四十一、愛
リーサとラファエルが少し遅れて部屋に入ると、ロジュが窓際に立っていた。ラファエルは部屋に鍵を閉めながら、ロジュが何をしていたか疑問に思うが、何かあるならロジュの方から言ってくるだろうと考え、空いている椅子に座った。窓際から離れたロジュも空いている席に座る。
「ただ、嬉しかったんだ。ウィリデに愛されていたことに気がついて。そして、そんな簡単なことを認められていなかった自分が情けなくて」
ロジュの研究室。開口一番に、ロジュはそう言った。それを聞いて、ラファエルとリーサが驚きの声を上げる。
「ロジュ様……。良かったです」
「ええ。本当に。兄上が喜びますわ」
その言葉をきいて、話が見えないエドワードだけが不思議そうに首を傾げる。
「えっと……。ウィリデ国王陛下がロジュ様を大事になさっていたことは、見れば分かるのでは……」
「エド」
遠慮なく言ったエドワードの言葉をラファエルが止めるが、既に遅かった。その場を静寂が支配する。ラファエルも、リーサもフォローも何もできない。事実だからだ。特に、ロジュが毒殺されそうになった事件で、ウィリデがロジュを庇護しているという事実が囁かれるようになった。それまでは、ロジュが一方的にウィリデを気に入っているのでは、と言われていたが、その認識は覆された。その情報を手にした人は、ウィリデがロジュを大切にしているということを確信した。
ロジュが、右手で顔を覆った。そして、しばらくして薄く笑みを浮かべながら、口を開いた。
「そのことを、俺はずっと理解できなかった。俺は人の感情は、否応なしに、本人の意志とは関係なしに変化すると思っているから」
それは、ロジュがラファエルを側近にするかどうかで悩んでいたときにも考えたことだった。
ロジュは苦しげに笑う。
「だからこそ、ウィリデの言葉から目を逸らした。俺自身に価値がないと、いずれは興味をなくしてしまうだろう、と決めつけて」
ロジュの言葉に、ラファエルは目を逸らした。ラファエルは知っている。そのロジュの考えを見透かしていたウィリデは間違いなく寂しそうな表情をしていた。
「でも、違うだろう。俺が感情の変化を恐れるのと、相手の気持ちを信じないのは、話が別だ。今、相手がその感情を抱いている。そのことを疑うと、相手は困るのだと気がついた」
「気がついたきっかけは何だったのですか?」
リーサからの質問をうけ、ロジュは軽く笑みを浮かべてエドワードの方を見た。
「エドワードが、俺に『俺を友人にしたところで、利点は多くない』と言ったんだ。そのときに、思った。俺は、何も求めていないのにって」
「困らせて申し訳ありません」
ロジュの言葉をきいたエドワードが、申し訳なさそうな表情をする。それに、ロジュは首を振った。
「お前は悪くない、エドワード。お前のおかげで気づくことができたんだ。似たような言葉を聞いたことがあった。それは、ウィリデに言われたことだ」
「ウィリデ様は、何をおっしゃっていたんですか?」
ラファエルからの問いかけに、ロジュは何もない場所を見つめる。その表情は、本人が意識せずとも口元は緩んでいた。
「ウィリデにとっての『愛』は、見返りを求めないものだって。ウィリデはそのとき、俺に愛している、と言いたかったんだと思う。だって、ウィリデが俺にした行動に見返りを求められたことがなかった」
ロジュが十歳のとき。ソリス国に留学していたウィリデは、一週間に一度はロジュの元へと来てくれた。しかし、その行動に見返りなんて求められたことはなかった。そして、ロジュが二十歳になり、ウィリデとの交流は再開したが、ウィリデはロジュに何も求めなかった。また、ロジュへ見返りを求めない行動を要求することはなく、ロジュの行動に対しては対価を渡すことを前提としていた。
そのウィリデの行動自体、ロジュへの愛であった。
「俺は、本当に非道な人間だよな。自分が傷つくのを恐れて、疑って、相手を信じなかった。どれだけいろんなことを言われても。どれだけ感情を渡されても」
期待して、裏切られたくない。ロジュはその感情が強かった。だから、相手の気持ちを疑い、怖がり、信じなかった。それで一体、何人が傷つき、寂しく感じ、苦しんだのだろう。ウィリデだけではない。目の前の彼らもそうだ。
「ごめん、ラファエル、お前の気持ちを信じず、契約で縛り付けて」
「それは僕が勝手にやったことなので構いません」
ラファエルは、表情を変えずに言い切った。ロジュが契約の話を持ちかけたのは確かだが、フェリチタへの誓いを行ったのはラファエルの独断だ。だから、ラファエルは謝ってもらう必要はない。しかし、ロジュは首を振る。
「俺が伝えたいと思っただけだ。俺の側近になってくれてありがとう」
「いえ。ロジュ様。こちらこそ、ありがとうございます」
ラファエルに向かって微笑んだロジュは、次にリーサへと視線を向けた。
「リーサ、決断を後回しにしていてごめん」
「いえ、私は構いませんわ」
ロジュは、その答えを予想していたように頷く。リーサが、急かさないのは知っている。それでも、そのリーサの寛容さにつけ込んでいたのは自分だ。いい加減、覚悟をしなければ。
「リーサ」
リーサの名を呼んだロジュの声は震えていた。リーサは、橙色の瞳を何度も瞬かせた。
「何ですか、ロジュ様」
ロジュは深く息を吸うと、藍色の瞳を真っ直ぐにリーサの方へと向ける。その瞳の真剣さに、リーサは囚われたように動けなくなる。
「これが恋だと断定することはできない。それでも、俺はお前のことを他の人より眩しく思っている自分を信じる」
「それは……」
「リーサ、俺と付き合わないか?」




