第五節 オオカミ退治の依頼 通り過ぎる馬車 少女の寄り道
それから二度とほど道を間違えつつ、やっと目的の掲示場へと着いた。
何度も歩いた道だったが、例の白ローブたちの事で頭がいっぱいになっていたのだ。
掲示場とは近くの村落からの仕事の依頼を貼っておく所だ。
普通、農村からの訴えごとは領主や兵士の仕事だが、大抵は窮状を訴えても領主からのリアクションは数ヶ月待ちだ。
それほどあちこちで問題が発生しており、そのためこの掲示場制度が生まれたのだ。
掲示場を使うには領主に金を払い、字をかけるものを雇う、そして窮状内容を書いて掲示してもらうのである。
掲示を見た者がそれを解決できた時は当然、報酬が支払われる仕組みだ。
さて掲示している内容を見てみよう。水車や石垣の修理はとても一人では手に負えないし、人探しや物探しはツテもなく行うのは大変だ。
なら手っ取り早く稼げるのはやはり退治だ。命の危険も当然あるが、その分競争率も低く報酬も高い。
前回は失敗だったが今度こそまともそうな物を選ばなくては。
「そいつは山麓の集落からの依頼だ」
読み上げ人 が声をかけた。
読み上げ人とは字を読めない大抵の連中のために、掲示の内容を読み上げて小銭を稼ぐのを仕事としている人々だ。
「退治して欲しいのは山に出るオオカミで、報酬は20デナル なお、報酬の銀貨は役場に保管済み」と、シオンは残りの文を読み上げてみせた。
「ちっ、女のくせに読めるのかよ」
少女は悪態をついて去る男を無視して、もう一度掲示を読む。いちいちこの手の輩に付き合っては何も進まない。
オオカミ退治はかなり骨の折れる仕事だ。狩りに長けたオオカミは賢く、そう簡単には人の前に姿を現さない。入念な準備が必要になるだろう。
掲示の文章は長くなるほど金がかかるので情報は最低限で、どの程度の群れかもわからない。
20デナルはかなり大金だ、おそらく数人の集団でオオカミを追い込んで狩る事を想定した金額だろう。
一人でこなすのは無謀かもしれない。
しかし、報酬がすでに町役場に預けられているというのは良い事だ。
少なくとも仕事を終えてから値切られたり、踏み倒される心配がないと言うことだ。
シオンのように若い女の旅人は、依頼を完遂しても大抵は報酬額の事後交渉が始まるものだ。
そして大抵は満額を受けとることは出来ない。
仕事の前はいかにも哀れみを誘うような事を言っていた村人が、仕事を終えた途端に強気になって値切ってくる。
よくある話だ。
シオンは掲示された依頼を受けることを役人に告げ、ポケットの中の最後の銀貨を支払って依頼の割符を受け取ったのだった。
今回の道のりは以前と比べてずっと快適だった。森の中を分け入らねばならなかった前の村とは違い、街道を進むことができるのだ。
それに近くには粉挽きの水車小屋が幾つも建つ川があり、いつでも新鮮な水を飲めるし、釣りをすることだってできる。
どうしてもっと早くこの依頼が掲示されていなかったのだと、腹が立つほどだ。
道中、一台の馬車が後ろから近づいてくる音が聞こえた。
同じ道行きなら乗りあわせてくれるかもしれないと、振り向きを手を振ろうとした所で動きを止めた。その馬車の御者は例の白フードを纏っていたからだ。
もしかして後をつけられたのか、自分を狙ってきているのかと身構えたが、杞憂だった。
御者は少女を一瞥しただけでそのまま抜き去って行ったのだ。馬車の後ろには大量に詰まれた小麦の袋が積まれている。
ああやって穀物の類を買いあさっては人に配っているのだろうか。
シオンは大きく息をつき、そして随分疲労していることに気が付いた。
ここ数日は窮状を聞きまわり、森の中をずっと歩きっぱなしでいたのだから仕方ない。
そこでシオンは川べりへ向かう事にした。そして湯気の立ち上る場所を目指して歩く。
いくつかのテントが建てられたそこは簡素な風呂屋なのだ。
「ねぇお風呂に入りたいんですけどぉ…」
「10デルハだよ」
シオンは陶器の油差しをもった女に話しかけた。落ち着いた物腰で、かなりの熟練の湯女のようだ。
油さしの中身は香油かなにかだろう。
「あーん、それがその…… 今お金がないんです…… それで、」
「あんたみたいな子供はうちで働かせないよ もう少ししてからだね」
またしても非常に失礼な勘違いをされてしまった。
「だからー! なんで皆そんな風に言うの!? 違うのっ! お金の換わりに鶏かウサギじゃだめ?」
香油マダムは眉を吊り上げた。シオンは精一杯哀れっぽく上目遣いにマダムを見返した。
「仕方ないね、奥を使いな」
と、シミだらけの太い腕で、縛ったウサギ肉を奪うように持ち去ってしまった。
とりあえず、交渉はうまく行った様子だ。
