五十七、侵入者
風が強かった。シルバ国から帰ってきたロジュは、就寝の準備をした後、目を開いたままベッドに寝転がった。
1人の部屋で考える。さきほどウィリデと少し話していたことだ。愛とは何か。恋とは何か。それを決めるのは自分だ。決まった形なんてなくて、正解はない。
正解はなくても、ある程度の共通点はありそうだ。愛は大切の延長線上なのかもしれない。それでは恋は? 恋の延長が愛なのか、はっきりと別物なのか?
そこまで考えたロジュは部屋の外に意識が引き寄せられた。思考を止めたロジュは音を立てずに身体を起こす。人の気配だ。押し殺した呼吸のような。
風で揺れる窓の外にその気配を見つける。ロジュは、自身の短剣を手にした。手元で1回転をさせ、自身の手になじむのを確認する。
ロジュは窓の方に視線を向けた。待つか、先に仕掛けるか。どちらが得策か分からない。どちらでも勝てるかもしれないが。ロジュは表情なく立ち上がった。そして窓を開け放つ。
ロジュは、後手に回るのが好きではない。
ロジュは、素早く短剣を突きつけた。カン、と甲高い剣の交わる音が響く。
止められたことに、若干の焦りを覚える。一撃で終わらせるつもりだった。この人物は、結構手練れかもしれない。
ロジュは、藍色の目を鋭く細めた。闇に溶け込むような真っ黒なフードをかぶっているから、誰かは分からない。それでも、初対面ではない気がした。
「お前は、誰だ?」
その言葉に返答はなかった。ロジュも返答がくるとは思っていない。冷ややかな視線を相手へと向ける。
一瞬だった。ロジュは相手の背後へと周り、その首元に短剣を突きつける。その動きは鮮やかで、無駄がない。
「誰の差し金だ?」
ロジュは低い声で尋ねる。相手は黙り込んだままだ。相手は、剣については手練であるだろう。しかし、暗殺という面では、あまりそうではないだろう。相手の剣はあまりに真正面であり、卑怯さはなかった。それが余計に不可解に思う。
この人物は何者か。そしてこの人を差し向けた意図は何か。
ロジュがどうやって聞き出すかを思案していると、その人物は口を開いた。
「貴方が私を殺せば、私の仲間がウィリデ・シルバニアを殺します」
低い声だった。おそらく男の声。その言葉をきいたロジュの表情が抜け落ちた。ここでウィリデの名を出してくる相手に冷静さを保つことはできず、藍色の瞳に凍てつくような怒りを浮かべる。
「ウィリデ国王陛下が簡単に殺されるわけがないだろう」
「それでも、貴方はこちらの要求に従うしかない。ウィリデ・シルバニアが殺される可能性が少しでもあることを貴方はできない」
確信めいた言葉。この人物はロジュの何を知るというのか。しかし、それはロジュの本質を外していない。死という言葉で、体が冷たくなる気がした。呼吸が荒くなりそうなのを、必死に隠す。
ロジュは息を吐く。彼の手から短剣が滑り落ちた。
合理的ではない。シルバ国の警備を信じ、この男を殺すか、生きたまま捕らえるのが最適解だろう。それは知っている。それでも、ロジュはウィリデを危険にさらしたくない。
「何が望みだ?」
ロジュが抵抗する気がなくなったと気がついたその男は、ロジュの拘束から抜け出し、ロジュに向き直った。彼の着ている真っ黒なフードから覗くのは、紫の瞳であった。
「我が主が貴方をご所望です」
その男は、足音を立てずにロジュに近寄ると、液体が染みこんでいる布をロジュの口元にあてた。
猛烈な眠気が一気に襲ってくる。立っていられなくなり、床に膝をついた。視界がぐらぐらと揺れる。昨夜寝ていれば、ここまでの眠気は襲ってこなかったのか。それとも、この睡眠薬のようなものが異常に強力なのか。意識を失う直前にロジュが考えたのはそんな疑問だった。
ロジュの視界は一気に暗くなった。
ロジュの部屋のすぐ外にある木に止まっていた鳥がバサリと飛び立ち、シルバ国の方へと向かった。




