第二百二十八話:終結
「終わっ……たぁ……」
ピンと張っていた糸が解けたように、その場にへたり込んでしまう。
立体映像が完全に消えると、カーバンクルもいつもの姿に戻っていた。
「キュプ。これで一区切りってところっプイ」
「なぁカーバンクル。〈ザ・マスターカオス〉のウイルスはどうなったと思う?」
「本体の外に出ていたウイルスは機能停止して消滅してる筈っプイ。外からも明らかに気配が消え始めてる」
「そっか……やっと終わってくれたんだな」
本体を倒せば、ばら撒かれたウイルスが消える。
こういうところはアニメ通りじゃないと困るから、これで良い。
とはいえ、失ったものが戻ってくるわけじゃない……それだけは忘れちゃダメなんだ。
俺は呼吸を整えながら、ファイトステージの向かい側で倒れている政誠司に目を向ける。
「撒かれたウイルスは消えたけど、本体はまだ残ってるってとこか」
「プイ。大幅に力を失ったとはいえ〈ザ・マスターカオス〉そのものは、あの男の中に残ってるっプイ」
「感染が広がる可能性は?」
「休眠状態の化神と同じっプイ。あれだけ弱体化したら外にウイルスを撒く力なんて無い……あれは所有者である人間を菌床にしてしがみ付いているだけっプイ」
「そっか……」
つまり今、最後のウイルスは政誠司の身体を蝕む事で辛うじて存在を保てているだけって事か。
他の人達に感染する可能性が無いなら、とりあえず安心できる。
ファイトステージの向こう側から呼吸音が聞こえてくるから、感染はしても死んではいないんだろう。
「カーバンクル。弱体化したウイルスに殺傷力は?」
「苦痛は与えられても、命を奪えるような力なんて残ってないっプイ」
「そっか……じゃあ浄化なんてしてやらねえ」
死なないなら別に良いだろ。
そのまま苦痛の中で、自分のしでかした事を悔い続けやがれ。
エアコンの音が無機質に聞こえる中、俺は心の中でそうぼやきながら、精神疲労と身体の痛みが回復するのを待つ。
少しばかり……数分程過ぎた頃だろうか。
ファイトステージの出入り口から、誰かが走ってくる音が聞こえてきた。
「ツルギくん! カーバンクル!」
後ろを振り向くと、そこには二体の小さな竜を連れた原作主人公。
激しい戦闘があったのだと容易に想像できる傷を負っている、藍の姿があった。
「カーバンクル! どうなったブイ!?」
「あそこに倒れているのは……政帝か」
「キュップイ。大丈夫……ちゃんと勝って、終わらせたっプイ」
心配そうに寄ってきたブイドラとシルドラに、カーバンクルが状況を説明する。
それのおかげで、藍にも状況を簡単に伝える事ができた。
「……終わったんだ」
「なんとかな。本体は残っているけど大幅に弱体化しているから、他の人に感染したウイルスは消えたって……カーバンクルが、そう言ってた」
「感染したウイルス……じゃあ真波ちゃんも!」
希望を含んだような声を上げる藍に、俺は小さな笑みを浮かべながら頷く。
きっと大丈夫だ。ここまでやれたなら原作アニメと同じ結末はある。
だからきっと大丈夫。
「シルドラ。あとで藍と一緒に病院に行ってやりな」
「天川ツルギ……この恩、決して忘れない」
「そう思うなら、ついでに財前の様子も見てきてくれ。アイツの怪我も心配なんだよ」
九頭竜さんが大丈夫なら、アイツも大丈夫だろ。
アーサーの事だけが気にかかるけど……きっと大丈夫だと、今は信じていたい。
でもその前に、念のための確認を。
「嵐帝は?」
「勝ったよ。みんなのおかげで……ツルギくんが渡してくれたカードのおかげで、勝てたよ」
「なら、よかった」
という事は〈セイバーオーラ〉は役に立ってくれたらしい。
アニメでは政誠司との戦いで、最後のブランクカードが変化して誕生したカードだったからな。
少し余裕を持って勝ってくれたのなら、本当に良かった。
「にしても、アイツ本当に生きてるブイ?」
「キュ〜、殺さない程度に痛めつけただけっプイ」
「そうか……不思議だな。あれ程ボロ雑巾のように転がろうとも、同情しようとは欠片も思えん」
「当たり前ブイ。オイラも同じブイ」
「やったボクが言うのも何だけど同じ気持ちっプイ。アイツの償いは、ここから始まるっプイ」
ウイルスに侵され、気を失っている政誠司を見ながら化神の面々が言葉を吐き捨てる。
そう言われても仕方がない。あの男がやってきた所業――生命を弄んだ暴君が迎えた、自業自得の末路だ。
「ツルギくん!」
そんな感じでファイトステージにへたり込んだまま休んでいると、新たに誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
名前を呼ぶ声でわかる――ソラが来たんだ。
「大丈夫ですか!?」
「あぁソラ。見ての通り、ちゃんと勝ったよ」
「そうじゃなくてツルギくんの怪我です!」
あっ、そっち?
