第二十一節 ネズミの王 暗躍する者 二章の終わり
「いい? この斜線がチッで横線がキーね 最初にチッが19回 次に1回 次は12、22と続いてるの このチッの数をアルファベットにすると……」
「どうなるんだ?」
「Salveよ」
「マジか」
「ネズミが人間の言葉をしゃべってるってのか?」
「そう、私も驚いた ええと、今翻訳すると………」
『こんにちは 愚かなご馳走諸君 早く我らの腹に入りなさい』
「くそネズミ! なめてんのか!」
「やめなさいよオイコス 多分、私たちの言葉も理解してるよ ねえネズミさん! メッセージは受け取ったわ! 話し合いたいの!」
シオンの声がトンネルの中に響き、木霊した。
それから、またネズミの鳴き声が聞こえだし、あわててシオンがメモをとる。
メモは長大にわたり、恐ろしく時間のかかる、根気のいる作業だった。
『我らの言葉に気が付くとは 面白い まずはお前たちから名乗りなさい』
それから人とネズミの奇妙なコミュニケーションが始まった。
シオンは身の上話を挟みつつ、より効率の良い方法を模索した。
ネズミとの協議の結果、チッとキー、そして一泊の休みの組み合わせでアルファベットと記号を割り振った。
たとえば、Zならチッチッキー チッキーとなる。
この新しい方法は格段にコミュニケーションを円滑にした。
「それで、森の中で本を開いて魔女のエデュバに出会ったの それが私の旅の始まりね」
「マジかよ そういえばあんまりそういう話しなったけど、お前めちゃくちゃヘヴィな過去もってんのな」
『賢き少女に哀しい過去…』
「シオン可哀想……」
「俺だって結構あれだぞ わりとヤバイからな! まぁどうしても聞きたいって言うなら仕方なく話すが……」
『いや もう十分だ』
「えー!」
『我らが人を閉じ込めるのには理由がある それは恐るべき厄災のためだ』
「厄災?」
『そうだ 過去に人間達は我が城に現れ 火と煙でもって大勢の仲間を殺したのだ』
シオンはそれを裏付ける証拠に思い至った。あちこちに残る焦げ跡はその名残か。
「その復讐をしているわけね?」
『その通りだ だが人間にも賢い者が居ると判った 復讐は虚しい そこでお前たちと取引に応じよう』
そしてトンネルの穴から這い出てきたのはまるまると太った一匹のネズミだった。
さらに周囲には大勢のネズミ達がつき従っている。
『私こそがネズミの王である』
その姿にオイコスは思わず笑ってしまったが、シオンがそれをたしなめた。
シオンは最大限の敬意を払ってネズミに敬礼した。
「それでは王よ、私ども人間の要望をお伝えします 私たちはこのトンネルを安全に通りたいのです」
『何故この道を使う? お前たち人間は馬を使えるではないか 何故に城を明け渡せと?』
「この道は隣の、より大きな街へ通じる近道なのです その街から食料を運ぶ道を確保するのが、私たちの使命なのです」
『ふむ、要求はわかった では私の条件を言おう 一つ、我々は城を明け渡すつもりはない 二つ、我々の安全を保証せよ 三つ、我々に食料を供給せよ』
ふむ、シオンはしばらく考え込んだ。そして、
「ではこうしましょう 貴方は外では悪魔と恐れられています 私たちは悪魔との契約に成功したことにします ネズミではなく、悪魔の言葉であれば人間は恐れるでしょう」
『結構 悪魔というのは気にくわないが、社会性に欠ける人間たちの性質を考えれば悪くない その条件を果たせるのならば、この道を開け放とう』
それから三人は手分けして、連絡通路と、その奥にあった開かずの扉を恐ろしげに飾り立てた。
ネズミの糞を掃除し、かわりに動物や人の骨をあちこちにぶら下げた。
火ではない明かりも明る過ぎたので表面を顔料で赤く塗ってやるとおどろおどろしい雰囲気がでた。
ギュムナが怖くなって通路から出ていってしまうほどだ。
その出来栄えに、コレならば誰も入って来ないだろうとネズミ王も満足した。
「かくして! 勇者オイコス一行は危険な城から無事に帰還できたのでした!」
「あんた何もしてないじゃん……」
かくして、塞がれたトンネルの扉は開かれた。一行は町に取って返し、トンネルは安全であると伝えた。
シオン達の無事な姿に町は大いに湧いた。公務中だった領主ヘレフォードも慌てて町へ引き返すほどだ。
「俺とシオンは三日三晩、恐ろしい姿の悪魔と戦い! ついに悪魔を打ち倒した!」
