鼓動
鏡子ちゃんを守りたい。
何もできなかった私を優しく受け止めてくれました。
小さくて可愛くて優しい、至先輩のことが大好きな女の子。
今は、心の中がすごくスッキリとして、さっき感じたあの凛とした空気が私を包んでくれているようです。
危険を叫ぶ至先輩の声がとてもゆっくりと、遠くに響くように感じます。
かけつけようとしてくれる駆先輩、二宮さん。
大丈夫です。
打ち付ける手のひらの音が高く強く響きました。
静かな湖面。強く、美しく。大きく手を広げる満開の桜の樹。
その生命力。
両手の間から溢れる紅い稲妻のなかで、存在をアピールしてくる刀の柄の確かな手ごたえに、握ったそれを一気に引き抜きました。
「神刀〈紅桜〉いきます!」
今までの焦りや不安や、自己嫌悪。
そういった嫌な気持ちなんて、この一太刀が薙ぎ払ってくれたかのようです。
放課後の校舎の片隅で、建物のかげに隠れたこの場所に、光を集めたかのように輝きを放つ細身の日本刀。
紅桜。
って! 抜いたはいいけど、どうします!?
刀の振るい方なんてわかりません。
鏡子ちゃんをに向かって距離を詰めてきた彼女を、盾にするかのように後を追ってくる獣の影はもうすぐそこです。
「ダメです!」
彼女だって、自分の意志で鏡子ちゃんに襲い掛かかって来ているわけではないはずです。
とりあえず大きく振りかぶった刃は軽くて、まるで腕の一部のように違和感もありません。
そんな私の、というか、きっと紅桜の方のパワーに押された彼女の目標が私に切り替わったようでした。
止まった足が、じりじりと私に向いて来ようとしているのを感じます。
どうします? どうします?
このままどこかにいなくなってくれれば一番いいんですけど、そういう訳にもいきませんか?
彼女を取り囲むように先輩方や二宮さん、ハルオくんとボン太くん。
なんだか緊張感が尋常じゃありません。
そんな張り詰めた空気の中で、厚いプラスチックが転がったような落下音。
振り向いた彼女の背中越しに、あの動物の影です。
目の前に、桜の吹雪が舞ったような気がしました。
踏み込んだ足が、その風に乗るように動いた紅桜の切っ先が、その影だけを二つに裂いていきました。
本当に一瞬の出来事だったように感じます。
犬の遠吠えのような音が頭の片隅に残ったまま、その影は空に吸い込まれるかのように溶けていきました。
「終わっ……た?」
呆然としたような駆先輩の一言に、私の目の前でゆっくりと彼女が地面に崩れていきます。
「はっ!
きききききき、斬っちゃいました」
とことこと歩いてきた鏡子ちゃんが、小さな両手を彼女の胸元にかざします。
後を追ってきた至先輩はすかさず彼女の口元に手を当てると、もう片方の手で脈を取ってくれました。
「大丈夫。生きてる」
はあああぁぁ。
気が抜けて、腰砕けですぅ。
ペタンと地面に座り込んだ拍子に、手から落ちた紅桜がふわっと桜色の光を放つと、そのまま風に溶けていきました。
「消えよった」
ボン太くんの小さなつぶやきに、私はうなずけませんでした。
ここに、私の中にまた紅桜の熱い鼓動が戻って来るのを感じていましたから。