「大丈夫だって、大した怪我じゃないから」
「じゃあなんでへたり込んでるんですか」
「ただの疲れ……やっと終わったからさ、緊張が解けたんだ」
聖徳寺学園に入学してから、ずっと張り詰めていた緊張。
それがようやく解けたと思うと、疲れが一気に流れ込んできたんだ。
そう思っていると、小さくも温かい手が俺の頭に添えられてきた。
「お疲れ様です、ツルギくん」
「……ありがとう、ソラ」
優しく頭を撫でてくるソラ。
そうして貰うだけで、疲れた心と身体が少しだけ軽くなるような気がした。
やっと終わったんだな……そういう感傷に浸ろうとした次の瞬間。
俺はようやく、その化神の存在に気がついた。
「……あの、ソラさん? そこにいるのって」
「エオストーレ、私のパートナー化神です」
白い翼を持つ美しい大天使。
ソラがずっと使っている切り札こと、エオストーレ。
化神である事は把握していたけど、ついに目覚めたんだな。
「初めまして。と言うのもおかしな表現かもしれませんね」
「かもな。俺達ずっと交流あったもんな」
「では改めまして。ワタクシは赤翼ソラのパートナー化神。名はエオストーレと申します」
「よろしく。俺の相棒なら今あっちに――」
俺がブイドラ達とワイワイやっているカーバンクルを指差した瞬間、エオストーレは一瞬にして凄まじい形相へと変化した。
いや何それ目ェ怖ッ!
「おやおや……おやおやおやおやおやおやおやおや?」
「あ、あのぉ、エオストーレさん?」
俺の言葉は華麗にスルーして、エオストーレは静かにカーバンクルの元へと移動する。
……なんか背中から怒りのオーラが見えているんですが。
見ろよブイドラとシルドラを。抱き合って怯えてるじゃねーか。
「キュプ? あっ、もしかしてエオストーレっプイ!?」
「はい、そうですよ」
「ついに目覚めたっプイ! はじめまして、ボクはカーバンクルっプイ」
「はじめまして……初めまして、ですか」
相棒、多分だけど地雷踏み抜いたぞ。
明らかにエオストーレの背後に「ゴゴゴゴゴゴゴ」って擬音が浮かんでるの見えてるもん。
というかお二人さん知り合いなのか?
「ワタクシの顔を忘れたのですか? カー蛮クル」
「知らんっプ――イィィィィィィ!?」
うわぁ、エオストーレさん完全にキレてる。
カーバンクルの両耳掴んで、思いっきり引っ張ってるよ。
「どの面を下げて『知らんっプイ』なんて言ってるんですか!? どの面を下げてェェェ!」
「いや本当に知らないっプイ!? もしかして前にどこかで会った事あるっプイ!?」
「ワタクシにあんな事をしておいて、十年以上も放置して! 貴方の度重なる光堕ち詐欺にはほとほと愛想が尽きました!」
「ボクの知らない罪状が、ボクを責め立てるっプイ〜」
「あとその口調をやめなさい! 貴方いくつだと思っているのですか!? 加齢臭が隠せていませんよ!」
「センシティブ〜、ボクの心は永遠の十代っプイ〜」
カーバンクル、お前精神年齢の自認十代だったのかよ、流石に少し無理あると思うぞ。
あと以前ウィズにも言われてたけど、化神の加齢臭ってなんだよ。
いやマジでカーバンクルって実年齢いくつなんだよ。
「コラー! ダメですよエオストーレ!」
「止めないでください。この雄ウサギには積年の怒りが――」
「〈聖なる魔剤〉を破きます」
「仲良しィィィ! ワタクシ達とっても仲良しなので魔剤の廃棄だけは許してくださァァァい!」
すげぇ、一瞬にして手のひら返しやがった。
というか何で〈聖なる魔剤〉?
エオストーレに何があったんだ?
「うぅ、グスっ……魔剤を、傷つけないで」
「今コイツ魔剤の事を生命って言ったっプイ」
なんだアレ、限界中間管理職な独身女性か?
どんな性格……いや、どんな経緯があってそうなったんだよ。
そんなドタバタをしている内に、黒崎先輩達もこちらにやってきた。
「天川、無事だったようだな」
「俺は無事です。化神の皆様はあの通り」
「そうだな。あれだけ元気なら問題も無いだろう」
「ワタシはあの輪に入るのはご遠慮いたします。面倒な匂いがしますので」
カーバンクルを無言で睨みつけるエオストーレを見ながら、黒崎先輩とシーカーが言う。
確かにアレは、うっかり巻き込まれると大変そうだな。
だけどその前に、俺は黒崎先輩に知らせるようにファイトステージの向かい側を指差す。
「政帝……これがヤツの末路か」
「ちゃんと生きてますよ。死ぬほど痛い思いはしてると思いますけど」
「それで良い。軽々と死なれては事後処理が面倒だ……だがそれ以上に、ヤツらの罪はこれで償える程軽くもない」
冷たい声でそう言い放つ黒崎先輩に、俺は頷いて肯定する。
こんなところで死なれる訳にはいかない。
生きて、償ってもらわなきゃ意味がないんだ。
「あっそうだ。外の感染者は」
「安心しろ、警察も救急車も呼んだ。王先輩や音無達が対応のために外に残っている」
それは必要……だけど大丈夫なのかな。
町中パニック状態だったし、今頃公的機関はパンクしてるんじゃないか?
