第二百九話:政と嵐/瓦礫と竜
それは聖徳寺学園で本戦が始まるよりも少し前。
まだ電車の中が通勤通学ラッシュになっているような時間帯まで遡る。
大きなキャリーケースを転がしながら、二人の学生が国際空港のゲートから日本の地へと戻ってきた。
澄ました顔で久しぶりの日本の空気を堪能している政誠司。
その隣には、いつも通りの様子で彼に着いている風祭凪の姿があった。
「ようやく帰国だね。ゆっくりとしたいところだけど、まだ最後の詰めが残っている」
「そうですね。彼女がタネを撒いてくれた筈なので、あとは誠司様のご意思一つです」
「10年か……マイナスから始めて、やっとここまで辿り着いた」
空港ですれ違う人々をなんとなく見つめながら、誠司はさらに遠い光景を思い描く。
社会を生きる人間達はいくらでも視界に映る。
だが誠司には全て等しく剪定前の枝にしか見えない。
「凪、この世界は綺麗だと思うかい?」
「いいえ。ですが今から清浄化される世界なら、いずれ美しくなる筈です」
「そうだね……まずは人々に自分の罪を精算してもらわないと。それでようやく、世界はゼロになる」
伊賀崎ヒトハを利用して散布した微弱なウイルスは十分に拡散した。
評議会補佐の生徒も洗脳、あるいは感染をさせて最大限に活用している。
政誠司が長い時間をかけて準備していた計画は、まさに成熟の時に近付きつつあった。
「おや?」
「貴女は」
だが姦計を巡らす者がいれば、それに気づいて阻止する者も現れる。
空港の出入り口近くに一人の少女が立っている。
灰色の長い髪と赤い目が特徴的なその少女の側には、小さな銀色の竜が浮いている。
九頭竜真波。今この場にいる筈がない評議会の一年生の存在に、誠司と凪は少し驚いている。
「九頭竜。まさか君が出迎えに来てくれるとは……いや、ただの出迎えでは無いのかな?」
「九頭竜真波、何故貴女がここに」
「お二人共、心当たりはあるはずですよ……無いとは言わせない」
静かに、空気を凍てつかせるような怒りを放つ真波。
それを前にしても、誠司は落ち着いたままであった。
「心当たりか。僕はそこまで君に敵意を向けられるような事をした覚えはないけど」
「伊賀崎ヒトハ。この名前に覚えがあるはず」
「……なるほど。化神適性のある君にはタネも仕掛けもお見通しだったという訳か」
やれやれと態とらしく誠司は振る舞う。
あくまで困った後輩に対応する先輩のように、圧倒的な余裕と侮りを隠しもしない。
「なんでウイルスを撒いたのですか。あんなモノを撒いて、何人もの生徒や無関係な人達を巻き込んで! 貴方達は何をしたいんですか!」
「貴女が知る必要のない事です。後の進退はいずれハッキリしますから、貴女はそれを待てば良い」
「人が死にました。無関係な人達を巻き込んで、伊賀崎ヒトハは貴方達に利用されて死にました! なんでそんなにも平然としていられるんですか!」
いつもの真波からは想像もつかない程に、彼女は感情を爆発させて叫ぶ。
藍はヒトハと友達になった。ヒトハは真波や他の皆とも友達になれた。
始まりを歪められさえしなければ、なんて事のない友人関係になれた筈だったのだ。
真波はまるで些末事のように受け止めている誠司と凪に、一人の人間として、【竜帝】という上に立つ者として怒りを覚えている。
「九頭竜。君は素晴らしい結果をもたらした実験動物に、哀れみを感じる性質なのかい?」
「なにを、言って」
「伊賀崎ヒトハが消滅した事については僕も把握している。彼女はとても尊い存在だった。でもおかげで僕達の未来は明るく照らし出されたんだ。大義のために少数の犠牲を出すなんて、ありふれた話だろう?」
それを悪だとは微塵も感じていない。
優しく諭すように甘い笑みを浮かべて、ただ誠司は真波に語りかける。
同時に真波は確信した。
この男は自分の行いを間違いだとは欠片も思っていない。この男はあくまで正しい道進んでいると断じている。
「政帝……貴方は、生命を犠牲にして何も思わないんですか?」
「尊ぶべきは僕達が選んだ生命だけだ」
抵抗なんてない。この男に殺しという行いに対する抵抗は存在しない。
