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八、十年前からの

 ロジュにとってウィリデは一番信頼できる人物だ。今も昔も。


 二人が初めて会ったのは十年前。

 そのときロジュは十歳、ウィリデは二十歳だった。


 ロジュはソリス国第一王子として、多くの人と会っていた。人との交流をしていた。

 しかし、ロジュの心を覆っていたのは孤独だけだった。誰も彼の孤独を理解していなかった。みんな気がついていなかったのだ。人に囲まれているロジュの気持ちを考えた人はいなかった。


 人が孤独を感じる瞬間は周りに人がいない時だけだろうか。そんなことはない。人が周りにいる時も孤独が色濃く纏わりつくことも往々にしてあるだろう。


 彼の孤独は生まれた瞬間から始まっていたのかもしれない。彼の母親はソリス国の公爵令嬢だった。彼女が王妃となった後、ソリス国の王との間にできた子が生まれてくるのを楽しみにしていた。

 しかし、ロジュの瞳を見た途端、泣き崩れたという。彼の瞳を直視せず、触れることさえなくなった。そして彼に会いに行くことはほとんどない。それはロジュが成長してからも変わらない。


 ロジュにとっては幸か不幸かわからないが、少なくともロジュの母親にとっては幸福だったのではないか。次に生まれた王子、王女の瞳には赤が入っていた。

 特に、第二王子であるテキューの瞳は純粋な赤色であり他の色は混ざっていなかった。王妃はテキューのことを一番可愛がっていた。


 ソリス城で働く使用人は、無口で表情の変化が少ない人が多い。シルバ城で働くからには礼儀作法をしっかりと身につけているため、王族へ気楽に話しかける人はほとんどいない。

 それはロジュに対しても例外ではない。だからロジュは自分に対して使用人がどんな感情を抱いているかは知らない。

 事実として、ほとんど話しをしたことがない、ということだけがある。


 また、父親である王が何を考えているか、ということもロジュにはさっぱり分からなかった。

 父親であるソリス国王は、後継者に関して無関心なのでは、と噂が流れるほど、この件について自分の意思を公表しなかった。

 父親が王太子を公式発表していなかったから、国王の元で働く、宰相や部下はロジュへの接し方に迷いが生じた。


 赤色の瞳を持つ人間しか王になれないが、王が否定をしていない以上、王となる可能性はある。どう接すれば良いか分からない、という理由で彼に友好的に話しかける人はいなかった。


 一方で試すような、窺うような視線や話は途切れることはなかった。その代わり、ロジュを訪ねる人は少なくなかった。他の人から見たら、ロジュは一人に見えなかったかもしれない。それでも、ロジュが独りだった。

 

 社交界には八歳から参加することとなっている。ロジュも同様に参加することとなった。ロジュは少しだけ、期待していたのだ。今までから何かが変わるかもしれないと。


 しかし、希望は全くもって意味のないものであった。

 彼に近づいてくる人間は、ロジュが次の王に相応しいかを見極めるような、値踏みするような目。もしくは、王妃から遠ざけられ、王からは決定を後回しにされていることを知っている人の憐れみの目線。瞳の色が赤でさえあったなら、と囁かれる声。


 そして大人たちは、自分の子どもに言い聞かせるのだ。


「第一王子殿下に、瞳の話をしてはいけないよ。第一王子殿下は瞳が赤でさえあったら、全てを手に入れていたのだから」


 それは間違いではない。ロジュの瞳が赤であったとしたら、ロジュは親の愛情、王の座を何も疑うことなく享受できていただろう。

 全てを手に入れていたかは分からないが、少なくとも今よりも多くのものを手にしていただろう。


 しかし、ロジュ自身は自分の瞳が嫌だと思ったことはないのに、なぜかそう思っているかのように、思うことが当たり前であるかのように、社交界では広まった。

 まるでロジュの瞳の色は侮辱しても良いかのような空気。その空気がロジュは大嫌いだった。

 ロジュは、パーティーや行事を欠席したいと思ったが、欠席してしまえばロジュを攻撃するための隙を作ってしまうようなものだ。

 憂鬱な気持ちを押し殺しながら、作った笑顔で参加していた。


 転機が訪れたのは、ロジュが十歳の時。この時には、作り笑顔さえ辞めてしまっていた。

 ある意味では、作り笑顔を作って愛想を振り撒く必要がなくなるほどの地盤ができた、といえるのかもしれない。


 彼の能力や知能の高さに気がついた人が彼の支持を始めていた。

 ロジュが自分の気持ちを吐露できる人間も信頼できる人間もいなかったけれど、それでも状況は比較的安定していた。


「本日のパーティーには、シルバ国の王太子殿下がいらっしゃるそうですね」

「そのようですね。ソリス国の大学に短期間、留学しにきたとか」

「へえ、シルバ国の王太子殿下は勉強熱心なんですね」


 近くにいる貴族の会話をロジュは黙って聞き流していた。ロジュにとって、そんなに興味を引く内容ではなかった。挨拶をしに行かないといけない、とロジュは心に留めただけだった。



