第六節 オオカミの夢 炭焼き小屋 ゴーレム病の男 出発
「もしも貴女が森でオオカミに出会ったらどうするシオン?」
魔女は虚無の庭に腰かけ、小さな少女を膝に乗せてその髪を梳いてやりながらたずねた。
「オオカミは見た事が無い どんな生き物なの?」
「オオカミはね、犬に似ているけれど少し違うの」
「犬は好きよ 可愛いもの」
「そうね、私も犬もシオンもkawaiiと思うわ でもオオカミはとっても怖いの 犬よりもずっと大きな体で、大きな鋭い牙があって、体には毛が無いのそれに、暗闇でもよく見える三つ目の瞳が額にあるの」
「こわーい!」
少女は魔女の胸に顔をうずめた。魔女はその姿をいとおしげにひとしきり眺め、それから少女の両脇をとって抱えた。
「さぁ、貴女にこれからオオカミ退治の物語を聞かせてあげるわ 歩くカエルのお師匠様と、大きな熊のお友達も一緒にね」
「わーい! たのしみ!」
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シオンはいつも通り、日の出と共に移動を再開した。
マダム作ってくれたウサギのスープになんらかの効能があったのか、昨日は悪い夢も見なかった。
予定よりも遅くはなったが疲労も癒え、意気揚々と川上の山麓にあるという集落への道を踏み出したのだった。
始めはなだらかな丘のように見えていたが、近くまで来るとかなり大きな山であることがわかる。
高さはそれほどでもないが山体は大きく、豊かな植生を感じさせる。
ここが町を潤し、力強く流れる川の生まれ故郷だ。
さらに近付くと、山の一画の木々がほとんど斬り倒されている事に気付いた。
幾つも立ち上る煙も見える。炭焼き小屋があるのだ。
山の麓の集落と言えば、だいたいは樵や炭焼き職人、あるいは鍛冶屋の集落とみて間違いない。
シオンは大方の人々と同じく、あまり彼らの事を良くは思っていなかった。
樵や炭焼きの男たちは隔絶された環境で常に肉体労働する者たちだ。粗暴で、厭世的で、やたらと斧を振り回す、不潔な者に決まっている。
そういう連中はシオンのような女の子を見れば、やぁ小さい穴が歩いているぞと猥雑な冗談を投げかけるものだ。
集落が近付いてきた。道はすでに途切れ、川も反対側に遠ざかっていた。
道端には薪用に切られた木片が、壁のように整えて置かれ、それが延々と伸びている。
こんなに木を沢山切ってしまって、山の木が無くなってしまわないかと不安に感じるくらいだ。
秋が過ぎればすぐに冬になる。山に雪が降れば薪を取る事もできなくなる。樵にとって一番の稼ぎの時期なのだ。
そんな頃合にオオカミに仕事の邪魔をされるのは、かなりのストレスであろう事が伺える。
簡素な木造の家が立ち並ぶあたりで、カンコンとリズミカルな音が聞こえる。薪を切っているのだろう、少女は覗き込んで、その場で固まった。
手足が金属になっている男が居る。服は着ているが丈が短く、其処から伸縮する金属の棒や、忙しく動く丸い部品からなる手足が見えているのだ。
シオンは本からの知識で、それらが歯車という機構であると知っていた。時計や水車で使われているもののミニチュア版だ。
「ゴーレム病……」
少女は思わず、その忌々しい名前をつぶやいた。ゴーレム病の男は両手に一本ずつ斧を構え、器用なことに二つ同時に丸太を切り落として薪に変えていた。
その周りで女たちがひっきりなしに動いて新たな丸太、新たな薪を選り分け、効率よく動いていた。
シオンはその光景に見とれていた、薪割りの妙技もそうだが男の表情を特に驚いた。男は笑顔で仕事をこなしていた。
ゴーレム病となった者は手足が変化し、無数の歯車と金属シャフトから成る機械の様になってしまう。
そればかりでなく、大抵の者は同時に心を蝕まれる。あるものは異常に暴力的になり、あるものはほとんど口も聞かなくなってしまう。
そしてその異様な姿から疎まれ、コミュニティからの追放を余儀なくされる。この世界において追放とはすなわち死刑と同義だ。
だから集落の中に上手く溶け込み、笑顔で仕事をこなすゴーレム病患者の姿に、少女は酷く動揺したのだった。
そんなシオンの様子に気が付いたらしく、ゴーレム病の男が斧を置いて見知らぬ少女の方を見た。シオンは反射的に身を隠すも、すぐに男から声がかかる。
「おーい、何してるんだ? 薪が欲しいなら好きなだけやるぞ」
銅鐘のような不思議な雑みと響きのある声だった。
シオンは一度深呼吸して、心を落ち着けてから改めて顔を出した。男も、周りの女たちも怪訝な顔を向けているのがわかる。
「オオカミ退治の依頼を出していたでしょ? ここだと思ったけど?」
と、革袋から割符を取り出してみせた。
「君がオオカミ退治をするって? もしかして一人で? 見たとこまだ子供みたいだが本当に大丈夫か?」
「大丈夫、前にもやった事あるわ あー、私はシオン あなたは?」
「俺はオイコスだ そっちがバーサで、向こうはカーリー あっちの背の低い金髪はカミラ 他に二人、炭焼き小屋の方に居る 全員で20人ほどがここで暮らしてる」
「はい、よろしくね その、もし良かったらちょっと聞きたいんだけど……」
「ゴーレム病の男がなんでこんな所にいるかって?」
シオンは図星を付かれたが、バツの悪い事を口に出さずに済んだのは感謝すべきか。曖昧なうなづきを返した。
「良いんだ、最初はみんなそういう顔をする ゴーレム病になった奴はみんなおかしくなっちまうが、俺は逆に作用したみたいなんだ 病気になる前は暗くて、根暗で、塞ぎこんでばかりいたんだが 今はこうしてるのが楽しくて仕方ない それにこの体は凄いぞ! 見ての通り、力仕事はお手の物だ」
「へぇ、そんな珍しいこともあるのね それならオオカミも怖くないんじゃないの?」
「奴がこの近くまで来てくれたらな 見ての通り、ココは女ばかりだ 俺一人で何でもかんでもできるわけじゃない 君も女の子だけどな」
「わかったわ、変な事聞いてごめん 鉄になったのは手足だけなの?」
「ああ、もう一箇所だけ鉄みたいに硬い所があるぞ 見てみるかい?」
男の言葉にシオンは首をかしげたが、周りの女たちが声を上げて噴出したのを見てようやくそれが酷いジョークである事を察した。
シオンは傍らの薪束の一つを手に取ると男に向かって投げつける。周りの女たちは一層大きな声で笑い出した。
「おいまってくれ、女の子のくせに凄い力だな! わかったから、その力はオオカミ退治に使ってくれ!」
少女はそのまま集落で夜を待つことにした。御多分に漏れず、素朴な集落の女たちはシオンに旅の話をねだった。
だが申し訳ないがオオカミ退治が先だと断り、逆にオオカミの情報を聞いて回った。
どうやら樵に出たオイコスが縄張りを示す痕跡や糞、それに食い殺された鹿の死骸を見つけたらしい。
今のところ集落には人的被害は出ていないが、近隣の集落や町の人間の中に山から戻らない者が居るという。
おそらく数は二頭で番。しかし春になって子供を産んだりすれば、町の近くまで降りていくかもしれないと、早めの退治を依頼したとのことだ。
聞き込みの後、食事とわずかばかりの仮眠を取った。そして太陽が西の地平に身を横たえる頃に出発したのだった。




