六、事情の推測
誰かの力によって燃えている炎に干渉することはできないと言われている。
それでも。ロジュほど強くフェリチタから加護を受けている人間には、方法がいくつかある。そのことをロジュは知っている。迷っている時間はない。
「ウィリデ陛下、時間がないから俺が今から何をしても止めるな」
隣にいるウィリデに対して、鋭く告げると彼はどこからか隠し持っていた短剣を取り出した。
そして。右手で持った短剣を自分の左腕に軽く滑らせる。彼の腕から鮮血が溢れ出した。
「ロジュ!?」
動揺したように声をかけたウィリデを無視したまま、ロジュは出てきた血を炎に垂らす。炎の一部にロジュの血が浸透していった。
「消えろ」
そう言ったロジュの声はさほど大きくなかった。しかし、部屋中に流れるように伝わった。
炎は一瞬にして霧散した。
「……」
何が起きたか分からずウィリデは言葉を失う。炎は全て消え失せ、この場に残ったのはリーサとロジュ、ウィリデだけ。焦げ臭い匂いが蔓延する一方で、この部屋以外に炎は広がっていなさそうだ。
「……リーサ、ロジュ大丈夫か?」
何とか絞り出すように声を出したウィリデに対し、ロジュは静かに頷く。リーサはしばらく反応がなかったが、しばらくしてゆっくり頷いた。リーサをジッと見つめ、怪我がなさそうだと判断したウィリデは、小さく息を吐いた。
「ロジュ、私には何が起こったかよく分かっていないが、とにかく妹を助けてくれてありがとう」
そう言ってロジュに向かって微笑みかけるウィリデは流石、シルバ国の王だ。短時間で完璧に動揺を消し去った。
「ああ。今見たことは他言無用で頼む。説明は後でする」
そう言って、目の前にいる人形のような美貌の人物を藍色の目を少し細めながら見る。
彼女は何者なのだろうか。
「ロジュ、これを使ってくれ」
ウィリデが差し出したハンカチを、お礼を言いながらロジュは受け取る。そして軽く傷口へ当てた。
三人は応接間へと移動した。ウィリデが使用人へ人払いの指示を出しているのを横目で見ながら、ウィリデの妹、リーサを観察する。
彼女は若緑色の髪であった。若緑は通常の緑よりも少し淡く、明るめの色だ。彼女の瞳は暖かな橙色をしていた。
冷たさを感じない橙色にジッと見つめていると、彼女もこちらをチラリ、と見た。はっきりと目が合ってしまい、ロジュは思わず目を逸らした。
「よし。何から話そうか。最初に自己紹介でもしておくか?」
人を周囲に近づかせないように、という使用人への指示が済んだウィリデが二人に声をかける。
「ソリス国第一王子、ロジュ・ソリストだ。好きに呼んでくれ」
「シルバ国の王妹のリーサ・シルバニアと申します」
名前と身分が伝われば良いだろう、と名乗ったロジュに対し、リーサも倣って返す。
「それで、何から話す?」
ロジュの言葉は端的だが、纏う雰囲気にはそれほど冷たさが混ざっていない。
「そうだな。じゃあ、ロジュがあの時何をしたか、を教えてくれ」
「ああ。俺は言ってもいいが、リーサ殿下の事情も一緒に言うことになるけど、それでもいいか?」
チラリ、とロジュがリーサを見るとリーサは頷いた。
「リーサと呼んでいただいて構いません。私の事情……。正直なところ、自分でもよく分かっていないのです」
リーサの答えを聞いて、ロジュは軽く頭を押さえる。恐らくこの場で起こったことを全て理解できているのは、自分だけだ。
「分かった。あー、何から話せばいいんだ」
ロジュは藍色の瞳を数度瞬かせながら思考を巡らす。
「ウィリデ陛下、一つだけ教えてくれ。俺の記憶が正しければ、五代前のソリス国王の姉がシルバ国の公爵と婚姻を結んだ。そして陛下やリーサの母親はその公爵の血筋だ。間違いないな」
「ああ。確かにそうだが。待て、ロジュ。流石にそこまで言われたら何となく察する」
ロジュからの遠回しな発言だけで、何となく分かってしまったウィリデは軽く頭を押さえた。
「流石ウィリデ陛下。俺よりも情報が少ないはずなのに、よくわかったな」
感心したように頷いたロジュは再度口を開く。
「結論から言おう。リーサはソリス国のフェリチタである炎から加護を受けている」
通常、フェリチタから受ける加護というのは一つしか受けない。
少しならあり得るが、ロジュのように自国のフェリチタ二つ共から強力な加護を受けるのは例外中の例外。
