第三十五節 炎 祈り
アーノルドは奪った包丁でそのまま相手を二度刺した。両手を前で縛られているがそれくらいは簡単だった。
捕縛されていた他の兵士たちもそれを見て動き出した。
アーノルドの一番近くに居た兵士が少年に近寄り、縄を巻かれた両手を差し出す。包丁で何度か切り込みを入れると簡単に解けた。
「よくやったぞアーノルド! スコット卿を助けるぞ!」
仲間に縄を解いてもらった少年は城壁から身を乗り出して叫んだ。
「西を見ろ!! エボクラムの援軍だ! 援軍が来たぞぉ!!」
その言葉にローブを纏った教団の者たちも、城壁で抵抗する兵士たちも、皆西の大地に目を向けた。
いまだ囚われたままのスコットも。
傾き始めた太陽の光を受け、輝く光点がいくつも見えた。それは金属の反射の光だ。
武器を手にした者たちが教団の兵士たちを追い散らしているのが見えた。エボクラムへ戻った傭兵たちが約束の通り援軍をつれて戻ってきたのだ。
完全な形勢逆転だった。教団の者たちは浮き足立ち、ローブを捨てて逃げ出す者まで居た。
「騒ぐな者ども! 我らの使命を果たせ! 邪悪な魔女と領主を殺し、癒し手を連れ帰る! 果たせねば命はないぞ!」
スコットを捕らえた巨漢の教団兵が頭上に向けて腕を上げると、そこから恐ろしい勢いで炎が上がる。
城を、ヘレフォードやその家族を焼いたあの炎だ。シオンの脳裏に浮かぶのは幼い頃の悪夢の思い出。
ゴーレム病にかかり狂った父親が家に火をかけたあの時だ。
待て。あれは狂っていたのだろうか? 教団はゴーレム病になった者を洗脳しているとアキラは言っていた。
明王を憎んでいるとも。そして知識を生み出す本を憎み破壊しているのも事実だ。
それでは父は、父は本当は狂っていないのではないだろうか?父はどこかで教団の手でゴーレム病にされ、洗脳されたのではないか?
仮説を確かめる術は一つだ。
「貴様らの目の前でこいつを焼き払ってやる!」
アーノルドや兵士たちは必死でスコットを助けようと果敢に攻めかかる。だが男の激で我に帰った教団兵たちがそれを阻んだ。
フードの男がその手をスコットに向ける。その手からちろちろと小さな火が上がっていた。
シオンは傍らでクロスボウを手にしていたギュムナを引き寄せた。
「クレイオス!!!」
シオンは叫んだ。城壁上の男に向かって。
男は動きを止め、声の主の方を向いた。のっぺりとした金属に覆われた無貌の顔が震えた。明らかに狼狽している。
「何故俺の名を知っている……?」
「ギュムナ!今!」
ギュムナの放ったボルトが、今にも火を吹き上げようとしていたクレイオスの腕の機構に突き刺さり、火柱を上げた。
クレイオスは自らの上げた炎に巻かれて後ずさる。
そこをスコットが渾身の力で身体をぶつけ、男は火を吹き上げながら城壁から落下した。
それを見た残りの教団兵たちは今度こそ戦意を失った。皆膝を付き投降し、兵士たちに捕縛されていった。
「勝った…… 勝ったぞぉ!」
一人の兵士がそう叫ぶと、それに呼応した者たちが、アーノルドやスコットも力の限り声を上げて咆えた。
長い戦いで皆、すでに声は枯れ果て、剣を握る力も弱弱しかったがそれでも、あらん限りに勝利を讃えた。
だがシオンは油断していなかった。オイコスからヘレフォードの形見であるピックを受け取り、一人でゆっくりと進み出た。
示し合わせたかのように城壁の下で倒れていた白フードが動き出し、糸操り人形のごとく起き上がった。
その場に居た誰もが無言で二人が対峙するのを見守っていた。
「クレイオス! あなたはクレイオスなのね!? 私を、妹のシオンを忘れたの!?」
誰もが驚愕に目を見開いた。シオンがあの怪物の肉親だと言うのか?
「確かに我が名はクレイオスだ だが貴様のことは魔女としか知らぬ この期に及んでまやかし事をのたまうか!」
シオンは目を閉じた。-あれは兄さんに間違いない。 けれど今は戦わなければ…… -
少女はウォーピックを構えた。
二人の戦いが始まった。何の因果のめぐりであろうか、かつての兄妹は今は武器を振るって争い合っていた。
その場に居る誰もが、それを見守る事しかできずに居た。
シオンがヘレフォードの残したピックを振るう。
クレイオスが鉄の腕を振り回す。
だがシオンは明らかに不利だった。鉄の身体を持つクレイオスと違い、生身のシオンはこれまでの戦いで受けた傷は深刻で、立っているのもやっとだった。
クレイオスの強烈な一撃を、ピックでかろうじて防ぐ。しかし口から再び口から血がこみ上げ、少女は膝を付いた。
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闇の中で魔女は祈っていた。その身体は徐々に闇の中に衣が綻ぶ様に薄れて消えていく。
‐シオンよ 立ちなさい 何度でも立ち上がるのです 決して諦めず、前へ進むのです
‐さぁ子供達よ私と供に祈りなさい
‐貴方たちの持つ本には物語が書かれています
‐それはシオンの物語
‐シオンの物語を読んだ子供達よ 彼女のために祈ってください
‐さぁ あなたも
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シオン姫は再び立ち上がりました。幾度倒れようと、どれだけ血を流そうと。
少女は決して諦めることはありませんでした。
三度四度とシオン姫は武器を振り上げ、決して折れる事無く戦いました。
そしてついに、シオン姫は恐るべき敵に打ち勝ったのです。
シオン姫は泣いていました。
なぜなら戦いは愚かな事で、そして今倒れ伏した相手が、尊敬する兄のなれ果てた姿であると知っているからです。
傷ついたシオン姫と、まさに天に召されようとするクレイオスの元に「癒し手のギュムナ」がそっと近寄りました。
「癒し手」には壊れてしまったものを治す力があるのです。
壊れてしまった心さえも。
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「お兄ちゃん?」
シオンはギュムナの腕の中に抱えられたクレイオスの、のっぺりとした金属板が取り付いた顔に話しかけた。
「ああ…… シオン、お前は生きていたんだな……」
「どうしてこんな事に?」
「教団だ 彼らは人を狂わせ、意のままに操る術を…… 持っている…… 父さんが狂ったのも、奴らのせいだ」
「もう喋らないでお兄ちゃん…… 私は、ただお兄ちゃんと一緒に居たい、それだけでいい!」
だがシオンはわかっていた。最早クレイオスは助かる事は無い事を。その魂が重たい鉄の体から離れようとしている事を。
「ごめんよシオン……」
冷たい鉄の指がシオンの頬をなでた。
「お前はもう、僕に手を引かれる子供じゃない…… 立派な大人だ 正しい知識と勇気を持った、立派な人だ…… 正しい道を……進」
そこでクレイオスの言葉は途絶えた。そしてその体は金属の塊と成り果てたのだった。
少女の叫び声が荒れ果てた大地に木霊した。