 周囲の視線を集めながら、歩いている人がいた。肩よりも長い深い緑色の髪を一つにまとめており、若草色の瞳が温かい雰囲気を含みながらも、輝いているように見える。一目見て、シルバ国の第一王子だと分かった。


「失礼致します。私はソリス国の第一王子、ロジュ・ソリストと申します。シルバ国の王太子殿下で間違いないでしょうか?」


 丁寧な口調と笑みを貼り付けて、ロジュは声をかけた。彼の若草色の瞳が驚くように瞬き、ロジュの方を見つめる。


「はい、間違い無いです。シルバ国の王太子、ウィリデ・シルバニアと申します。ロジュ第一王子殿下、気軽にウィリデと呼んでいただいて構いませんよ」

「ありがとうございます。ウィリデ殿下。私のことも気軽にロジュとお呼びください」

「かしこまりました」


 シルバ国の王太子とソリスの第一王子の邂逅。周囲の人は会話を止めて、二人の様子を窺っていた。


「それにしても」

 

 ウィリデがニコリ、と微笑んだ。


「お噂には聞いておりましたが、ロジュ様の藍色の瞳は本当に美しいですね。清らかな海の色にも幻想的な夜空の色にも見えます」


 その瞬間、場の空気が凍りついた。話を盗み聞きしていた貴族たちは動きを止める。そして音を立てないようにしながら、ロジュの返答に注目した。

 

 ロジュはというと。驚きで目を見開いた。一番驚いたのは彼だろう。今まで誰も触れようとしなかったのだから。彼は藍色の瞳を零れそうなくらい見開き、言葉を失った。しばらくの間、何も言わずにウィリデを見つめていた。


 やがて、ロジュは糸が解けたかのように柔らかく微笑んだ。


「あの、ありがとうございます。ウィリデ殿下」


 その表情の理由も、沈黙の意味も分からなかったウィリデは少し不思議そうな表情を浮かべながらも微笑み返した。


 ウィリデは馴れ馴れしすぎたか、と不安げであり、ロジュに自分の今の言葉がどこまで彼の救いとなったかなんてこのときのウィリデには知る由もなかった。


「あの」


 パーティーが終了し、参加者が帰っていく中、ロジュはウィリデを呼び止めた。周囲に人はいない。ウィリデはロジュが声をかけて来たことに、少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。


「どうかしましたか、ロジュ様」

「ウィリデ殿下。あの…。また会えますか?」


 不安げに、どこか泣きそうな表情を浮かべるロジュが、ウィリデは自分の弟妹と重なった。自分の馴れ馴れしさに辟易したわけではないことにはホッとした。

 それと同時に、ここで拒んではいけないというかすかな予感がした。ウィリデに放っておくという選択肢はなかった。


「分かりました。ロジュ様。今度、ソリス城に遊びに行きますね」

「ありがとうございます。お待ちしています」


 ウィリデという人間は、有言実行する人間だ。ウィリデはソリス国の大学へ留学中、週に一回のペースでロジュに会いに来てくれた。

 ロジュはウィリデと話している間だけは平穏を感じていた。自信を持って幸せと言える時間だった。ウィリデのことを兄のように慕っていた。


 しばらくして、ロジュはウィリデを「ウィリデ兄さん」と呼び、ウィリデはロジュのことを「ロジュ」と呼び捨てするようになった。


 後になって考えると、大学に行きながら、自国から仕事を任されていたはずのウィリデは相当忙しかったはずだ。それでも、そんな素振りを一切見せなかったウィリデは流石だ、とロジュは思う。


 留学期間が僅かとなったウィリデの元に届いた一通の知らせがこの時間を終わらせた。その手紙には、ウィリデの父親、つまりシルバ国王が危篤ということが書かれていた。ウィリデは慌てて自国へと戻った。

 



 そして、王が亡くなった後、ウィリデは王として忙しい日々を送った。五年が経ち、ようやく落ち着いて来たところだった。落ち着いた、と思った時に問題は発生する。


 ウィリデはシルバ国を覆うようにある森へと散歩にいった。歩いていて、異変に気がついた。森にいるはずの動物が、少なくなっている。特に小動物が。ウィリデは調査団を派遣し、不自然な減り方をしていることを調べ上げた。そして、原因を突き止めるために、犯人を突き止めるためにシルバ国を閉ざすことにしたのだ。ウィリデはロジュとの連絡すら、()った。


 仕方のない話だ。ウィリデはシルバ国の王となった時点で、何よりも自国のことを優先しなくてはならない。それでも、ロジュはウィリデと会う時間だけが唯一の。


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