第56話 私は転移者のことは嫌いではないですよ
一日孤児院に泊まることになった。
理人はかなり嫌がって抵抗したのだが、王族の強い勧めに抗えるはずもない。
憮然とした表情のまま、孤児院に滞在することになった。
困ったのは奴隷ちゃんと同室ということであり、ベアトリーチェとユーキは知らぬことであるが、今部屋の中ですさまじい取っ組み合いが繰り広げられていた。
そんな中、ベアトリーチェはユーキに問いかけていた。
「で、敗北した感想はどうですか、ユーキ?」
「納得いかない!!」
「いや、誰がどう見てもあなたの負けですけど……」
不満を露わにするユーキに、冷静に告げる。
あの状況から逆転できるなら、具体的に教えてほしいものだ。
まあ、生半可な相手なら、ユーキの実力をもってすれば、逆転も可能かもしれない。
しかし、理人はその生半可な相手には当てはまらない。
どう考えても無理だろう。
「僕は首をえぐられても戦えた!」
「化け物なのかしら? 私、アンデッドを護衛に置いたつもりはないのですが……」
別に魔族に差別意識がないわけではないが、やはり人間は好ましく思っていない者が多い。
ただでさえ、王女という立場なのに、そんな者を近くにおけるはずもなかった。
「あなたの転移者嫌いもここまで来ると病気ですね。さすがにそれで目が曇っていたら、私も注意せざるを得なくなります」
「姫様はあいつが転移者なのに、何とも思わないの!?」
「私はあなたと違って、別に転移者に対して嫌悪感や敵意は持ち合わせていないので。むしろ、転移者も全員がひ弱で脆弱というわけではないことを認識させていただいて、リヒトさんには感謝したいくらいです」
勉強になったと頷くベアトリーチェに、ユーキは不可解なものを見る目を向けた。
「……姫様って、本当に分からないんだよね。姫様は転移者のことをどう思っているの?」
「この社会を健全に保つために必要な最下層に位置する人間たちです。すべての人たちが、『あれよりはマシだ』と考え、優越感を持たせて貴族階層に敵意を向けるのを濁らせる。また、社会の最下層の歯車として、この世界に貢献してくださっている人たちです」
「えーと……結局、どういうこと?」
社会構造なんて考えたことすらないユーキは、すでにノックアウト寸前だった。
ベアトリーチェも、普段は政治にかかわらせてもらえない立場であるため、自分の考えを他人に話すのが少し楽しい。
そのため、自分の考えを口にする。
「人間は、他者と自分を比べるものです。そして、他者の方が自分よりも恵まれていると認識すれば、不平や不満を産みだします。それらが膨れ上がり、また複数人集まってしまうと、爆発してしまう」
自分は大して他人と比べることはないですが、とは付け加えなかった。
一般的な人間の話をしているのに、例外を話しても意味がないからだ。
「その爆発の矛先は、彼らが恵まれていると判断した者たち。基本的には、貴族や王族といったものに向けられます。時折、諸外国で革命なんて言葉が聞こえてきたら、そういうことでしょうね」
王族が殺されるということは、ほとんどない。
さすがにそのレベルになると、国家体制が変革するレベルだからだ。
しかし、貴族が殺されるというのは、珍しいが毎年のように起こっている。
この国だけではもちろんないが、それほど追い詰められた人々は上にいる者を嫌悪する。
「ただ、苦しくても、明らかに自分よりも苦しみを味わっている人々がいる。それが、転移者です」
転移者が苛烈な扱いを受けていることは、ほとんどの人が知っている事実だ。
たとえば、この世界の人間が奴隷になるというのは、よほどのことがあったからだ。
借金で首が回らなくなって、返済できなくなった場合。
これは自分のした行いの末路である。
例外として、他国から侵略を受けて身柄を連行されたり、賊に襲われて奴隷として売られたりすることはあるだろう。
だが、基本的にこういうことが起きないように国が騎士や軍を配備して守っているからそうそう起きないし、救われることだってある。
だが、転移者はそれがない。
何も悪いことはしていないのに、誰からも助けられることもなく、ほとんどが奴隷などに落とされ悲惨な状況にいきなり放り投げられる。
この国に生きる人々はそれを知っているからこそ、『転移者よりはマシだ』と思って生きていく。
すると、不平はあってもそれが爆発することはなくなるのだ。
「……転移者を見下すことで、不満を暴発させないようにしているの?」
「ええ。だから、奴隷制を黙諾しているんです。そうすると、普通の人々の目に触れやすいですからね」
「ほへー……」
感心したように声を漏らすユーキに少し楽しくなったベアトリーチェは、さらに付け加える。
「あとは、単純に転移者がやる仕事で社会が支えられているということですね」
「どういうこと? 奴隷なのに、そんな重要な仕事って就けたっけ?」
少なくとも、兵士や騎士といった重要な職には就けなかったはずだが。
ユーキの疑問に、ベアトリーチェは講義をするように話す。
「転移者はほとんどがこの世界に来たときに奴隷になります。そして、奴隷として購入された後。冒険者が盾にする場合もあるが、それは少数でしょう。今はもっぱら性風俗か鉱山労働者、農奴になっていますね。どれも、普通の人間なら忌避したがるような職業です。そこに転移者が入ってくれることによって、何とか社会は回っているんです」
「なるほど……」
「この世界の人間でもやりたくないことをしてくれるのが、転移者たちです。今、転移者が突然現れなくなったら、かなり大きな混乱になるでしょうね」
誰もやりたがらないが、しかし社会にとって必要不可欠な存在。
そこを、転移者たちが埋めているのだ。
その供給が一気になくなったら、かなり大きな衝撃が走るのは間違いない。
「だから、私は転移者のことは嫌いではないですよ。むしろ、愛しています。この国の社会構造を最下層から支えてくれる人々なのですから」
「……姫様も色々とこじらせているよね」
「為政者として当然では? まあ、私は公には参画できませんがね」
「姫様が主導したら、本当効率的な社会になりそうだよね。めっちゃ切り捨てられる人もいそうだけど」
「そんなことはしませんよ」
多分、という言葉は言わなかった。
言ってはいけないわけではないのだろうが、言う必要がないのであれば、口にしない。
ベアトリーチェはふうっと息を吐く。
「ですが、リヒトさん。面白そうな方ですね。優秀な人間は好きです」
「え!? あいつ!? もう嫌だよぉ、できる限り会いたくないのにぃ……」
ユーキは露骨に嫌そうに顔を歪めるのであった。




