の優しさが嬉しかった」




