五十二、選択肢の提供に過ぎない
「それで、リーサ。私に報告していないことは?」
ウィリデは、執務室にある自分の席に座り、机の前に立つリーサにニコリと微笑みかけた。リーサは、照れたように俯く。
「ロジュから聞いたんじゃないですか?」
「うわ、見せつけるね」
リーサがロジュを呼び捨てしている。それに気がついた揶揄い混じりにウィリデは笑う。リーサはウィリデをにらみつけ、少しすねたように声を出した。
「兄上だって、ロジュにウィリデと呼ばせているじゃないですか」
それを聞いたウィリデは苦笑する。これ以上こちらから深掘りすると、自分にも返ってきそうだ。
「まあ、確かに。ねえ、リーサ」
「なんですか?」
不思議そうに首を傾げるリーサに、ウィリデは楽しげな表情を浮かべる。
「弟はまだやらないってやりたい」
ウィリデの楽しげな表情を、リーサは呆れた表情で見つめる。その表情から、すぐに真剣な表情へと変えたリーサは、ウィリデを橙色の瞳で見据える。
「兄上にとって、ロジュは弟なんですの?」
その言葉に、ウィリデは若草色の瞳を見開いた。それは、まるでウィリデとロジュの話し合いの内容を知っているかのようだ。ウィリデはリーサに探るような視線を向ける。
「……。どこまで知っている?」
「私は何も聞いていませんわ」
涼しい顔で返事をするリーサを、ウィリデは目を細めて見つめた。
「それじゃあ、どこまで予測している?」
「ロジュは『ウィリデ陛下』と呼んでいましたね。それから『ウィリデ兄さん』に変わるならロジュが弟であることを受け入れたことになりますけれど、『ウィリデ』と呼んでいるなら、友人とかそのあたりで収まったのでは?」
「……」
「沈黙は肯定とみなしますわよ?」
「友人」ではなく、ウィリデはロジュに「同志」という言葉を使った。しかし、そこまでリーサに伝える必要はないだろう。
「まあ、大体合っている」
「よかったです」
両手を重ね合わせて喜ぶリーサを見たウィリデは、優しく彼女の名を呼んだ。
「リーサ」
「なんですか?」
改まったように名前を呼んだウィリデに、リーサは首を緩やかに傾けながらウィリデを見つめる。ウィリデは涙ぐみそうになるのを堪えながら微笑んだ。
「おめでとう、幸せになってね」
ウィリデの言葉をきいたリーサは、一瞬不思議そうな表情を浮かべてから、優しげに笑った。
「私はもう幸せですよ。私を救ってくれた方を手に入れ、家族から祝福をもらえるのですから」
その言葉が嘘ではないのは、リーサの表情を見たらすぐにわかる。ウィリデは、力が抜けたように微笑んだ。
「ロジュのこと、よろしくね」
「兄上に言われるまでもありませんわ」
そのリーサの返事に、ウィリデとリーサは顔を見合わせて笑い合った。
この部屋は、リーサにとって勝手知ったる執務室だ。ウィリデの話が一区切りしたと判断したリーサは、ウィリデが執務室を行う机の前にあるソファの一つに腰掛けたまま、ウィリデに声をかけた。
「ねえ、兄上」
自身の机にある書類を整理し始めたウィリデは、手を止めて、声をかけてきたリーサの方を見つめる。
「なに?」
リーサは、少し考え込む素振りを見せた後で、悩みながらも口を開いた。
「もし、私がロジュを好きにならなかった場合、どうするつもりだったんですか?」
その言葉に、ウィリデは困惑する。リーサは何を言いたいのだろう。
「何の話?」
そんな表情のウィリデを見ても、リーサは疑念の瞳を向ける。何をこんなに疑っているのか。少しだけウィリデは仮説を立てるが、不思議そうな顔を保ったままリーサの方を見つめた。
「しらばっくれないでください。私とロジュの婚約をいつから視野に入れていたんですか?」
「リーサといい、ラファエルといい、私のことを過大評価しすぎじゃないか?」
過大評価させる。それはウィリデの計画したところではある。ウィリデの能力を実際よりは誇張して見せることで、「ウィリデは頭が切れる人だ」と勘違いさせる必要があった。自分が、死なないために。それにしても、ウィリデと親しい人も過大評価している気がする。
「もう、兄上。余計な謙遜はいりません」
そう言いながら軽く睨んでくるリーサにウィリデは苦笑する。
「別に、ロジュとリーサを婚約させようとは考えてなかったよ。ただ、選択肢をあげたかったんだ。ロジュにも、リーサにも」
「選択肢、ですか?」
不思議そうにウィリデの言ったことを繰り返したリーサにウィリデは頷いてみせる。
「ああ。まず、リーサはロジュのことを噂でしか知らなかっただろう。本音では、少し苦手意識すら持っていたんじゃないか?」
「……」
「沈黙は肯定とみなすよ?」
先ほどのリーサと同じ言葉を使うウィリデに、リーサは頬を膨らませた。
「もう。ええ、認めますわ」
「そうだと思った。ロジュは誤解されやすいからね。噂だけが先行しているし、比較対象になりやすいし」
「でも、兄上はロジュと私を比べることはありませんでしたわね」
リーサが他の貴族からロジュと比べられることはあるのはウィリデも知っていた。無論ウィリデからそれを口にしたことはない。
「だって、比べる意味なくない?」
なんの迷いもなく、ウィリデはあっさりと答える。それを見たリーサは口元に笑みを浮かべた。
「兄上はそうでしょう。それでも、比べる人は一定数いましたわね。シルバ国でもそんな様子でしたから、ソリス国内ではどうだったかなんて、想像が容易ですわ」
ロジュは比較対象として持ち上げられ、それを妬む人間も存在していただろう。それが、ロジュへの悪感情を構成する。そう考えたリーサに向かって、ウィリデは頷いた。
「まあ、なかなか心が許せる友達ができなかった要因の一つだろうね。みんなロジュを遠い存在とする。それか畏怖して近寄らない」
「神聖化してしまうか、酷く憎むかどっちかでしょうね」
「ああ。ラファエルだって、神聖化してたんじゃないか?」
現在は、ロジュに絶対的な忠誠を誓っている、ラファエル・バイオレット。彼でさえ、ロジュに声をかけるのに大分時間がかかっていた。ロジュは遠い。彼自身からはほとんど手を伸ばさなかったため、余計にロジュ・ソリストは遠く感じる。