正義という大義名分があれば、どんな事でもできる。
政誠司と風祭凪に人としてのブレーキはない。
既に壊れて怪物と化している。
「なんで……」
「そういう男だから玉座まで上り詰めてしまったんだ。独善的な自分を知っていれば、それを隠すなんて簡単だからな」
真波が誠司の本性に動揺していると、後ろから誰かが現れた。
振り返るとそこには、真波ですら予測できていなかった人物……財前小太郎が立っていた。
「財前くん、今日はランキング戦じゃ」
「途中リタイアだ。自称でも王を名乗る者として、やっておかなくちゃいけない事があってね」
そう言って小太郎は誠司を睨みつける。
だが誠司は落ち着いたまま、むしろ小太郎の存在を嬉しいサプライズのように感じていた。
「1年A組、財前小太郎。補佐の者から色々話は聞いているよ」
「それは光栄だなぁ、天上人にもまともな耳はついていたようで」
「そう怖い顔をしないでくれ。僕は君と友達になりたいと思っているんだよ」
「玉座に座りすぎてボケまで始まったようで」
分かりやすく拒絶をする小太郎だったが、彼の目にはどうにも誠司が不気味に見えた。
誘いを断っても、まるでそれは想定内だといった様子で。
まだ何か手札を隠し持っているような様子でもあった。
小太郎は必ず自分に下るという絶対の自信が、誠司には見え隠れしていた。
「誠司様、いかが致しましょう」
「彼らの目的は見えている。ここでは争うには狭い。場所を変えよう」
戦闘は避けられない。ならば迎え討つまで。
あくまでちょっとしたトラブルに対応するだけと言わんばかりに、誠司は冷静である。
下手に人の多い通路でファイトをするのも憚られる。
それくらいは理解できているので、四人は空港内に併設されているファイトステージへと移動した。
「そういえば、僕達の帰国予定は明日だと伝えてあったはず。よく今日だと気づいたね」
「確かに気になりますね。学園に報告した日時が虚偽であったと気づけても、今日であると知る手段があったとは思えないのですが」
ファイトステージに到着するや、誠司は向かい側に立つ真波と小太郎に向けて疑問を投げかけてみる。
別に待ち伏せされた事に対して何かを感じている訳ではない。
誠司は純粋な疑問であり、凪もそれに同意見であった。
「評議会補佐の戦績に不審な箇所があった。補佐は評議会メンバーが直接勧誘しなければ入会できない。だからその都合、ある程度以上の実力を持つ生徒しか集まらないようになっている」
「僕の見る目がなかったとでも?」
「ランキング戦の第一予選。評議会補佐に加入している生徒が数人敗退している。巧妙に隠そうとはしていたけど、あれは自分から負けに行っていた」
真波は不自然な負け方をした評議会補佐を捕まえて問い詰めた。
だが案の定ウイルス感染をしていた補佐の生徒とファイトをする流れになってしまい、真波は無事に勝利。
その際に真波はシルドラに頼んで、彼らのスマートフォンと召喚器をハッキング。
隠神島でカーバンクルがやったように、存在自体が電子データのプログラムに似ている化神にとって、電子機器のロック解除程度なら簡単にできる。
「メッセージの履歴が残っていた。貴方達が余分に購入したチケットの履歴と共に、学園に嘘の書類を代理提出させる指示を出していた事も、わざと予選敗退をして待機しておくよう指示していたのも全部」
「ふむ、これは僕の指示ミスだね。化神を警戒してちゃんとメッセージの削除も伝えておくべきだったらしい」
「ですがあのメッセージでは私達の帰国日程までは言及していなかったはず」
「そこから先は、ボクの推理」
帰国日程が嘘だと分かった瞬間、真波は誠司達の本当の帰国タイミングについて考えた。
彼らの性格等も考慮した上で、思いつく限りの展開を想像して。
「補佐とあれだけ綿密にやり取りをしていた二人が、学園内の様子を把握してないなんて考えられない。特にウイルス感染者や発症者の様子と、その対戦相手については」
「その通りだね」
