第二百十七話:ゼロ→マイナス→ゼロ→_
【閲覧注意】
ライトアップされたファイトステージの中央に、政誠司と風祭凪は立っている。
誰もいない観客席を感慨深そうに見つめながら、誠司は外の様子に耳を傾ける。
感染者の中に潜むウイルスは、本体でもある〈ザ・マスターカオス〉に情報を共有する。
情報は所有者である誠司にも伝わり、自分の元へ向かってくる賊を把握させる。
「やはり来たか」
評議会補佐として動かしていた生徒達から、渡米中にも警戒すべき者達の情報は送られていた。
こちらに向かってくる顔触れは漏れなくそれ。
「牙丸……君は其方を選んでしまうのだね」
心底残念そうに、かつての同志が敵対した事を嘆く誠司。
しかしそれも一瞬。敵となった以上、もはや手加減をする理由もない。
「やはり先頭に立つのは天川ツルギか……博士の忠告通りだ」
「誠司様、私から出向きましょうか?」
「いや、もう少し様子を見てからにしよう。まだゲームは始まったばかりだ」
感染者を介して、誠司には学園内の全てが手に取るように分かる。
校門を容易く突破されるなど問題とも呼べない。
感染者はファイト用施設に近づく程に多く、強い者を配置している。
「歩兵に価値は無い。それを退けて喜んでも、次に立ち塞がるのは……僧正」
Bクラス以下の生徒を集中させたエリア。
そこで集中放火を浴びせようとするが、牙丸と速水が全て引き受ける。
「騎士」
AクラスとSクラスの生徒で固めたエリア。
より強者が集まっているが、数は多くない。
自分達が引き受けると言って、ソラと愛梨が対象をする事になった。
「そして城塞」
少し離れた場所では、ツララと勇吾がファイトをしている。
相手はウイルス感染した教師陣。
流石に六帝評議会のメンバーといえど、一筋縄ではいかない相手ばかりである。
「そして最後に立つのは僕と凪……おや?」
「どうかされましたか?」
「いや、騎士として配置した者達からウイルスが弱まっているような気がしてね」
「宮田愛梨が化神を従えていた筈です。そのせいでは」
「そうだね、その通りだろう」
それにしてはウイルスの弱体化が急速な気がしたが、誠司は自分の勝利を疑っていないので、対して気に留めなかった。
使える者は限界まで使う。
友好的な者は生かして次の時代に連れていく。
それ以外は……政誠司という帝王が選ばなかった存在には、滅びあるのみ。
「こちらに向かうのは天川ツルギと武井藍か……惜しいな」
「やはり引き入れたかったのですか」
「天川ツルギ。これだけの闘志と実力を持つのであれば、友として迎え入れたかった……自分で手を下すのが惜しくてならない」
「では、あの男は誠司様が直接?」
「そうさせて貰おう。その後は速水学人に審判を与えよう……生き残っていれば、だけどね」
公私を残酷に分けるように、未練があるような口ぶりこそするが、誠司の中では既に判決が出てしまっている。
だがそれはそうとして、特に学人に関してはもう一度交渉はしてみようと考えていた。
「速水学人は、寝返りそうですか?」
「断言なんてできない。将を落とした後の彼次第だ。彼は僕らの描く理想に最も賛同してくれると思っていたんだけどね」
「誠司様の御慈悲に気づけるか否か」
「そして世界の醜さに気づけるか否か。満たされた者は一様にして目を逸らしてしまう。だからこそ僕らが強硬手段に出る必要がある」
「自業自得ですね。九頭竜真波のように汚れを知らず、空虚な理想だけを見る者が多すぎます」
そう言うと凪はファイトステージの出口へと歩き始めた。
「武井藍は私が始末します。天川ツルギは通してよろしいでしょうか?」
「あぁ、そうしてくれ……彼らを倒す頃には、感染者も十分な数になる」
凪は誠司に一礼をしてから、賊を迎え討つためにその場を去った。
去り行く彼女の背中を見届けると、誠司は照明が光る天井を見上げて心を震わせる。
「ゼロから始まり、マイナスとなって……ようやくゼロから全てを創り変えられる」
脳裏に浮かび上がるのは、幼かった頃の日々。
決して自分から他人に話した事のない深い絶望。
それは政誠司と風祭凪にとって、憎悪と歪みに満ちた記憶。
◆◆◆
これはツルギが前の世界でもアニメを介して、間接的な情報として見ていた記録。
ツルギもある程度は知っている、誠司と凪の忌々しい過去。
時は十年前まで遡る。
この世界には児童養護施設が多い。それは才無き子どもを捨てる親が多い事に起因している。
誠司と凪もそんな珍しくない境遇の子どもであった。
養護施設の数は多くとも、その環境は決して平等とは言えない。
平凡な生活ができる施設もあれば、劣悪な環境の施設もある。
誠司と凪がいた施設は後者であった。
同い年だった事もあり、二人は元から仲が良かった。
