第70話 何も言わせてもらえないマスター、かわいいです
……おかしいな。
俺は自分の目をごしごしとこするという、目の前で起きていることが信じられないというとても古典的なしぐさを見せる。
こんなことをいざというときに本当にするのかと冷笑していたが、実際やっているのだから、あれは真実なのだろう。
強制徴兵された俺を含め、有志の禍津會討伐部隊は、いくつかに分かれて別々の主要都市に向かっていた。
そこに、一人ずつ、もしくは非常に少ない複数人の禍津會のメンバーがいるということになっていたからだ。
数はとても重要だ。
基本的には多い方が勝つ。
一人で街を落とせるような連中だから、この常識に当てはまりはしないかもしれないが、一対一で戦うよりはるかにマシである。
今回、俺と奴隷ちゃん、望月とアイリスが向かった街は、一人の構成員で破壊されたと聞いていた。
だから、俺と望月のチームでやってきたこの街にも、一人の禍津會の構成員がいるはずなのだが……。
「よお。首尾よく終わったみたいだな」
「ええ、もちろんよぉ」
どうして三人もいるんですかねぇ……?
物陰に隠れながらのぞき見していると、禍津會の構成員が三人もたむろしていた。
大きな街なので、本来ならこんな昼間ならにぎわっているはずだった。
しかし、彼らの会話以外に聞こえてくる音はなく、無残にも破壊された街並みや人の死体が転がっていた。
うーん、帰りたい。
「強い奴がいなかった。ラッキーだった」
「確かにな。兵士って言っても口だけだ。あんな奴らに……あれよりも弱い奴らに好き勝手されていたのが、本当信じられないくらいだ。今の力が、あの時にあったらと心の底から思うよ」
「考えていても仕方ないわぁ。過去に戻れるわけもないし。それに、戻れるんだったら、こんなクソみたいな世界に来ないように動くわよぉ」
「それはそうだな」
暢気に会話をしている三人。
男一人に、女二人だ。
警戒している様子はなく、かなりリラックスしているようだ。
隙だらけと言えるが、それは彼らにとって隙にはなりえていないのだろうな。
おそらく、今不意打ちとばかりに襲い掛かっても、返り討ちにされることだろう。
のぞき見を止めて、物陰に隠れながら顔を付き合わせて相談する。
ふー……やれやれ。
「……三人なら、と思うけど、兵士を返り討ちにして街を滅ぼしている連中だしなあ。絶対俺じゃ勝てないわ。やっぱり帰ってもいい?」
「ここまで来ておいて今更何を言っているのかしら、このクズ」
「というか、この街には一人しか禍津會がいないんじゃなかったか? 話が違うじゃん」
「……もしかしたら、禍津會の構成員が集まり始めているのかもしれません」
望月は難しそうな顔をして言う。
え、マジ?
だとしたら、他の街に行った連中は、全員勝ち組ってこと!?
許せねえ……。俺だけ命の危険があるなんて、許せねえよなあ!?
「そうか。じゃあ、他の街がどうなっているのか確認する必要があるな。危険な任務だ。ここは俺に任せてくれ。俺は離脱する」
「優斗。とりあえず、こいつの両手足をへし折っておけばいいかしら?」
「い、いや? そこまでするのは……」
アイリスが無表情でにじり寄ってくるものだから、俺は小さく悲鳴を上げる。
こいつの顔、マジだ……!
物陰で隠れていることも忘れて騒いだものだから、禍津會の構成員の目がこちらに向けられるのも当然と言えた。
「で、さっきからそっちで賑やかにしているのは誰だ?」
問いかけておきながら、話し合いで解決するようなつもりは微塵もないらしい。
肌が露出するであろう顔や腕などを包帯でぐるぐる巻きにしている女から、業火が放たれる。
魔法って本当凄い。
見えない拳銃を誰もが持っているようなものだもんな。
要するに、武器などを必要とせず、人を殺せるということ。
恐ろしくてたまらない。
そして、死が間近に迫っているのにこんなにものんびりできる理由は、当然防ぐ方法があるからだ。
バッと俺の前に躍り出る人影。
メイド服を着用した奴隷ちゃんは、人を焼死させることのできる恐ろしい炎を前にして……。
「邪魔です」
短くそう告げると、軽く握った拳を振るった。
まるで、近寄ってくる羽虫を振り払うようなしぐさ。
そんな些細な動きで、人を一人吞み込めるほどの大きな火炎が、吹き飛ばされた。
奴隷ちゃんは魔法を使っていない。
単純な腕力で、炎を消し飛ばしたのだ。
「……私の火って、素手でかき消せるんですねぇ」
「そんなわけないだろ。なんなんだ、あいつ……」
悪名高い禍津會の構成員たちも、さすがにこれには驚愕していた。
ふっ、これが奴隷ちゃんだ。
俺がここに来る意味もないほどの戦闘能力を保持している。
ドラゴンをワンパンできるんだぞ! 凄いんだぞ!
