第86話 手がかり
王宮を歩く王子のルドルフ。
今までは静かで穏やかな場所だったが、最近は非常に騒がしくなっている。
多くの人が忙しそうに行き来している。
それも当然だろう。
静かで穏やかだった時は、平時。
今は、戦争をしているわけではないが、非常時なのだから。
王国の主要都市が複数落とされたことは、何なら他国との戦争よりも大きな打撃だった。
幸い、下手人たちの目的は街の破壊であり、制圧ではなかったため、奪還作戦をする必要はない。
だが、またどこかの都市が落とされるかもしれないという恐怖は、強く誰しもの脳裏に張り付いていた。
王子であるルドルフも、最近では一日三時間ほどしか眠れないほど忙しい身であった。
そんな彼は、わざわざ隙間時間をぬって歩いている。
目的地は、妹であるベアトリーチェの病室であった。
「はあ……」
病室に入るや否や、ルドルフはため息をついた。
ベッドの上で、ベアトリーチェは当たり前のように身体を起こしていたからだ。
入ってきたルドルフを見て、彼女はうっすらと笑った。
「まだ起きるべきではないんじゃないか、ベアトリーチェ?」
先日、胸に剣を突き立てられ、致命傷を負ったベアトリーチェ。
一命をとりとめたのが奇跡だと言われていた。
無論、王女であるために、この王国最高の医療を受けたわけだが、まだ寝て安静にしておかなければならない。
だというのに、彼女の周りには大量の書類が山積みになっていた。
「いいえ、お兄様。私に休んでいる暇はありません。今、身体に甘えて休んでしまったら、起きた時には国が滅んでいても不思議ではないのです」
「……随分な言い草だな。俺がいてもそう言うか」
「お兄様は優秀です。それは間違いありません。でも、それ以上に背負っているものが大きすぎます。重たくて、大きくて……身動きがとりづらいでしょう?」
「…………」
ルドルフは難しい顔をする。
ベアトリーチェの言っていることに心当たりがあるからだ。
王子という高い地位にいる以上仕方ないかもしれないが、もっと身軽に動けたらと思うことは多い。
なお、ベアトリーチェはルドルフを持ち上げているが、自分に比べれば大したことはないと考えている。
当然、口には出さないが。
「一方で、今回の敵の禍津會は身軽です。そもそもの拠点も不明ですし、構成員も気ままに行動しているように見えます。ただ、私たちへの強烈な敵意だけは共通していますが」
身動きのとりづらいルドルフと違って、禍津會のフットワークは軽い。
大勢で動かなくてもいいし、そもそも自分たちの生に対してもそんなに執着がない。
つまり、死んでも構わないと思っている。
個人単位で動くこともままあるようなので、やはり身軽さで言うと圧倒的に禍津會だった。
敵にすると、面倒だ。
「やはり、どうしても後手後手になってしまいます。だから、私がお知恵をお貸しします。私はお兄様のように、背負っているものはありませんから」
「……業腹だが、お前が優秀なことは知っているよ、ベアトリーチェ。お前が男だったら、さっさと殺していたほどに」
ルドルフの言葉は、間違いなく真実であった。
王国では、男が政治を担う。
いくらベアトリーチェが優秀でも王となることはない。
ただ、王という立場を狙える男として生まれていたら……ルドルフは、たとえ兄弟でも命を狙ったことだろう。
ベアトリーチェはすべてをルドルフにさらしたわけでもなく、兄をナチュラルに見下していることも見せていないが、それでも優秀さは伝わっていた。
「まあ、あまり無理をするな。生きているのが不思議なほどの致命傷だったんだ。また倒れられても困る。一応、家族なんだからな」
「お兄様……分かりました」
少し言いづらそうに言うルドルフ。
照れているのかもしれない。
感動したようにベアトリーチェは頷くが、内心では何とも思っていなかった。
今の彼女の頭を占めるのは、一つしかないからだ。
「それで、お前は無理をして何を調べている?」
「禍津會の組織形態を」
「組織形態?」
大量の書類を並べて何をしているのかと思えば、絶賛戦闘中の敵組織のことを調べていると言う。
無言で続きを促すと、ベアトリーチェは話し始める。
「正直、禍津會の構成員全員を打ちのめすことはできないかと思います。彼らは神出鬼没でどこを拠点にしているかもわからないので、こちらから攻撃を仕掛けることができません。一人ずつ現れてくれたら全力でそれを潰していけばいいかもしれませんが、そんなことが続くとは思えません」
「……まあ、うちの軍事力では厳しいな」
主要都市を一人で落とせる構成員はそう多くはないと思いたいが、少なくとも存在していることは事実。
その強大な敵を、一人ずつ潰せていければ理想だが、そんなことをすると王国側の被害も甚大なものになる。
そもそも、相手もバカではないのだから、一人で行動することも少なくなるだろう。
相手が固まれば、さらに難しくなる。
「ですから、禍津會の頭を潰すことを提案します」
「……確かに、頭を潰せたらそれにこしたことはないが……。そもそも、奴らにそんな立派な組織形態があるのか?」
「必ず」
疑問を抱くルドルフに、ベアトリーチェは力強く頷いた。
まだ失った血が戻っていないのか、血色は悪い。
それでも、力強さは確かなものだった。
「少ないとはいえ人が集まっている以上、頭は必ず生まれます。軍のように精緻な指揮系統は存在しないかもしれませんが、方向性を示すトップはいるはずです。それが、人間という動物の習性です」
「その頭を潰す、か。あんな化物連中を束ねている奴だ。どんな怪物が待っているのか、楽しみでならんな」
ふんっと笑うルドルフ。
文字通りの意味でないことは明白だった。
街を一人で壊滅させる連中を束ねる者。
どうせろくでもないことは分かっていた。
「頭を張るのは武力に優れていなくても可能です。そっちの方向に期待しましょう」
ベアトリーチェもそんなはずはないと思いながら、希望的観測を口にする。
「で、そのトップを調べているということか」
「ただ、もともと組織自体の情報も少ないので、頭の情報も皆無ですが。とはいえ、まったくないというわけではありません。構成員の一人を調べるよりは、はるかにマシです」
ふうっと息を吐くベアトリーチェ。
さすがに疲れた。
だが、手掛かりは見つかった。
少し眠る前に、ルドルフに伝えておく。
「意外なことですが、リーダーは私たちが思っている以上に近くにいるかもしれません」
「なに?」




