第97話 私の命なんて軽いものです
「さて、行動を起こしましょうか。それぞれ、やりたいようにやっていただいて構いませんよ」
やってきたのは、王都である。
すでに主要都市のほとんどを一度破壊しているため、次に攻撃するのであれば、忌々しい王族のいる王都だと決めていた。
そして、おそらくこれは王国側も想定していることだろうと、若井田は考えていた。
たとえ想定していなかったとしても、一番防備が硬くなっているはずの場所だ。
だが、それが何だというのか。
それを知っても、若井田を含め、禍津會の構成員は誰も怖気づかなかったし、王都の攻撃を避けようとはしなかった。
たとえ、どれほど準備をしていたとしても、そのうえで踏みつぶす。
それができるだけの力があった。
「そうか。ところで王国に潜入していた二人に聞きたいんだが、王国ってこういうことを公にやるようになっていたのか?」
蒼佑は声を強張らせていた。
力はある。やる気もある。
だというのに、彼は明らかに狼狽していた。
それは、王都の広大な広場の光景が原因だった。
普段なら多くの市民が憩いの場として利用し、活気に満ちているであろう場所。
禍津會の攻撃が予想されるから、避難していて閑散としているのは理解できる。
だが、その広場に突き立てられた十字架のようなものに、多くの人が縛り付けられている光景は、平時であれば当然見られるものではない。
そして、それらが全員、禍津會にとっての異世界人ではなく、同じ転移者たちであるならば、なおさらだった。
差別されていることはその身をもって理解しているが、こんなにもおおっぴろげにしているのは見たことがなかった。
問われた愛梨と雪も、顔を引きつらせていた。
「……そんなわけないでしょ」
「あー……姫様だろうなあ。こんなことを考えて、ゴーサインを出せるのって。もう元気になっていたんだ。驚いたよ」
雪は一目見ただけで、この惨状を作り上げた人物を悟った。
考えて、実行できるのなんて、あの王女しかいないだろう。
いや、考えることは誰かできるかもしれないが、結局ゴーサインを出すことができるのは高い地位の者だけである。
間違いなくベアトリーチェが関与していた。
「で、どうするのぉ? これ、絶対に罠よねぇ?」
響が問いかける。
彼女たちは、転移者という仲間意識が強い。
この世界の人間たちを虐殺していることからそうは見えないが、迫害されてきたからこその連帯感は強い。
そのため、この光景を見せられて、冷静でいようとはしているが、激情が内心で燃え盛っているのは全員がそうだった。
「目に見えていますよねぇ。本来なら、ここは唇をかんで我慢し、すぐにでも八つ当たりで王国民の虐殺をした方がいいのでしょうが……。あれ、殺していないのが厄介ですねぇ。それに……」
「……ッ!」
「もう飛び出して行っちゃっていますから、今更ですね」
助けるにしても警戒する必要があったが、我慢できなかったのが三ケ田である。
十字架に磔にされているのが死んでいるのであれば、無理にでも引き留めることができた。
しかし、彼らは虫の息とはいえ確かに生きていて、だからこそ見捨てられなかった。
この作戦をとった人物の悪辣さが伝わってくる。
「彼女でしょうが……まあ、彼女がそこにいれば、あまりふざけたこともできないでしょう」
若井田の眼は悠然とその状況を見下ろしているベアトリーチェを捉えていた。
人質ごと攻撃するというのは、余波を考えれば王女の身も危うくなるため、考えにくい。
となれば、救出のために動くのも、最悪手というわけではない。
「はあ、仕方ない。とりあえず、皆さんはそれぞれ散って警戒を……」
「――――――今です」
若井田が指示しようとしたときだった。
冷たく、はっきりとした声が響いた。
直後、円を描くように壁が作り上げられていく。
それは、魔法で作られたドーム状の結界だった。
「これは……」
若井田が苦々しそうに顔をゆがめると、この状況を作り出した張本人が現れる。
ベアトリーチェは、にっこりと柔らかく微笑みながら、禍津會の構成員たちを見下ろしていた。
「お久しぶりですね、ユーキ。いえ、雪とお呼びした方がいいですか?」
「……姫様」
自分が背後から突き刺し、致命傷を負わせた相手。
雪はコソコソと愛梨の背中に隠れた。
「めっちゃ気まずいから、逃げてもいい?」
「そんな寂しいことを言わないでください。長い付き合いじゃないですか。まあ、裏切られて死にかけたわけですけど」
「すっごい刺してくる、言葉で!」
わーわーと騒いで会話をする二人は、まるで裏切り裏切られる前の関係に戻ったよう。
だが、それは錯覚だ。
彼女たちの関係が戻ることは二度となく、永遠にまじりあわない敵同士なのだから。
「それに、逃げられませんよ」
「凄い自信。一瞬で壊せるよ?」
舐められたと思った杠が、むっとしながら答える。
奴隷ちゃん以外が相手なら、誰でも負ける気はなかった。
この結界だって破壊できると言うが、ベアトリーチェは首を横に振る。
「この結界。今、王国に残っている精鋭のほとんどの魔力を注ぎ込んで作っています。皆さんのお力でも、破壊するのはかなり困難だと思われますが」
「時間をかければ、壊すこともできる」
「ええ。ちなみに、この結界は内部からの破壊は困難ですが、外部からの攻撃は通り抜けるようになっています」
ドームの外側を見れば、完全に武装している兵がいた。
いつ禍津會が襲撃に来るか分からなかったはずなのに、だ。
ベアトリーチェの予知に近い分析で、日時をある程度絞っていたのだろう。
そして、結界が外側からの攻撃を通すというのであれば、遠距離の魔法や弓矢、投石などの攻撃を一方的に禍津會にぶつけることができる。
だが、中にいると、ベアトリーチェも危険である。
それは、誰だって分かることで、彼女自身もわかるはずだ。
それなのに、ここにいるということは、それだけの覚悟ができているということだ。
若井田は冷や汗を流す。
「……あなたも死ぬつもりですか? 前から死にたかったとか?」
「いいえ、死にたくはありませんよ。怖いですし。ですが、私がいればそんなことはしないだろうと、あなたたちは油断すると思いまして。実際にうまく捕らえられましたし。それに、王国をこれからも残していくためなら、私の命なんて軽いものです」
ニッコリと微笑むベアトリーチェ。
自分の命を、たやすくテーブルに乗せている。
そういった相手は非常に厄介だ。
人は死にたくないからこそ、行動を制限させることができる。
そのブレーキが壊れている相手は、多くの人に効果がある手段が、一切効かないのだ。
「だから、今日ここで、あなたたちは死んでください」
「……とんでもない化け物を持っているんですね、王国は」
若井田は、リーダーに助けられてから初めての恐怖を覚えるのであった。
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