第40話 誰でしょうか?
こういったような、人間を物のように扱っているというのは、想定できていた。
イリファスという犯罪組織が、人身売買などをしているという前情報は、あったからである。
ただ、今目の前にいる人たちを見て思うのは、純粋な商品として扱っていたわけではないということだ。
もしかしたら、ここにいるのは商品としての人間ではなく、構成員が奴隷として活用するための人間なのかもしれない。
それほど、ひどい状況だった。
先程もちょっと考えていたことだが、完全に想定外という事態ではない。
犯罪組織なんていうくらいだから、そういうあくどいこともしているだろうとは思っていた。
「はっ、はっ、はっ、はっ……!」
問題としては、こういう状況を見て一気に余裕をなくした人がいるということである。
もちろん、この惨状を見て笑顔でいられるような奴は誰もいない。
眉をひそめて、顔をゆがめていた。
だが、そんな中、アイリスは顔を真っ青にして、大量の脂汗を浮かび上がらせていた。
「はーっ、はーっ、はーっ、はーっ!」
息はどんどんと荒く、間隔が短くなっていく。
今にも倒れてしまいそうなほどで、フラフラとしていた。
「あ、アイリス……?」
さすがに異変に気付いた望月が、アイリスに近づこうと手を伸ばす。
こいつの考え方や性格からして、純粋な心配だ。
それは間違いないし、アイリスですらも……いや、普段ペアを組んでいるアイリスだからこそ、そのことは分かっていた。
だが……。
「ひっ……!」
そんな望月から逃れるように、アイリスは俺に抱き着いた。
付き合っている男女のような愛のあるものではなく、子供が怖いものから顔を背けるために親に抱き着くような、そんな抱擁である。
これには、望月もポカンとしていた。
自分よりも俺を頼ったことに衝撃を受けたのか、そもそもアイリスがショックを受けていることに驚いたのか。
まあ、どちらにしても、だ。
「とりあえず、アイリスは俺に任せておけ。調査を進めるのであれば、先に進めておいてくれ。すぐに追いつく」
「ああ、分かった」
リーリスに報告だけはしておく。
この状況でアイリスが動けるとは思えないし、経験則上、復活までにちょっと時間がかかる。
大してつながりのないレイスやゴールとデール兄弟は迷惑そうにしていたし、別行動をとった方がいいだろう。
……正直、残されるのはめっちゃ怖いんだけどな。
「望月」
「は、はい」
手持無沙汰におろおろしている望月に話しかける。
「これからもアイリスをパートナーにして活動していくんだったら、もうちょっとこいつのことを理解するようにした方がいい。俺も今回みたいに付き添えるわけじゃないし、いつか決定的な亀裂が入るかもしれない。お前は、もうちょっと周りのことを見て、行動すべきだ」
「……分かりました」
そう言うと、頭を軽く下げて望月はリーリスたちと一緒に出て行った。
自分が残ってもいい方向には転がらないと判断したのだろう。
おそらく、それは正しい。
しがみついてくるアイリスの背中を撫でながら、息を吐き出す。
「本当に分かっているのでしょうか?」
「さあな。まあ、これはおせっかいだし、活かすも無視するも望月次第だ。無視しても、俺は何とも思わん」
奴隷ちゃんの言葉に、俺はそう返す。
余計なアドバイスだし、望月が不要だと感じたのであれば、それでいい。
別に、家族でもないんだし、俺の言うことなんて無視してもいいのだ。
ともかく、アイリスを落ち着かせたら、さっさと帰ろう。
「ところで、次は私の番ですよね?」
「お前さあ……」
◆
「…………」
望月は悩んでいた。
アイリスとは、ペアを組んでかなり長い年数だ。
パーティーの移り変わりが激しい冒険者としては、数年も続くのはよほどのことだ。
望月とアイリスはその珍しいタイプになる。
だが、あのようにうろたえ、取り乱す彼女を見るのは初めてだった。
そして、ペアを組んでいる自分ではなく、理人を頼ったことも……。
切羽詰まっている人間が、無意識に頼った。
それは、その人の中でとても重要な立ち位置を占めているということになる。