施設には他にも子どもがいたが、環境の割には然程喧嘩は起きない関係を保っていた。
その要因は健全とは言い難い。彼らが本能的に争いを回避した原因は……大人という共通の敵がいたから。
施設の大人は、子ども達に優しさなど持っていなかった。
あるのは上にいる誰かの命令で、子ども達に無茶な教育を施すこと。
そして落ちこぼれた者に罰を与えるという、歪極まる報酬。
この施設ではいつも誰かが泣き叫んでいた。
いつも自分が傷つけられる可能性に恐怖していた。
こんな劣悪な環境でも辛うじて正気でいられたのは、数人の年長者のお陰である。
誠司も凪も他の子ども達も、奇跡的出会えた良識ある年長者のお陰で、最低限のモラルは得られたのだ。
だが施設の子ども達には、共通する一つの信奉があった。
――いつか必ず、優しい大人が迎えに来てくれる――
来るかどうかも分からない未来を信じて、子ども達は耐え忍ぶ。
誠司と凪も例には漏れない。
何より二人は仲が良かったので、お互いに励ましあっていた。
きっと明日は良くなる、そう妄信し続けて。
最初の違和感は、年長者が一人いなくなった時であった。
施設の大人達は「新しい家族の元へいった」と答えたので、誠司と凪はそうなのだろうと信じてしまった。
何も知らぬ子ども心で信じたがために、その時大人達の見なりが良くなっていた事には気づけなかった。
その後も一人、子どもが施設から出ていった。挨拶はできなかった。
もう一人、施設から出ていった。突然であった。
さらに一人、施設から出ていった。大人達は「いい人に買ってもらえたね」と言っていた。
いつからか、施設の大人達は誠司と凪に「あなた達はとても綺麗な顔をしているね」と優しく言ってくるようになっていた。
意味は分からなかった。
ある日、施設の大人が凪に話をしてきた。
「あなたに会いたいって人が来てるの。一度会ってみない?」
優しい大人が迎えに来てくれた。
凪は喜び、誠司も一緒に喜んだ。
すぐに凪は大人と手を繋いで、新しい家族候補の元へと行った。
寂しさはあったが、誠司は凪が幸せならそれで良いと思っていた。
翌朝、凪は施設に戻ってきた。
すぐに新しい家に行くのではないのか、誠司は少し不思議に思ったが、深くも考えなかった。
子どもには何も気づけない。言葉にしなければ何も伝わらない。
凪が微かに怯えた様子だった事など、気づけない。
数日後、また凪は大人と一緒にどこかへ行った。
大人達は妙に嬉しそうで、見送る誠司に「あなたもすごく綺麗な顔をしているね」と何かに期待するように言ってきた。
ハッキリとした言語化はできなくとも、誠司には何か強い違和感と警告音があった。
次に凪が帰ってきた時、誠司は言葉を失った。
元々凪は長くて綺麗な髪をしていたが、その髪が乱雑に切り落とされていたのだ。
誠司は凪に何があったのか何度も聞いたが、凪は何も答えない。
何も喋らず、部屋の隅でうずくまり、時折嗚咽を上げるのみ。
何かがあった。それだけは子どもの誠司でも察しがついた。
しかし施設の大人達はのらりくらりと躱していく。
子どもの言葉も、子どもの心もまるで興味がないかのように振る舞い続ける。
そしてある日、誠司の番が来た。
大人達は凪の時と同様に誠司に声をかけてきたが、誠司の中には強い不信感しかない。
だが何か分かるかもしれないと思い、誠司は警戒心を隠して大人達の話に乗った。
……乗ってしまった。
全ての真相に気づいた時には、醜悪な絶望しか残っていなかった。
施設の大人達は、最初から新しい親と合わせる気などなかった。
大人達は私腹を肥やす為だけに誠司を……そして凪を売っていたのだ。
大人達が言っていた「顔が綺麗」という言葉もそういう意味だった。
今まで去っていった子ども達は、そういう大人に売り払われていただけ。
凪と誠司は長く使える商売道具として手元に残されていただけ。
施設に戻った誠司は凪を理解し、凪は誠司を理解してしまう。
世界は醜くドス黒い。そんな価値観を作るには十分な経験であった。
誠司は凪を守るように抱きしめて、明日を恐れる日々を送る。
この状況を脱するにはどうすれば良いのか。
施設から逃げても、子どもには生きる術がない。
買った大人には警察官もいた。正義なんてない。
二人にできる事は、ただ大人の欲望に貪られる現実を耐えるだけ。
そう思っていたある日の事。
誠司と凪の元に一つのぬいぐるみが送られてきた。
差出人は分からない。ただ施設の大人達から乱雑に投げて渡された。
可愛らしいクマのぬいぐるみだが、心がズタボロの二人に喜ぶ余裕などない。
ある日、また凪が大人に連れて行かれた。
もう施設の大人は「今日はとっても良いお客様よ」と言って、隠そうともしていなかった。
誠司は必死に大人に掴みかかって凪を助けようとするが、施設の大人は乱雑に蹴って排除してくる。
