第二百二十三話:この世界は……
後ろから藍と嵐帝のファイトが始まったであろう音が聞こえるが、俺はひたすら前に通路を進む。
一方通行、進んでも行き着く先はファイトステージ。
本来であればランキング戦の真っ只中であっただろう場所に、その男は一人で立っていた。
「来たか。天川ツルギ」
「政、誠司」
ステージはライトアップはされているが、観客席に人のいそうな気配はない。
もしかしたらウイルス感染の影響で意識を奪われているだけかもしれないが、どちらにせよ気持ち悪い程に静かだ。
俺に背を向けたまま、政誠司は天井を見上げながら語ってくる。
「スポットライトはファイトステージを華やかに照らしてくれる。だけどこの舞台は、全てを納めるには狭すぎる」
「その全てに、数えなかった人達がいるよな?」
「数えているよ。僕が選んだ善良な民をね」
振り返って、善人面の笑みを向けてくる政誠司。
それっぽく振る舞おうとも、真実を知る者からすれば仮面は仮面でしかない。
下に本性が隠れている。それを理解している相手に、そういう面は通じない。
「その利己的な善良のために、許されない数の血が流れたっプイ」
「歴史に裏付けられた必然だよ。大義を成す過程で犠牲はつきもの。敵を殲滅しなければ得られない世界もある……化神はどんな文化を持つか知らないが、我々人間はこうだ」
俺の頭上からカーバンクルが言葉を叩きつける。
やっぱり化神を認識できていたんだな。
そしてアイツの中にある正義は揺らいでいないのか、政誠司の態度は何も変わらない。
「その世界を望むって誰が言ったんだ? 支持者ゼロで為政者を気取ってさ」
「ゼロではない。僕と凪がいる。あとは友好を結んだ」
「心の弱味に漬け込んで、ウイルス感染させただけだろうに、よく言う」
そもそもこの男は『自分は善良な民を選んだ』なんて言っているけど、肝心の民を軽視している。
民と書いて読み方は駒だ。それも将棋よりチェスに近い。
奪った相手の再活用なんてしない。討った相手には死を与え、王を討つためなら部下を死なせる事も厭わない。
それが政誠司という男だ。
「君がここに来た理由は、過去への抗議かい?」
「アンタが過去と形容するのはどれか。心当たりが複数あるんだよ」
速水にウイルスカードを渡して俺とファイトさせた事か。
ウイルスカード製造のために殺してきた化神の事か。
身勝手な計画のために二度も死なせた伊賀崎さんの事か。
今朝がた、自ら手にかけた財前と九頭竜さんの事か。
それとも他の何かか……そんな事の特定なんて、どうでもいい。
「どれを指していようともさぁ、テメェが勝手に過去扱いしていい事なんて、一つもねーんだよ」
「……全てか。その慈愛精神は僕好みだよ」
「慈愛を履き違えた男に言われても嬉しくない。そもそもアンタが守りたい対象は、風祭凪と自分自身だけだろ」
「否定はしない。だけどその先を見据えている事も、間違えないでもらいたい」
ここまでは無難なやり取り。
政誠司もごく普通に受け答えをしている。
平然とした態度は、自分に対する絶対的自信の表れ。
この世界の強者には、ありがちな振る舞いだ。
「ウイルスの散布。感染者の支配。邪魔者も無関係者も区別しない殺し……アンタの目的は?」
「世界の破壊と創造」
微笑みが、歪な狂喜の笑みに変わった。
話したくて仕方なかったんだろうな。
こういう男は、決戦の前に語りたがるもんだ。
「天川ツルギ、君に一つ問いを出してもいいかい?」
「どうぞ」
「君は、この世界は綺麗だと思うかい?」
世界が綺麗か否かね。
少なくともコイツらにしてみれば、お世辞にも綺麗とは言えないだろう。
「アンタには、相当汚く見えてるんだな」
「大人がね、欲に塗れ過ぎたんだ。夢の芽を平気で刈り取り、若葉は人ではなく家畜としか認識していない」
「顔がいいと苦労するんだな。保護者からすれば、売り込みに成功すれば何でも良かったんだろうけど」
カードを1枚切らせてもらおう。
流石に自分達の過去を知られているとは思わなかったんだろう。
政誠司の余裕が一瞬、確かに崩れた瞬間が見えた。
とはいえ、まだこの程度ではすぐに平静に戻られてしまう。
「情報源は、勇吾かな」
「想像にお任せしますよ。動機が生まれた理由は理解できる」
「僕には、この世界は醜悪の極みに見えている」
静かなファイトステージで動くエアコンの音が、本来想定されていない目立ち方をしている。
政誠司はそんな中で、心底失望したような、諦めたような様子で語ってきた。
「今の世界は分かりやすく出来ている。力ある者が正義となり、力なき者は搾取受け入れるしかない」
「だろうな。勝てば得られる、負ければ失う。そういう世界だもんな」
「君だけじゃない。この学園に通う者、特に上位クラスの生徒ともなれな、誰にだって経験や心当たりがある」
「だからこそ、帝王は生徒を守らなければならない」
「腐敗は切り捨てる。そうでなければ未来に悪影響を及ぼす」
故にウイルスで選別をする。
政誠司が善であると認めた者を拾い上げて、それ以外は搾取か始末。
選ばれた民を引き連れて、自分達の理想郷を創り出す。
そのためなら手段は問わないし、腐敗と断じた存在を殺める事にも抵抗はない。
「取捨選択は上に立つ者の義務だ。特に理想を叶えるには避けては通れない」
「その過程で捨てちゃダメなものまで捨てた。だから俺達は今ここにいる」
「温室の理想に囚われた結果、賊に身を落とすか……環境と感情は時に、人に選択を間違えさせる」