とはいえ、事が起きてしまった以上どの道な話か。
「先輩、政誠司のウイルスは」
「残っているんだろ。それくらいなら父さんも想定内だ」
そう言って振り返る黒崎先輩。
そこには黒崎先輩の父親である刑事、勇巳さんと数人の大人がいた。
恐らくファイトステージに来る前に、事態が終わったという連絡を入れたんだろう。
「先輩、なんか人増えてないですか?」
「父さんが声をかけていた警察官だ。全員遠からず因縁を持っている」
訳ありって事か。
移動中の会話からして、二人の支援者――『財団』って存在絡みなんだろう。
勇巳さん達は俺達に軽く会釈をすると、すぐさま倒れて気絶している政誠司の元へと集まっていった。
「たった1枚のカードで、引き金を引けてしまうのか」
政誠司の近くに落ちていたカードに視線を落としながら、勇巳さんはそう呟く。
すると勇巳さんはドラマで見るような白い手袋をつけて、ピンセットのような物で1枚のカードを拾い上げた。
遠目に見えたそのカードは〈【終焉の感染】ザ・マスターカオス〉。
「げっ!? アレ迂闊に触ったら」
「大丈夫だ。ちゃんと準備をしてある」
そう言って俺を落ち着かせてくる黒崎先輩。
とりあえず勇巳さん達の動きを見守っていると、一緒に来ていた警察官の一人が何かを取り出してきた。
それはカードショップでもよく見かける、ゴツくて透明なケース。
というかあの見た目は……
「PSA鑑定済みのカードを入れるケース?」
「見た目が似ているだけだ。含質量電子プログラムが外部に出ないよう封印するために作った特別製らしい」
「……なにその便利アイテム」
そんな代物あるならもっと早く知りたかった。
というかどういう場面を想定して作ったんだよ。
絶対に作り始めたの、今回の件が発覚するより前だろ。
「これで大丈夫だろう」
ピンセットで拾い上げた〈ザ・マスターカオス〉を、勇巳さん達はケースの中に封印する。
これで政誠司は完全に無力化されたという事だ。
「さて……政誠司。そして風祭凪」
勇巳さんは少し殺気立った感じで、気を失って倒れている政誠司に声をかける。
周りの警察官も言葉は無いが、同じ空気を纏っていた。
「12年経ってようやく掴んだ大きな尻尾だ。未成年だろうが何だろうが関係はない。君達の罪も、君達を支援した大人に関する事もッ! どれだけ時間がかかろうが、全て話してもらうぞ!」
手錠をかける音が聞こえた。
12年か……そりゃあ勇巳さんも必死になるんだろうな。
どんな因縁があったかは知らないけど、それだけ長い時間をかけて追っていた件にも繋がっているなら、他の人にも声をかけるか。
具体的な言葉は聞こえなくても、この場にいる警察官の全員が「ようやく動き出した」という安堵の雰囲気を出している。
「先輩、終わったって考えて良いんですよね」
「お前たちはそれで良い。あとは父さん達が引き継いでくれる」
そうか、ならとりあえず安心して良いんだろうな。
「天川、よくやった」
「自分への決着……他の理由は結局、耳触りの良い大義名分ですよ」
「それで良い。傷ついてでも守るために力を行使できるなら――お前はもう、王の器を持っている」
だと良いんだけど。
俺は自分のために弔い合戦をしたようなものだ。
だけど……それで誰かを守って、何かを変えられるなら、きっとそれで良いんだ。
「ツルギくん。行きましょう、みんなで」
「そうだな。早く病院に行って九頭竜さん達の無事を確認しないと」
「ツルギくんの手当てもです」
差し伸べられたソラの手を掴んで、俺は立ち上がる。
自分の選択が本当に正しかったのかどうか、そんな事は未来を待たないと知る事すらできない。
改変した物語がどんな道を辿るのか、それはゼウスの言っていた登場人物には観測できないんだ。
――ぐぅぅぅ――
「ツルギくん?」
「そうだった、昼飯食い損ねたんだった」
「病院の帰り、みんなでご飯食べに行きますか」
「だな。みんなで飯食いにいこうぜ」
ここから先は、観測してきた物語なんかじゃない。
俺が……俺達が作っていく物語。
俺が選んだ、俺が生きる世界の物語だ。