「で、お前らは? ある程度皆殺しにできたと思っていたんだが、街の生き残りか?」
不思議そうに男が話しかけてくる。
どうやら、この男がこの街を滅ぼしたらしい。
しかし、本当に徹底的に殺しているんだな。
そりゃ、ギルドも顔が真っ青になるわけだ。
一歩前に出るのは、望月。
彼が話してくれるというのなら、任せよう。
目立ってヘイトを集めたくないからな。
「いや、僕たちはお前たちを倒しに来た冒険者だ」
「……へー。軍隊じゃ倒せないと思って、冒険者を動かしたのか」
納得したように頷く男。
もちろん、軍隊なのだから、毎日訓練を受けているし、雑魚というわけではないだろう。
だが、特記戦力と言えるような特別強い人間は、軍隊という枠の中に入るよりも、冒険者として一人好き勝手に生きているタイプが多い。
組織の中にいたら、あまりに頭が抜けていたら出る杭は打たれる理論で潰されるかもしれないからな。
男が警戒するようにこちらを見るようになったのは、そういう意味だろう。
ちなみに、俺は特記戦力になりえないので、男の心配は杞憂である。
そんな男の袖をクイクイと引っ張る。
「若井田の言っていた奴ら」
「ん? あー……もしかして、皆さん転移者かしらぁ?」
「転移者なら、俺たちの気持ちが分かるだろ? 人を人とも思わない悍ましい仕打ちを受けて、何もしないなんて嘘だろ」
何だか一気に親しみやすい感じになった。
やはり、彼らが憎いのはこの世界の人間であり、転移者には仲間意識があるのだろう。
正直、俺は仲間意識とかはあまりないのだが、この世界の人間よりははるかに親しみやすいというのも事実。
彼らの気持ちが分かるのだが、望月はバッサリと切り捨てた。
「いいや、君たちにひどい目に合わせたことは事実だろう。だが、君たちが殺した人の中には、そのことにまったく関与しない人もいたはずだ。罪のない人たちを殺す理由は正当化できないし、こんなことを続ければ復讐の連鎖になる。僕は、それを止めに来た」
「言っていることは理解できるが、だからと言ってはいそうですかと言えないな。俺たちを虐げた連中は大体殺してはいるが、まだ見つけられていなかったり手厚く警護されていたりで処分できてない奴もいる。それに……」
「この世界の人間という時点で、復讐の対象よぉ。知らなかったなんて許さないわぁ。それだけのことをされたんだもの」
柔らかい声音だが、女の言葉には強い意志が込められていた。
おそらく、話し合いでその考えを変えさせることはできないだろう。
そもそも、人の考えを言葉で変えようというのは、とても難しいことだ。
少なくとも、俺はしようとは思わないほど。
……しかし、今の俺って凄く空気だよな。
このまま家に帰ってもばれないんじゃないか?
「君たちのやっていることで、また転移者に対する感情が悪化した。これからこちらの世界にくる転移者も、君たちと同じか、それ以上の苛烈な仕打ちを受けることになるかもしれない。僕はそれを何とかしたいと思っていたのに……。君たちの行動のせいで、全部台無しだ!」
怒りを露わにする望月。
普段怒らない奴が怒ると、怖い。
ビクッとする。
まあ、あまりかかわりもないので、俺が知らないだけかもしれないが。
しかし、そんな怒りを受けても、さすがはテロ行為をする禍津會の構成員。
誰も怯えた様子は見せなかった。
……俺だけか。
「分かり合えない」
「だな。若井田からも聞いていたが、どうしてお前はこの世界に味方するのか……。もしかして、俺たちみたいな境遇にならなかったのか?」
「じゃあ、私たちの気持ちなんて分からないわよねぇ? でも、そっちのあなたたちはどうかしらぁ?」
彼らの目が、俺に向けられる。
……俺っすか!?
若井田から話を聞いていたと言っていたから、俺のこともばらされているのか。
余計なことをしてくれたな、あのサラリーマン。
「見たところ、かなり苦労しているみたいだけどぉ?」
「え、あー……まあ……」
俺の身体をジロジロと見る禍津會。
それに対し、俺ははっきりと答えを返せなかった。
実際、それなりの待遇を受けていたことは事実だ。
望月とは随分と違うが、まあほとんどの転移者はこんなものだろう。
俺みたいに奴隷から脱出できず、命を落とした者の方がはるかに多いのだから。
とはいえ、俺も傍から見たら重傷だ。
片目は失っているし、内臓もいくつか潰れているし……。
彼らは見ただけでそれが分かった。
おそらく、自分たちも同じような感じだからだろう。
男と一人の女の方は分からないが、もう一人の女は明らかに重傷だし。
全身に包帯を巻いている。
怪我をしている状態でさすがに街は落とせないだろうから、おそらく後遺症だろう。
後に残るほどの拷問を受けていたということ。
苦労という意味なら、俺よりもしているかもしれないな。
「リヒトさんはお前たちとは違う。見くびるな」
「え、あの……」
俺ではなく、望月が自信満々に答えた。
なんでお前が応えてんの?
あと、そんな突き放すように言っちゃうと、これ俺も敵視されるんじゃ……。
その悪い予想は、あっけなく当たってしまった。
「あっそ。じゃあ、もう死んでもらうしかないな」
「あ、ああ……」
「何も言わせてもらえないマスター、かわいいです」
奴隷ちゃんって、本当に俺のことを主人だと思っているのだろうか?
奴隷から解放されたがらない理由って、俺を見てあざ笑うためじゃないだろうな?
迫りくる禍津會のメンバーを見て、俺はそんなことを考えるのであった。