誠司の脳には泣いて自分を呼ぶ凪の声が無限に反響し続ける。
絶望と無力感に打ちひしがれる誠司だったが……ふと、ぬいぐるみの背中にファスナーがついている事に気がついた。
何故だかは分からない。だが誠司には不思議とそのファスナーが気になって仕方なかった。
好奇心でファスナーを下ろすと、中から出てきたのは白い綿……そして綿に包まれていたメッセージカードと何か固い物体。
誠司はメッセージカードに目を通す。無茶な教育でも、受けていたお陰で漢字も難なく読めた。
――捨てて、奪えば、変えられる明日もある――
差出人の署名もなく、ただそれだけのメッセージ。
固い物体は折りたたみ式のナイフであった。
年長者は言っていた「人のものをとってはいけない」と。
優しかった年長者は言っていた「いきものは大切にしよう」と。
「……捨てて、奪う」
ポツリと呟くと同時に、誠司は大切にしていた教えを捨てた。
ナイフの刃を出して、大人達がいる部屋へと乗り込み……誠司は迷わず最初に刺すべき相手を見出した。
凪の服を破き捨てていた男。
大人達がお客様と呼んでいた、凪に覆い被さっていた男の首を、誠司は迷わずナイフで切りつけた。
夥しい血が噴出しても一切動揺はない。
教えは捨てた、なら次は命を奪って明日を変える。
「ナギィィィ!」
男は倒れて凪から離れた。
誠司は凪に近づこうとするが、施設の大人が飛びかかってくる。
その内一人にはナイフを刺せた。しかし残りの大人達によって、誠司は呆気なく取り押さえられてしまう。
必ず凪を救う、凪が傷つかなくても良い明日に変える。
血走った目つきでその願いを胸に、必死に抵抗を試みる誠司。
子どもの力なんて大した事がない。
誠司の絶望と大人の傲慢さが重なった次の瞬間……何かの音が鳴ると同時に、大人達が倒れていった。
数回大人が悲鳴を上げたのが聞こえたが、すぐにそれも消えて無くなる。
誠司は自分の背に覆い被さっていた大人が、誰かの手で退かされて初めて状況を知った。
「お見事。君は自分で明日を変えられたんだ」
立っていたのは白衣に身を包んだ数人の大人。
彼らは手にサイレンサーを取り付けた銃を持っていた。
誠司は左右に視線を向けて初めて、施設の大人達が死んだ事を理解した。
「怖いかい?」
白衣の大人の問いかけに、誠司は首を横に振る。
恐怖も悲しみもない。ただあるのは安心と達成感のみ。
「捨てて、奪う。これを実行できる子どもは中々いない。誠司くん、君は本当に素晴らしい素質を持っているようだね」
「そしつ?」
「そうだ。要らないものを捨てて、必要であれば生命さえ奪える勇気。君は新しい世界の王になれる素質があるよ」
白衣の大人達の真ん中にいた男は、誠司に優しく語りかける。
笑顔で褒めてくれる大人とは、こんなにも安心できる存在なのか。
誠司は初めて経験する温もりに、強い感動を覚えていた。
「誠司くん、そして凪ちゃん。僕達と一緒に新しい世界を創ってみないかい? もう誰も君達を傷つける事のない、真に優しい世界だ」
「優しい、世界」
「そうだ。そこで誠司くんは王様になるんだ。悪い人を消して、優しい人だけが生きられる世界のね」
世界は醜悪に変わりない。
だけど綺麗な世界が無いなら、創ってしまえばいい。
殺す事を覚えた誠司は、根っこから歪んでしまい。
誠司に依存し切っていた凪は、一瞬たりとも彼の判断を間違いだとは疑わなかった。
「戦うための力は、僕達が用意しよう……君達は安心して新しい世界を創ってくれ」
白衣の大人は優しく手を差し伸べてきた。
それが悪魔の誘惑であっても、誠司と凪に断るという発想はない。
自分達を苦しめた世界に復讐をする。自分達が本当に幸せになれる世界を創り出す。
その目的が果たされるなら……たとえ悪魔の誘いであっても構わない。
こうして誠司と凪は道を踏み外した。
親を失いゼロとなった二人は、大人に蹂躙されてマイナスとなり、再びゼロへと戻った。
ゼロの次は白紙……世界を白紙にして、新たに創り直すのみ。
ここまでは、ツルギも知っている一連の流れ。
だがここから先は、ツルギさえ知らない一幕。
白衣の大人が差し伸べた手を取り、誠司と凪は彼らの保護下に行く事を選んだ。
そして施設を後にする直前、誠司は自分に手を差し伸べてきた白衣の男に、ある質問をした。
「あの、貴方はだれなんですか?」
「ん? あぁそういえば、まだ自己紹介をしていなかったね」
服を着替えた二人を車に乗せる前に、大柄な白衣の男は振り返って優しげな笑みを浮かべる。
害意のない大人の表情は、二人にとって初めて見るものであった。
「僕の名前は三神当真。気軽に三神博士とでも呼んでくれれば良いよ」
初めて出会った、信頼できる大人。
だからこそ誠司と凪は決して、この男の事を疑わなかった。