そのまま言われた通りに奥へ向かい、空いてる天幕へと入った。
中は脱いだ衣服を置くための籠とテーブル、そして湯の張られた大きな桶が置かれている。
幸運にもお湯は張り替えたばかりのようで清潔だ。
町の浴場であれば100倍は広い風呂に入れたのだろうが無一文が贅沢を言ってる場合ではない。
シオンは本を外套で大事に包んで籠に入れ、今度は革鎧 (これがおそろしく硬く、脱ぐのが大変だ)鎧下の下着、そしてズボンとまとめて籠に放り込む。
「うひぃ寒っ!」
両手をこすり合わせながら、先ずは湯で濡らした布で体のあちこちをこすった。
鎧の当たる肩や脇を暖かい布でなぞると沁みて痛みがある。
脇の下や胸の谷、腰の辺りなどは特に念入りに布をこすり付ける。あっというまに布は垢で黒くなってしまった。
汚れを落とせばその素肌は新雪のように白く、うっすらと髪の毛と同じアッシュブロンドの産毛が生えている。
外套と鎧に隠れていたが、歳の割には胸もあり、手足はややアンバランスに長く伸びていた。
そしてようやく桶の出番だ。湯の中に浸かれば体のあちこちの細かい傷が痛むが、気分はずっと良くなった。
湯で温められた体が紅潮し、白い肌がうっすらと赤く色づく。
身も心も久しぶりにリラックスする事が出来た。が、好事魔多し。
天幕の中に入ってきた少女が、シオンの背後で小さく声を上げて香油入りの油さしを取り落としてしまった。
「な、なにっ、どうしたの!?」
「す、すいませんっ そ、その貴女の背中が……」
少女の言葉を察して、背をかばうように肩に手をやった。
シオンの、薄く小さな背には醜い傷跡が幾つもあった。それは古い火傷の痕で、円状にケロイド化していた。
明らかに焼印の痕だ、それも家畜に入れる焼印の。少女が驚くのも無理はないだろう。
「ちょっと! それより油、油! 服にかかってる!」
「わー!! すいませーん!!」
しばらく後…… シオンは裸のまま毛布に包まり、火に当たっていた。
油まみれになった服は洗う必要があったが、それは例の少女がただ働きする事となったのだった。
「悪かったね そら、食べなよ」
マダムが木の器を手に、仏頂面で火に当たる少女の下へ現れた。
器の中身は黒胡椒を効かせた、肉とニンジンとジャガイモの入ったシチューだ。
香ばしい湯気の立つご馳走だ。
「え、いいのですかマダム?」
「どうせあんたのウサギさ いいからお食べ ところであんた、いいとこの育ちなのかい?」
「へ? どうして?」
「喋り方でそう思ったんだよ まぁ気にしないどくれ」
そう言い残してマダムは忙しそうにまた他所の天幕に引っ込んでいってしまった。喋り方か、気をつけなくては。
シオンは高貴な身分の相手にも、失礼にならないような振る舞いや話し方を本から学んでいた。
高貴な試練と名づけられたその授業は、シオンにとって最も退屈で苦痛な内容だったが、立ち向かわざるを得なかった。
本の物語の中で、意地悪な西国の女王をなんとか言いくるめるのに必要だったからだ。
ちょっとした言葉のアクセントや、お辞儀や食事の作法の隙を突いてきては、それを理由に交渉決裂を言い渡す強敵だった。
作法にやかましい相手に対するにはどうするか? より以上に作法にやかましい先生を見つけて師事を得る必要があった。
それから、二ヵ月もの間、みっちりとマダム・フィットリーに教育を受け、見事試練をクリアしたのだった。
少しの懸念事項やトラブルはあったが、暖かい風呂とシチューで心も体も満たされ、おまけに無料で洗濯もしてもらえた。
香油の匂いでオオカミが逃げてしまわなければ良いなと思いながら、少女は星空を眺めながら外套に包まった。
今日は良い日だ。 明日もそうでありますように。
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「オオカミ退治ですって?」
本の魔女、エデュバは両の手を広げて言った。驚きを表すジェスチャーだ。
彼女の顔は獣の頭蓋骨で出来たマスクで覆われいて、その表情はわからない。代わりにいつも大げさに身体であらわすのだ。
「だめよぉ、そんなの一人でなんて無茶だわシオン」
「でもやらないと、お金全然ないんだもの」
「指輪を返したのは偉いわぁ でもでも、貴女に何かあったら大変よぉ! 怪我でもしたらどうするの!」
「もう決めたの!」
「まったく、言い出したら聞かないんだから もう一度、謙虚さの授業を受けるべきよ」
「やーだー!あれめんどくさいもの! はい、それじゃぁまたねエデュバ」
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