「ほう、それで悪魔はどんな姿だったのだオイコス」
数日ぶりにヘレフォードの執務室へと戻ってきた。今回はオイコスとギュムナも一緒だ。
「えー、それはー 頭にでかい角があって めちゃくちゃでかくて、あとなんか赤くて……」
「あー、オイコスの言う事は気にしないでくださいヘレフォード卿 ですが、悪魔が居たのは事実です 私は悪魔と戦うのではなく交渉をしました」
「そう! 戦ったってのは比喩的表現! 交渉した!」
「悪魔と交渉とは、肝が据わっておるな」
「ええ、なんせ相手はネズ ウグッ」
「どうしたオイコス?」
「いえ、ネズの実が好きなやつでした」
「というわけでヘレフォード卿、通行は再会できます ただし、週に一度、新鮮な食料を届ける事 トンネルの中のネズミは悪魔の眷属なので決して殺してはならない これが条件として提示されました」
「ネズミが眷属……? なるほど、以前にあのトンネルでネズミ駆除をさせたことがある それで悪魔が怒ったのだな、合点が言った」
「はい、ご明察ですヘレフォード卿」
こうしてヘレフォード卿を納得させた。
そして最初の馬車が無事にトンネルを通ると、馬車を見守る兵士たちは歓喜の叫びを上げた。
「万歳、アールドブラよ 今ここに悪魔は封印された! 古の道は再び開かれたのだ!!」
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暗く、寒々しい森の中、白いローブを纏う一団が火を焚き集っている。
黒い覆面をつけられた半裸の男女はが木にしばりつけられ、もがいていた。
「由々しき事態である アールドブラは邪悪な魔女の手に落ちた!」
白ローブを纏った男は大勢の、これもまたローブの聴衆に向けて高らかに声をあげた。
手には木製の漏斗と、畳まれた羊皮紙が握られている。
「人々は恐るべき魔王の術を取りもどさんとしている! 堕落への道を、再び通ろうとしているのだ!」
「勤労と信仰だけが我らの立つ瀬! 我らが唯一の神の望むもの! 見よこれを!!」
白ローブの一人が掲げた羊皮紙には絵が描かれている。きらびやかな自然と動物たち、そしての中央に裸の人間の姿があり、それを雲の上から巨大な存在が慈しみの視線を投げかけていた。
「この絵こそが! 真の楽園を表したものだ! 神の与えた恵みに感謝を捧げるべきだ!」
次にもう一枚の羊皮紙を掲げた。そこには石の城と武器を持つ人々、そして燃え盛る炎と赤い川が流れている。
「これは魔王の時代に描かれたものだ 魔王はこのように人々を堕落させ、森を破壊し、石の城を作った! そして人に武器を渡し、殺し合いをさせたのだ! これが人のあるべき姿か!? 否!! 断じて否!!」
男は木に縛り付けられた二人の顔から覆面をはがした。
二人の男女は恐怖に顔をひきつらせ、泣き叫んで慈悲を乞うた。
「飲ませよ!」
しかしさらに数人の白ローブ達が立ち進み、二人の顔を掴み上げて口を無理やり開かせた。
また別の男は木の器に白い粉と何かの葉をいれて小さなすり鉢で混ぜ合わせ始めた。
そして演説していた男が、哀れな虜囚の口のなかに漏斗を差し込んだ。
「さぁみよ! 神の粉から、新たな孤児の生まれるときだ!」
漏斗に緑色のドロドロした液体が注ぎ込まれ、強制的に嚥下させられる。
液体を飲み込んだ男は全身を震えさせた後、だらりと首を下げ、おとなしくなった。
傍らに居た女も、同じように無理やり液体を飲み下した。
やがて、女の方の体に変化が現れた。痩せた傷だらけの右腕の皮膚が奇妙にうごめき、やがて繭から蝶が現れるように内側から金属の腕が現れたのだ。
「おお、見よ! ギフトだ! 愚かな者どもはこれを呪いと呼ぶ! だが、真実はそうではない! 秘するべき賜り物だ!」
「新たな孤児よ 我らの言葉を受け入れるか? 我らの父のために供に歩むか?」
ローブ男の問いかけに、縛られた二人は虚ろな目でぼんやりと頷いた。
それを聴衆は万雷の拍手で祝福した。
二人は縄から解放され、新しい白いローブを着せられた。
「より多くの同胞が必要だ! 今こそ我らが立ち上がらねばならぬ時! 今、アールドブラに恐るべき魔女が巣食っている!」
「その魔女の名はシオン! この魔女と、魔女に誘惑された愚かな領主、ヘレフォードを討つべし!! 人々を解放する時だ!!」
月に咆える獣のごとく、森の中に叫び声が響き渡った。