国の中にはフェリチタからの加護が実感できないほど小さい人もいるという。
フェリチタについては分かっていないことが多い。なぜ加護をくれるのか、なぜ国によって決まっているのか。謎が多い存在であるのだ。
そして、リーサも恐らく例外の中の一人である。自国以外のフェリチタから加護を得るなんて、聞いたことがない。
「念の為確認するが、リーサはシルバ国内で生まれたんだよな?」
「ええ、そのはずです」
リーサがウィリデの方を見ると、ウィリデは頷いた。
「ああ。間違いない。私が六歳の時だったから、覚えている」
ウィリデの返事を聞き終えたロジュは頷いた。
「じゃあ、生まれた場所は関係ないな。それならやっぱり、ソリス国の血が薄くではあるが混ざっている、というのが原因にありそうだな。リーサは今まで自分に加護を与えているフェリチタを何だと認識していたんだ?」
「ええっと、それがあんまり分かっていなかったんですよね。森も陸上動物も反応なし、という感じだったので、認識できないくらい少ないと思っていました」
なるほど、とロジュは頷く。それなら納得だ。
「リーサは、訓練場で何をしていたんだ? 起こったことを教えてほしい」
「かしこまりました。兄上」
質問したウィリデに対して、リーサは軽く頷いて答える。
「私はいつものように剣の練習をしようと思って、練習場に行きました。私は今までフェリチタからの加護がほとんどないと思っていました。身を守る方法がほしかったので毎日訓練しています。本当に、いつも通りでした」
そこまで話したリーサは言葉を選ぶように視線を下へと向けた。迷うように視線を動かしながら、再び口を開く。
「あの炎は元々蠟燭の火でした。しかし、私が何をしたか分かりませんが、気がついたら広がっていて」
「気がついたら、広がっていた?」
「気になるところがあるのか、ロジュ」
「ああ、聞いたことがある気がする。炎のフェリチタが勝手に広がるのは、加護のレベルが高い方の反応だったはず。十段階でいうところの七から九には位置するはずだ。ソリス国の中でも強いレベルだ」
記憶を辿るようにして言葉を発したロジュに、ウィリデが疑問を投げかける。
「ロジュは確かソリス国のフェリチタである太陽からの加護も炎からの加護も強かったはずだよな。さっきのリーサみたいに炎が暴走、というか勝手に動き出すことはないのか」
「ない」
ロジュは断言して、ウィリデの方へ藍色の瞳を向けた。
「俺はどちらの加護レベルも十段階の一番上だ。この段階まで来ると、炎は俺の意に沿わないことはしない」
「それは……」
ウィリデは思わず言葉を失った。ロジュの力は強大だと知っていたが、そこまでだとは。二つのフェリチタから加護を受けている人もごく僅かなはずだ。その力まで強いとなると、果たしてロジュに勝てる人はいるのだろうか。
「まあ、今回の件はそんなに深刻に捉える必要はないはずだ」
言葉を失ってしまった二人を気にすることなく、ロジュはリーサの話へと戻す。
「多分、あの時は炎が気づいて欲しくて暴走しただけだと思う。途中からは気づいてもらえて喜んでいたのかもしれないが……。炎はリーサを囲むだけで害することはなく、今は何ともないから今後は大丈夫だろう」
机に置いてある炎に目をやりながらロジュは口を開いた。
「そうか。それならいいが」
ウィリデがホッとしたように答える。
「でも、今すぐに制御しようとは思わない方がいいだろうな」
ロジュのその言葉にウィリデも頷く。
「そうだな。また燃え上がっても困るから。でも、少しずつ慣れる必要がありそうだ。今後のことはまた考えよう」
ウィリデの言葉にリーサは首を大きく振って頷いた。
「あと、俺が来たことがきっかけになっているかもしれない」
「ロジュがシルバ国に来たことが?」
「ああ。これは予想に過ぎないが、俺がシルバ国に来るのは二回目だろう? 一回目は影響するほどの時間いなかったが、二回目で何らかの基準を超えて影響が及んだのかもしれない」
「コップの水が一回目には半分くらいまでしか満ちていなかったのが、二回目で溢れた、というイメージか?」
「そういうことだ」
ウィリデの例に、ロジュが頷く。
「それで、ロジュ」
「何だ?」
ウィリデの若草色の目がスッと細められ、ロジュを見つめる。




