第三十三節 アールドブラの戦い
石を積み上げて作られた小塔の、窓というには小さな隙間から少年は外を見ていた。
手に手に槍を構えた敵が次々と押し寄せて来ている。
わずかばかりの味方の兵たちは成すすべもなく白い大軍に埋め尽くされてしまった。
少年は恐怖に立ち上がる事が出来ずにいる。その鎧もその剣も、この日ために持たされたはずなのにだ。
しかしいざその時が来たとたん、死への恐怖で内臓が一杯になってしまった。
もうじき奴らがここに来て、無常にも槍を自分に突きつけるのだろう。
死んだらどうなる?僕のこの意識は、真っ暗な死の先でどうなってしまうのだろうか?
そんな考えばかりがめぐっていた。
一際窓の外からの喧騒が大きくなった。ああ、きっと城門に居た中間達が皆やられたのだろう。
少年は窓の外を震えながら眺めた。
「スコット卿、城門が突破されました!」
「ああ、判っている ここまでか」
スコットは剣を抜き、盾の具合を確かめた。傍に居る兵士はもはや10人を数える程度だ。
「よし、では死ぬとするか 付いて来いみなの者、最後の戦いの時だ」
その時、小塔の扉が開き、少年が血相を変えて出てきた。ぜいぜいと肩で呼吸をしながら、必死に外を指差している。
「スコット卿! スコット卿! 外を! 向こうに大熊が!」
「アーノルド? 大熊だと?」
スコットは眉をひそめて少年に問うた。
「あれはシオンです シオンが、熊を連れて!」
スコットとその場にいた兵士たちが皆、城壁から乗り出すようにしてアーノルドが示す方向を見た。
白く目立つ敵の隊列は大きく乱れ、バラバラに何かを追い進んでいる。
その先には、小屋ほどもある巨大な熊の背に乗り、剣を高く掲げた少女の姿があった。
「シオンだ!」「あれはシオンだ!」「なんて事だ!」
兵士たちが口々に叫んだ。 そしてさらに、今度はシオンとは反対側で大きな歓声が起こった。
百人ほどは居るだろうか、武器を手にした子供達の集団が、教団兵に向かって一糸乱れぬ突撃を敢行していくのが見えた。
「おぉっ! なんということだ! シオンだ! あの子は諦めていない!」
その事実に、スコットは死に向かおうとした自分を恥じた。自分の子供ほどの歳の娘が諦めずに戦っているというのに。
「皆の者! コレより塔まで撤退する! シオンが我らを助けに来る! 決して死ぬな! 子供達の勇気を無駄にするな! 付いて来いアーノルド!」
「は、はい!」
スコット達は外郭部を捨て、狭い入り口が一つあるだけの塔部分へと退却していった。
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クロスボウから放たれた矢が、斧を振り上げようとした女の胸に突き刺さった。女はそのまま、前のめりに倒れて動かなくなった。
「うぇ、痛そう……」
ギュムナは熊の背の上でクロスボウを握りながら顔をしかめた。
「これが戦いなのよギュムナ その辛さを、痛みを忘れないで 戦いなんてもう起こさないようにしなくっちゃ でも今はやるしかない」
シオンはギュムナに背を向けたまま言った。シオンたちは城のすぐ傍まで来ていた。
周りには新たに火を放たれ、燃える建物の廃墟だらけだ。
教団兵は所詮素人の集まりだ、バラバラに動きまわっており互いに意志の疎通もとれていない。
「ギュムナ、そろそろ降りて バーリーが大暴れできないわ」
「うん」
「バーリー、ギュムナを守ってね」
シオンは剣を抜き、迫り来る敵を迎え撃った。あえて燃えさかる廃墟の隙間に陣取ることで、包囲されないように仕向けているのだ。
即製の槍や、ありあわせの農具を構える敵に対し、少女は剣と鎖帷子だ。
動きの違いも歴然としていた。槍の穂先を素早くかわして迫るシオンに対し、教団兵たちはあたふたと武器を振り回すばかり。
その腕や足を鮮やかに剣で斬り付け、次々に無力化していく。
大熊の方はより荒っぽかった。彼に近づこうとした者はあっという間にその巨体で弾き飛ばされた。
太い腕を払えば、人間を数人まとめて吹き飛ばしてしまえる。硬い毛皮は粗雑な槍や斧では傷すらも付かなかった。
熊の影に隠れたギュムナは精密なクロスボウ射撃で少女と熊を援護する。
次々と仲間が倒れていく光景に、教団兵たちはたじろいだ。彼らは戦士ではないのだ。
「戦う気の無いなら去りなさい! 背中を向ける者は斬らない! だが向かってくるのならこの通りよ!」
少女が一喝すると、その場に居た数人の教団兵は互いに顔を見合わせ、逃げ出して行った。
いける、少女の顔に希望が見え出した。数百の大軍といえど、ほとんどは戦い方を知らない烏合の衆だ。
実際彼らは皆バラバラに動き回っている。指揮官も居なければ、指示に従って動くという事すらも知らないのだろう。
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戦場の背後ではさらなる混乱が起きていた。
大勢の子供達が手に手に武器を持ち、鬨の声を上げて突進していた。
先ほど出あった少年、イーサンと、ピックを持ったオイコスもその中に居た。
「く、くそぉ! 勢いで飛び出したけど怖い!! ガキども怖くないのか!?」
「僕だって怖いですよ でもここでやらないと!」
「判ってるよ! じゃぁ作戦通りにいくぞ!」
子供達の一団は教団兵たちの手前30メートルほどの所でイーサンの笛を合図に一斉に止まった。
そして手にした布切れを使い、そこらの石ころを敵に向け投擲しはじめる。
ただの石つぶてと侮るなかれ、まともな防具を持たない相手に対しては時に、弓矢以上の効果を発揮する。
実際この攻撃は上手く行った。相手が真っ向から向かってくると信じていた教団の先鋒は、虚を突かれて慌てて町中まで引いていった。
ほとんど廃墟と化しているとはいえ、遮蔽物の多い町中では投石はもう使えない。
横に広く伸びていた子供達は三つの集団を作り、それぞれ別の方向から教団兵たちを追い立てていった。
「来たよ! ダーナ!」
「まかせて!」
ダーナと呼ばれた少女が、真っ正面から駆け迫る白ローブ目掛けて石を投げつける。
抜群のコントロールで石は相手の顔に向かっていく。
白ローブはとっさに手にしていた槍を落とし、顔を腕で覆った。そこに別の少年が棒で打ちすえ、槍を取り上げた。
そこかしこで同じようなコンビネーションが見られた。
子供たちは予め、状況に備えて訓練していたのだ。
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シオン達は城壁を見上げて走っていた。
城の内部からはまだ大勢の叫び声が聞こえる。援護に行かねば。
スコットが死ねばこの戦いは負けだ。アールドブラは何もない廃墟になる。
そしてあの白フードたちの旗が翻ることになるのだろう。
城門が見えた。敵の数は薄い。大熊のバーリーの力が有れば突破できるだろう。
希望が見えたその時だった。
何か大きな物が風を切って飛んでくるのを感じた。そしてバーリーとギュムナの悲鳴。
シオンが振り向くと、大きな石塊をぶつけられたバーリーが踞り、その横でギュムナが倒れていた。




