第46話 提案
望月 優斗は、この世界にやってきて、非常に恵まれた人間に拾われた。
それは、彼の幸運と見た目の良さもあるだろう。
たまたま、彼を最初に見つけたこの世界の人間が、ろくに外の常識も知らない貴族の令嬢であったこと。
恋愛なんてしたこともなく、恋に恋するような乙女であったこと。
望月が非常に容姿の整った男で、また性格も善良で頼りがいのあるものだったため、階段から転げ落ちるように恋に落ちた令嬢。
好きな相手に好きになってもらおうと、当然色々と手厚くサポートする。
この世界に基盤を持たず、誰に頼ることもできない少年を、彼女は召し抱えて人並み以上の生活を送らせてあげた。
望月に類まれなる才能があると分かってからは令嬢から離れたが、今でも時折会ってコミュニケーションを図るなど、良好な関係を構築している。
すなわち、望月は他のほぼすべての転移者が味わうような地獄を知らない。
もともとの善良な性格ももちろんあるが、このように恵まれた環境に置かれたことも、彼がこの世界にやってきてねじ曲がらなかった大きな理由である。
一方で、アイリスである。
彼女は、まさしく望月とは正反対。
転移者を養分としか思っていないこの世界においても、ことさら【悪い】人間に飼われることになった。
そう、飼われるという表現からもわかるように、彼女は人間としての扱いを受けられなかった。
「は? どこ、ここ……?」
アイリスは、その本名を愛梨という。
日本で学生をして、それなりに人生を楽しく過ごしていた。
友人もいたし、買い物に出かけたり遊びに行ったり、勉学を多少おろそかにするという今どきらしい若者だった。
そんな彼女は、何の前触れもなく転移させられる。
そして、他の多くの転移者と同じように、彼女は奴隷に落とされた。
誰にも頼ることはできず、そもそもどこに頼ればいいのかもわからない。
右も左もわからない転移者なんて、格好の餌食だ。
さらに、愛梨は容姿がとても整っていた。
元々顔立ちは端正に整っていたし、色々な美容品を使用できる現代日本で暮らしていたため、肌などの美しさは異世界よりもはるかに上をいっていた。
さらに、潤沢な食糧事情から、その身体は非常に男好きがしそうなほどメリハリに富んでいた。
「ふぅむ。あの女がいいのう。あれだけの美貌が、どんなふうに壊れているか、見てみたい」
だから、質の悪い老人に目をつけられた。
その老人は、この異世界で成功した大商人だった。
すでに引退して第一線からは退いているが、その資産は莫大なものであるし、今も継続的に事業承継した商会から大金が零れ落ちてくる。
その莫大な金がある分、彼はなんでもしたいことはしてきたし、欲しいものは手に入れてきた。
美食も、美酒も、美女も、豪邸も。
何もかも手に入れた今の彼は、非常に倒錯した趣味を持つようになった。
それは、人間の支配である。
一言で言っても、意味が分からないだろう。
そもそも、支配とは何だろうか?
老人は大商会の会長であるから、その元で働く従業員たちを支配していると捉えることもできるだろう。
だが、彼が求めたのはそんな生易しいものではなかった。
自分の考え一つで、指を軽く振るだけで、その人間の人生を劇的に変化させ、他人の人生を塗り替えることができる。
それこそが、老人の求めた支配である。
加えて、その支配した人間がどのように【壊れていくのか】というものも見たかった。
人間は頑丈だ。
無論、限度はあるが、どのような過酷な状況や環境に追い込まれても、それに順応し、慣れ、適合していく。
それを崩したかった。
おのれの手で、人間を壊したかった。
「ふざけんな! さっさと出せ! あたしが何をしたって言うのよ!」
「うむうむ、キャンキャンとうるさいのう。しかし、これくらい元気でないと、やりがいがない。達成感がない。面白くない。お前はワシに買われたのじゃ。できる限り楽しませてくれよ」
もともと、愛梨は気が強い。
整った容姿から、学校ではカースト最上位に位置していたし、表立って敵対され、攻撃されるという経験がなかった。
だから、この不思議な場所でも、自分を通そうとした。
それは、まったく通らない道理であることも知らずに。
「さて、どうやって壊せばいいかのう……」
老人は考えた。
人間を壊すのは、なかなか難しい。
殴り合いの喧嘩をしたことがない愛梨に対して、暴力を振るえばそれは意外と簡単かもしれない。
痛みに耐性がない彼女は、拷問でもされればすぐに折れていたことだろう。
だが、それは面白みに欠ける。
誰だって苦痛は嫌だし、そんなものを受けていたら壊れるのは自明だ。
だから、老人は愛梨の身体ではなく、精神を壊すことにした。
「さあ、ここに入れ。ここが、今日からお前の城じゃ」
まず、当然とばかりに牢屋に入れられた。
国が管理しているような、犯罪者を入れるような場所よりも、さらに劣悪。
老人が私的に所有している、人間を不快にさせるためだけに作った牢屋だ。
むき出しの石は冷たく硬い。
それに、地面と壁を覆われている。
加えて、湿度がものすごく高い。
水滴が天井から絶え間なく落ちてくるほどで、ジメジメしていて非常に不快だ。
窓はなく、地下にあるため時間の経過もわからない。
快適な現代日本の住居で暮らしていた愛梨にとって、とてもじゃないが許容できない場所だった。
「さいってい……!」
さらに、衣服を着ることを禁止された。
常に彼女は全裸であった。
豊かに実った胸や引き締まったお腹を隠すことは、許されない。
衣服を身にまとうというのは、文明社会では当然のことであり、人間の尊厳の根幹である。
それを奪われ、他人から支配される。
それは、愛梨にとてつもなく大きなストレスを与えた。
「こんなもん、誰が食えるのよ!」
極めつけは、一日一度出される食事。
食事なんていうのもおこがましいものだった。
見たことがないような虫や、吐しゃ物と思わせるようなすえた匂いを発するドロドロとしたもの。
それらが無造作にまとめられて、出されるのだ。
「くっ、うっ……」
愛梨は、一本の芯が通った気の強い女だ。
だが、老人のこの仕打ちは、彼女に多大な精神的ダメージを与えていた。
衣食住。
人間が尊厳を保ち、人間らしく生きていくために必要不可欠な要素。
それらすべてを制限され、徹底的に貶められ、支配される。
それは、愛梨を追い詰めるには十分だった。
「愛梨さん、逃げよう」
「え……?」
彼女にそんな提案が囁かれたのは、心身ともに疲弊しきっていた時だった。