「だからボクはまず、二人は帰国を遅らせるというパターンを除外した。特に伊賀崎ヒトハの件もあったから、二人には後回しにするメリットが消失している」
そうなれば残る選択肢は帰国を早めるパターン。
「ボクがメッセージを見た時点で、本来の帰国予定日から4日前。会場が学園じゃない第二予選の日に帰国しても、貴方達が仕込みしてない場所に生徒が集まっていてもメリットが無い」
「……あぁ、その通りだ」
「そして本来の帰国日程は本戦2日目の最中。それが嘘なら、残る帰国日程はただ一つ」
「今日。正解だよ九頭竜」
本戦1日目なら評議会メンバーも来ている。
そしてほとんどの生徒が自由登校になっているので、学園に来ていない生徒の数が増えているこのタイミングを使えば、学園の外にもウイルスを撒きやすくなるだろう。
それが真波の推理した誠司の考え。
同時にパンデミックが起きた瞬間に、誠司は邪魔者を排除するつもりだったのだろうと考えていた。
「という事は、財前は九頭竜から話を聞いて来たのかな?」
「残念ですが不正解ですよ政帝」
軽く笑い飛ばすと、小太郎は誠司に視線を突き刺す。
彼がやって来た事については真波も想定外であった。
真波は誠司達が今日帰国してくる事を仲間にも話していなかったのだ。
「僕もちょっとした推理をしただけ。悪には悪のテンプレートのような考え方が存在する」
そう言う小太郎を、誠司は興味深そうに見ている。
「あれだけ用意周到に仕込みをしてきた人間だ。イレギュラーを想定していない訳がない。さらに敵対勢力を把握しているなら、相手の予定を崩して有利な状況を作り出そうとするなんて簡単に想像がつく」
「随分と実感がこもっているね。なにか心当たりでもあるのかな?」
「こう見えて僕にとって悪は身近なんだ……特に、下らない悪知恵を働かせる輩にはね」
「なるほど、慣れていたわけか。それじゃあ動きを読まれてしまうのも納得できる」
そう言うと誠司はどこか楽しそうに笑みを浮かべてくる。
まるで小太郎をさらに気に入ったような様子であった。
「財前小太郎。君が伊賀崎ヒトハの最期のファイト相手になった事は僕も把握している」
「貴様がその名前を出すな」
「まぁ落ち着きたまえ。僕は君にお土産を用意してあるんだ」
誠司は「早く手渡せそうで、手間が省けたよ」と言いながら凪に指示を出す。
凪は大きなキャリーケースから、布に包まれた縦長の何かを取り出して誠司に手渡した。
それが何なのか見当も付かず、小太郎と真波は訝しげな表情を浮かべる。
「彼女とファイトをしたのなら、人造化神の存在は把握しているね?」
「……あぁ」
「よろしい。あの人造化神は含質量電子プログラムを下敷きにして造られた存在なんだ。それを植え付けたのであれば、含質量電子プログラムは伊賀崎ヒトハの細胞に最適化する形で根を張っていく」
「なにを言いたい」
「分からないかい? 人間というデータを含質量電子プログラムという形で読む込む事ができるんだよ」
そして誠司は布を解いて、中に入っていた縦長のソレを出して見せた。
それは2リットルのペットボトル程の大きさをした、機械のようであった。
ただし中央がガラス張りになっており、中に淡い光が浮かんでいる。
「伊賀崎ヒトハのバックアップデータだ」
「ッ!?」
「人間のバックアップデータ……!?」
あまりにも衝撃的な代物を出されてしまい、小太郎は言葉を失う。
真波は倫理の外に位置するとしか思えない存在を手にする誠司達を前にして、衝撃を受ける他なかった。
含質量電子プログラムを用いた人間のバックアップ。
まるでSF映画のような代物だったが、人造化神の事を思い返せば存在しても違和感はない。小太郎と真波は自然とそう結論付けてしまう。
「勿論このままではただのデータの塊に過ぎない。だから取引だ」
誠司はヒトハのバックアップが入った、巨大な専用メモリを前に差し出す。
「僕と友達になろう。バックアップをインストールする素体は、これからいくらでも手に入る。悪い話ではないはずだ」
「ヒトハの、バックアップ」
「これを使えば、生きたいという彼女の願いも容易に叶えられる。さぁ来るんだ」