何だかそのことにモヤモヤしたものを抱えてしまっていた。
「……あの女、大丈夫なのか?」
そんな望月に声をかけてきたのはレイスであった。
他人と距離を置いていた彼女に話しかけられ、望月は少し驚きながらも頷く。
「え、あ、うん。リヒトさんにもついてもらっているし、大丈夫だと……思う」
「今回みたいなことはよくあるのか?」
「いや、初めてだよ。だから、僕も驚いていて……」
アイリスが狼狽するところは、初めて見た。
あんな弱弱しい彼女もだ。
だから、何が起きているのか、まだ望月は正確に把握できていなかった。
「……あれは、あの奴隷たちを見て、悍ましい過去を思い出したような反応だった。お前の名前からして、転移者だろう? あの女も同じか。じゃあ、あの反応も理解できる」
「転移者の多くが虐げられているのは知っているよ。でも、あそこまでになるなんて……」
「……もしかして、お前は転移者ではあるが、地獄を見ていないのか? 奴隷の経験は?」
「ないよ」
レイスの問いかけに、望月はなんでそんなことを聞くんだろうと思いながら首を横に振った。
望月は転移者ではあるが、奴隷になったことは一度もない。
裕福な貴族の令嬢に拾われ、その傍仕えをしていた。
そのため、奴隷という立場に落ちたことは一度もない。
それを聞いて、レイスは得心がいったようにうなずいた。
「そうか。お前は物好きに拾われたのか。だから、パートナーであるのにもかかわらず、あの女の反応が理解できないんだろう」
何が言いたいのだろうと、望月は眉を顰める。
「お前は例外だよ。この世界に来た転移者は、もれなく全員が地獄を見ている。自由を奪われ、尊厳を踏みにじられ、略奪され、殺される」
レイスの目は、鋭く冷たかった。
そんな目に見据えられ、びくっと肩を跳ねさせる。
「お前、ペアなのにあの女のことを何も知らないんだな」
「……ッ」
そうかもしれない。
心のどこかで思っていたことだ。
だが、それをろくに交流もない他人に指摘されて、面白いはずがなかった。
言い返そうと口を開きかけたその時、リーリスが眉間にしわを寄せて声をかけてくる。
「おい、無駄話は止めろ。これを見ろ」
リーリスの指し示す方向には、重厚な扉があった。
他の部屋と違ってグレードの高いことを意味しており、そこに集まるのも相応の立場にある者だと想像できた。
「支部の幹部がいるかもしれない。中は静かだから、誰もいないか、一人しかいないだろう。それを捕まえ、領主様の元へと戻る。最高の成果になる」
かなりの強硬手段に出るようだ。
乗り気だった望月もそこまではと思ったが、雇い主が言うことに逆らうこともできない。
レイスはやる気だし、中の様子を聞いて探っていたゴールとデール兄弟もそうだった。
それに……。
「あんなひどいことをする奴らは、絶対に許せない!」
望月の強い意志。
それもあって、中に突入することに異存はなかった。
「行くぞ!」
中に飛び込む。
一瞬で捕らえて速やかに退散しようと決めていた彼らの目に移ったのは、凄惨な現場だった。
血と死体。
それらが大きな広間のあちこちに散らばっていた。
静かなのも当然だ。
この部屋で生きている者が、ほとんどいないのだから。
荒れた惨状から激しい戦闘があったことは分かる。
だが、戦闘音を感じ取れなかったことから、少し前に起きたことのようだった。
「な、んだ、これ……?」
呆然とするリーリスが呟く。
誰もが言葉をなくしている中、コツコツと足音が聞こえてくる。
「おやおや? まだ生き残りがいましたか? 全員ちゃんと処理したと思っていたのですが……」
「誰だお前は?」
ゆっくりと歩いて現れた、にこやかな笑みを浮かべている男。
この惨状には到底似合わない表情だ。
だからこそ、恐ろしかった。
「ふふっ、誰でしょうか?」
リーリスの問いかけを受けて、その男――――若井田はにこやかに笑ってごまかすのであった。
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