七、友好的
ウィリデは、怒っているような、悲しそうな瞳でロジュのことをみつめた。
「ロジュは何でわざわざ血を流した?」
「ああ、説明を忘れていたな。これは恐らくほとんどの人が知らない方法だが、フェリチタからの加護を強く受けている者は、自分の血を使うことで、人の制御下にあるフェリチタを自分の制御下に奪うことができる」
「そんなことやってみようともしたことがなかった。人の制御下にあるものを奪うって、人の意識を乗っ取るようなものじゃないか?」
「流石ウィリデ陛下。例えが上手いな」
ウィリデは昔から分かりやすく説明が上手い。そうロジュが感心していると、ウィリデは呆れたような表情を浮かべる。
「例はそんなに重要じゃないだろう。それよりも今までやったことがあったのか?」
その疑問に対しロジュは首を横に振る。
「実際にはないけど、理論上はできると思っていた。自分の誠意がフェリチタに伝わればいいから、自分の一部であり自分を構成しているものである血を渡せばいいと思っていた。まあ、こんなことをしなくても正統法としては、祈りだな。ただ、祈りは時間がかかると思ったから、速そうな方を選んだ」
何でもないように答えるロジュとは違い、ウィリデの表情はどこか強張ったままだ。
ウィリデはゆっくりロジュに近づき、そっとロジュの腕に触れた。
「痛くなかった?」
「ああ。対した傷ではない」
ウィリデもリーサも当事者であるロジュよりも痛そうな顔をしている。リーサが立ち上がり、消毒液と包帯を持ってきた。そして黙ってウィリデに手渡した。ウィリデも当然のように受け取ると、静かにロジュが短剣で作った傷を手当てした。ロジュは何も言わずにされるがままになっている。
「ロジュ様」
リーサが橙色の目を真っ直ぐロジュの方へと向けて口を開いた。
「今日は、本当にありがとうございました。この御恩は忘れません」
「私からも言わせてくれ、ロジュ。本当にありがとう」
ロジュの治療が終わったウィリデもロジュに声をかける。ロジュは黙って頷いた。伏せられた彼の表情を覗き見ることはできなかった。
気がつくと日は沈みきって、外は闇に包まれていた。
「ロジュ、夜も遅くなってしまったし、シルバ城に泊まっていくか?」
ウィリデの問いにロジュは悩むそぶりを見せる。
「今日は帰るのは面倒ではあるのだが、ソリス国への連絡はどうしよう」
「えっと……。ロジュ、まさかとは思うが、誰にも言わずに来たわけじゃないよな?」
恐る恐る、と言った様子でウィリデは声を出す。ロジュはどうだったかな、と記憶を手繰り寄せた。
「何も言わずに来たわけではない」
「それならよかった。ちゃんとシルバ国へ行くと城の誰かには伝えているんだな」
「あ、思い出した。父上に出かけてくるって言って来た。シルバ国に行くとまでは言っていない」
「それは大丈夫なのか……?」
誰にも伝えずに国境を越えるのは、両親が心配するのではないだろうか。そんな不安げを見せたウィリデに向けて、ロジュは肩をすくめてみせる。
「まあ、大丈夫だ。シルバ国にいることは伝わっている」
「何で分かるんだ?」
ウィリデからの質問に対して、ロジュは藍色の目を細めた。
「恐らく父上が監視をつけていた。シルバ国に入る直前まで。人が二人ほどついてくるのを気づいていた」
何が目的なのだろう、とロジュは思考するが、すぐに諦めた。人の行動の意図を考えても仕方がない。
「シルバ国にいることは伝わっていると思うが、知らせもなくいきなり泊まっていくのは問題があるかもしれない」
「人をシルバ国に送って伝えようか?」
「まあ、帰ろうと思えば帰る気力は残っているが」
「せっかくですし、泊まって行かれたらどうですか?」
ロジュとウィリデの会話にリーサが口を挟む。
そのリーサの言葉にウィリデも頷いた。
「そうだな。泊まっていたらどうだ?」
柔らかい雰囲気を持つ二人はどこか纏う空気が近い。二人からの提案に断る理由もなく、ロジュはこくり、と頷いた。
「お久しぶりです、ロジュ様」
ウィリデに連れられて客間まで向かう途中、ウィリデとリーサの弟である、ヴェールがロジュに挨拶しに来た。
「ああ」
「あの、炎を消してくださったのはロジュ様だと伺いました。ありがとうございます」
ヴェールは真っ直ぐ伸びているエメラルドのように輝く髪を揺らしながら、ふわり、と微笑む。
「別に大したことはしていない」
「いいえ、すごいことです。ありがとうございます」
再びお礼を言ったヴェールは廊下の反対側へと去っていった。
ロジュとウィリデが歩いていると、シルバ国の使用人がチラチラと二人の方を見ていた。
「陛下と一緒にいらっしゃるのって、ロジュ様だよな」
「絶対、そうだって。あの深紅の綺麗な髪を持つ人は他にいないでしょう」
「声かけてみる?」
「よし。ロジュ様、先ほどの火を解決してくださりありがとうございました」
「ありがとうございます」
「……ああ」
シルバ城で働く人たちからの感謝の言葉を受け、ロジュは困った笑みを浮かべる。声をかけて来た使用人は返事をしてもらった、と嬉しそうにしながら近くの部屋へと入っていった。
「ウィリデ陛下、シルバ国の人間は、何というか……、友好的だな」
「めちゃくちゃオブラートに包んでくれたね。はっきり言っていいよ。シルバ国の人間は馴れ馴れしいでしょう? もちろん私も含めて」
その言葉にロジュは肯定も否定もしない。ウィリデはロジュに向かって微笑む。
「昨日のことのように覚えているよ。ロジュと初めて会った時のことを。最初は面倒くさそうにしてなかった?」
「全然覚えてないじゃないか。俺は、最初から今までウィリデ陛下のことを面倒なんて思ったことなんてない」
「へえ、そうだったんだ。じゃあ、どう思ってたの?」
興味津々、といった様子で目を輝かせながらウィリデは尋ねる。ロジュはその若草色の輝きをじっと見つめたが、すぐに目を逸らした。
「教えない」
「ええ、そこは教えてくれよ」
ウィリデが縋るような目で見てくるが、ロジュは目を逸らす。目を合わせたら、全て言ってしまいそうだったから。