「だとすればアンタも、環境と感情で選択を間違えた一人だろ……でも、アンタが言いたい事も理解はできる」
俺がそう言うと、政誠司は「ほう」と少し興味深そうに返してきた。
「どう言い訳したって、俺達ファイターは勝ち負けから逃げられない。負けたら失うって事は、俺達は常に誰かから何かを奪って生きているようなもんだ」
「だけどそのルールのおかげで、僕達は世界を変えられる」
「変えるなら手段を選ばなくちゃ意味がない。自分の強さが『奪う』という結果になるのは仕方ないけど、自分の意思で『踏み躙る』結果を作ったら、それは王じゃなくて暴君だ」
「その評価も結果論に過ぎない。呼び名は勝者が決めるものだからね」
「あぁそうかい、暴君」
コイツらが搾取された過去に、多少同情していたのは事実だ。
だけどそれは過去形。
ウイルスの材料として、無関係な化神達を殺した。
自分の野望を成すために、無関係な人達を虐殺した。
俺達の目に見える範囲で、生命を弄んだ。
「僕に……勝つ気でいるのかい?」
「そうでなきゃ今ここに来てない。だから遠慮せずに本気出せよ。学園最強が一年生に負けたら、末代までの恥だぞ」
「……やはり惜しいな。君のような男を友として迎え入れられなかったのは、この上ない後悔になりそうだよ」
大袈裟に、劇の演者のように残念がる政誠司。
どうせ本心では大した関心も無いんだろう。
あるのは自分の手から溢れた厄介者を始末する、ただそれだけだ。
「行き過ぎた欲望は世界を汚す。それを善しとした結果が今の世界だ」
「アンタもその欲望の一部だろ。だからその手が汚れたんだ」
「過程の改竄は勝者の特権。瑣末な問題だよ」
「瑣末で済ませる訳にはいかないから、俺が来た」
歴史の過程じゃない。みんな生きていた。
化神達も、ギョウブも……伊賀崎さんも。
どこかの誰かじゃなくて、確かにこの世界で生きていたんだ。
「自分の罪くらい、自分で精算しろよ……政帝」
「誰も僕を裁く事はできない。君には世界の汚れが視界に入らないのかい?」
「……入った。何度も」
入らないわけがない。
勝てば得られる、負ければ失う。
だったら勝者は必ずどこかで敗者を視界に入れてしまうんだ。
それは特定の物事に限らない。勝ってしまったからには、背負うべきものもある。
これこそカードゲーム至上主義世界の根っこなんだと思う。
だけど……それでも……
「奪う事だけが、勝つ事じゃない。勝つ事だけが、得る方法でもない」
「それは、空虚な幻想だよ」
「幻想を現実にしたいから、俺はずっと戦っていた……今ならそう言える気がする」
我ながら、前の世界ではちっぽけな人間だったと思う。
大して優れた点なんて存在しない。何か大きな夢を持っていたわけでもない。
理想があっても理想で終わる。物事の流れに逆らうような力も持っていなかった。
だけど……今は違う。
「勝ちを手放したから、守れたものがあった。大切な人達や、自分の魂を救う事ができた」
「だから君は、この汚れた世界を肯定するのかい?」
「暗いところを肯定する気はない。ただ俺は……こんなちっぽけな人間でも、自分の手で守れるものがあるって学んだだけ」
後悔し続けていた、速水との対話もできた。
苦しんでいたアイと、今でも一緒にサモンができる明日を掴めた。
藍や九頭竜さん、化神の皆と友達になれた。
そして……ソラがサモンを諦めずにいてくれた。
「そういえば。この世界がどう見えるかって質問、答えてなかったな」
前ならきっと、全て取りこぼしていたと思う。
数えきれない後悔を抱え続けたと思う。
だけど今は、戦う力がある。背中を任せられる、最高の仲間達がいる。
だったらきっと、この世界は――
「ここは……俺がカードゲームで無双できる都合のいい世界だ」
これが俺の答え。
俺が選んだ、俺の生きる世界だ。
「そうか。ならここから先はカードで語るしかないようだね」
「俺は最初からそのつもり。アンタを倒して、全部終わらせる」
「キュップイ。絶対に勝つっプイ!」
「「ターゲットロック!」」
お互いに召喚器を手に取って、無線接続をする。
頭上にいたカーバンクルもデッキに戻り、オートシャッフルをしてから初期手札を引く。
すると政誠司が妙な事を言ってきた。
「君には、最高の恐怖を以って断罪としよう」
「恐怖?」
「未知。人間にとって、そして僕達ファイターにとって最大の恐怖さ」
あぁ、なるほどね。
ウイルス感染した7枚に切り札は、確かにこの世界の人々なら未知でしかない。
だけど俺は財前からファイトログを受け取っている。
いや……それ以前の話か。
「何がおかしい」
「いや、アンタの言う通りだと思ってさ。確かに未知は怖い。特にファイト中の未知は一番厄介だ」
訝しげな政誠司に、思わず笑い声が出てしまう。
未知。それはウイルス感染したモンスター全般に当てられる表現だろう。
実際、俺も今までのウイルス戦では、未知の要素に苦労した。
だが……それは未知が相手だったから、という話。
「なぁ。その未知って言葉、ちゃんと覚えとけよ?」
未知が厄介なのだとすれば……逆に言えば既知は対策ができるという事だ。
政誠司。コイツは強大な敵であり、諸悪の根源に違いない。
だけど俺にとっては、今までで一番戦いやすい相手だ。
「政誠司、アンタに本当の未知ってやつを教えてやる」
お前は今までの感染者とは違う。
所持しているデッキのカードも、プレイングや性格も知っている。
俺にとって政誠司は――既知の相手でしかないんだ。