数秒、小太郎は誠司が手にするメモリを見つめる。
そして小太郎は静かに、何も言わず誠司の元へと歩み寄って行った。
「財前くん!?」
真波の声を無視して、小太郎は誠司からヒトハのバックアップデータが入っているというメモリを受け取った。
それを見届けた誠司は満足そうに「いい子だ」と言う。
だが小太郎は俯いたまま、手に持ったメモリを数秒見つめると……
「すまない」
そう短く呟くや、大きなメモリをファイトステージの床に叩きつけ、力一杯に踏みつけて破壊した。
中央のガラス張り部分を狙って踏みつけたので、メモリは容易く砕けた。
中にあった淡い光も消滅し、キチンと破壊できた事は誰が見ても明らか。
「なっ!?」
予想外な行動を取ってきた小太郎を前にして、誠司は初めて小さな動揺を見せた。
そして小太郎は即座に誠司の顔を見ることなく、真波のいる方へと戻っていく。
「貴方、なんてことを!」
「正気か財前、これで伊賀崎ヒトハは――」
「死んでいる。僕がトドメを刺した」
元の位置へと戻るや、小太郎は振り返って誠司達の方を睨みつける。
小太郎の思いを察した真波も、覚悟を決めたように二人の帝王に視線を突き刺す。
そこにはもう、後輩の一年生はいない。
片や己の矜持に従い、愛した臣下への弔い合戦を成そうとする瓦礫の王。
片や親友の悲しみを打ち消すために、守るべき者達のために己の誇りを貫こうとする竜の帝王。
「ターゲットロック!」
先に相手を決めたのは小太郎。
挑むは学園最強の政帝、政誠司。
「歯向かうのかい?」
「自称と言えども王は王。誰かの上に立つ者として相応しくない男を玉座から引きずり下ろすのも僕の義務だ」
「君程度の存在から引きずり下ろされる理由、僕にはない」
さも当たり前のように言い放つ誠司。
だが小太郎の感情はさらに火が点いてしまう。
「貴様は罪を犯した」
「僕が、なにを?」
「一つ。評議会に名を連ねる帝王でありながら、守るべき生徒を非道な手段で利用してきた事」
「僕は友達になろうと手を伸ばしただけさ」
「二つ。ヒトハの生命を弄んだ事」
「結果論だ。僕は彼女の願いを叶える手伝いをしたに過ぎない」
決して自分は悪だと認める事はない。
政誠司にとって一連の行いは全てが正義。
なんら恥ず事はなく、堂々と小太郎の言葉に返していく。
「そして三つ。なにより許せないのは……ヒトハに……」
小太郎は手の平に爪が食い込む程、拳を強く握りしめる。
その脳裏に浮かびあがるのは、クイーンに乗っ取られたヒトハがファイト中に発した言葉。
「ヒトハに……死なせてくれと、言わせたことだァァァァァァ!」
魂からの叫び。魂からの怒り。
それらをぶつけられても、政誠司という男の心は何一つ動かない。
それどころか、自分の誘いを拒絶してきた小太郎に対して興味すら失せているようであった。
もはや最初の友好的な顔は消え失せて、誠司の小太郎を見る目は、愚かな罪人を見下ろす独裁者の目であった。
「誠司様、あの男は私が」
「いや、大丈夫だ……アレは僕が直接罰を下す」
だから凪の相手はあっちだ――そう言って誠司は真波の方を指差す。
真波は自分より先に誠司に挑んだ小太郎に驚きつつも、こうなっては凪と戦うしかないと判断していた。
「ふぅ、仕方ありませんね……ターゲットロック」
凪の召喚器が真波の召喚器へと無線接続する。
ファイトステージは広い。二組同時にファイトしても問題はない広さがある。
「貴女はもっと聡明な後輩だと思っていたのですが、見込み違いだったようですね」
「ボクも評議会メンバーとして、竜帝として貴女達を許す事はできない!」
「貴女の許しは必要ありません。私達は世界を正すだけです」
「貴様程度の男に帝王の器がある筈がない」
「それを決めるのは僕だ。下民が王に歯向かう愚かしさを、その身で知るといい」
「そうか……だったらここから先は――」
瞬間、四人の王が口にした言葉は全く同じものであった。
「「「誅罰だ」」」
異なる誇り。異なる未来図。
それを邪魔する悪を斬り捨てるため、二つのファイトが始まった。




