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きまぐれ★プレートテクトニクス 〜太平洋を横断した陸塊「大東島」〜  作者: 扶桑かつみ
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235 Civil_War(2)

●産業革命への道(2)


 17世紀までに戦国時代が終わった大東は、国家、地域として近世に必要なものは一通り揃えていた。

 

 そしてさらに、他の東アジアの国々と比べると、農業の資本集約化が盛んに行われていた。

 これは在地領主制度が古くから続いている影響が大きく、大地主=領主という状況が多くなる。

 在地領主のいない地域では大地主が代わりを担うが、戦国時代までの大地主とは武士予備軍のようなものだった。

 

 大東での戦国時代の原因の一つも、領主(または大地主)と小作人という図式があった。

 しかし大きく改善されることなく近世に入ったため、小規模な自作農の比率は低かった。

 だが大きな土地を持つ地主は、効率的に儲けるために土地に対して人を投入するよりも資本を投入する選択を行う事が多かった。

 

 特に北部では、時代を経るごとに牧畜や複合農業を軸とした大規模農場が多くなり、人を投入するよりも資本を投入する農業が発展した。

 北部の貴族や武士達も、自らかなりの努力を傾けた。


 北部の場合は、イギリス本島と状況が少し似ており、尚かつ北部の新大東州がイギリス本島(大ブリテン島)の二倍以上の面積を持つといえば、全体としての規模が大きかった事も分かるだろう。

 新大東州北部では、100ヘクタール規模の豪農(農業経営者)は珍しくなかった。

 

 そして小作人の増加は社会不安を呼び込みやすいが、当時の大東は人口に対して土地の余裕が大きかった為、不満な者は国内の新たな開拓者となった。

 さらに危険を望まない者には、15世紀から発展が本格化していた「家内制手工業」という労働が副業として与えられた。

 「家内制手工業」はその後発展的に「工場制手工業」へと進み、より多くの労働者を雇用するようになる。

 

 それでも都市に流れる無職者が多かったので、各地の植民地に流刑としたり僻地への自主的移民を誘導したりした。

 特に犯罪者や社会からのはみ出し者は、社会安定のために海外へと「棄民」された。

 また沿岸部住民の一部の男性は、無理矢理海軍に連れて行かれていた。

 

 なお「工場制手工業」の代表が綿織物だが、大東では18世紀中頃に水の力を機械的に利用する水力紡績がほぼ独自に使われるようになっている。

 これはインドから輸入される安価な綿布(伽羅胡=キャラコ)に対向するためだったが、その後は羊の牧畜の広がりに伴って北部では毛織物産業も発展したため、綿織物でのノウハウが活かされることになる。

 この流れは、産業革命にも続いていく。

 

 また海外領土の拡大、海運の拡大と、そして「工場制手工業」の進展に伴って、従来からの大商人、貿易商、高利貸しなどの資本経営者化、企業化が進んでいった。

 大東での株式の仕組みは17世紀中頃に登場したが、18世紀中頃には株で資本を集める形が一般化する。


 特に海外に出る貿易船は、株式や資本投資の仕組みを発展させた。

 そして扱う資本は年々巨大化して、19世紀序盤には高利貸しから発展した近代銀行(=金貨流通が基本の大東では、当初金行とも言った。)が次々に誕生していった。

 銀行の誕生には、貨幣の紙幣化、政府が進めた金本位制度も大きく影響していた。


 こうした動きを政府や貴族達も特に咎めず、それどころか経営者から税金を取ることを目的として奨励すらした。

 なぜなら、貴族達が出資者である事も多く、中には経営者となる貴族もいたからだ。

 今日、大東最大となる五芒財閥の原型が誕生したのも18世紀中頃だった。

 

 (※五芒家はもとは神道の家。※19世紀末に出揃った大東五大財閥は、五芒、中川、神羅、剣菱、倉峰。)


 大東は国外の僻地に「いらない人」を放り出せたように、海外領土は面積の上では非常に広かった。

 しかし大東人が進出した先には、商売相手となる住民(先住民)が少なかった。

 19世紀までの大東商人にとっての商売相手とは、主に東アジア地域の国々だった。


 だが清帝国とは常に国交断絶状態で、朝鮮王国とは交流が無かったので、日本との限定貿易以外だと東南アジアが主力となる。

 また一部の商人はインド洋まで出かけて、インド商人、イスラム商人、そして白人商人の隙間で商売を行った。

 大東のインド貿易が小規模だったのは、大東人にとってインドで必要とする物産がそれほど無かった事が幸いした形だった。

 

 そして基本的に、大東商人の邪魔をする者は少なかった。

 いても一時期のオランダぐらいで、ヨーロッパのように激しい競争に晒されずにすみ、おかげで順調な海外貿易を行うことができた。

 

 また市場という点では、順調に人口拡大が続く国内市場は、世界的に見ても非常に有望な市場だった。

 しかも人口が拡大する事そのものが、市場の拡大と経済の発展を促していた。

 

 そして大東の市場が順調に拡大したように、戦国時代の混乱を経た大東国内及び大東国政府の威光が及ぶ範囲では、国家が認めた自由な商業活動が保障されていた。

 そして海外では、大東商人の活動を海賊などから守る必要十分な軍事力(海軍)もあった。

 


 国内の資源だが、大東島は1億年以上かけて大東洋を西へと移動し続けた為、石油や天然ガスの地層を作り出す事は全く無かった。

 しかし常に陸地が海の上にあり、尚かつ温暖な地域に属している事が多かったため、島の南部に巨大な炭田層が存在した。

 炭田の三分の一ほどは露天掘りが可能だったし、他も浅いところに固まってあった。

 

 石炭は主に中生代に形成され瀝青炭で、採掘埋蔵量は700億トン(※世界第5位・21世紀初頭の年産は5億トン程度)。

 炭素含有量は高い方で硫黄も比較的少なく質も高い。

 

 また島の北部には泥炭層がかなりの規模で存在するが、工業用には向いていない。

 古くから、乾燥させて家の暖房、料理などに使われていた。

 大東ビールと呼ばれる麦酒の醸造にも古くから利用された。

 

 石炭以外だと、新大東州の南端部に中規模の鉄鉱石鉱床があった。

 国内に豊富にある砂鉄も利用可能だが、近代製鉄には不向きのため伝統的手法以外ではあまり考慮されなかった。

 だが国内に錫や銅がないため、15世紀頃から鉄の精錬、加工技術の大きな向上が見られた。

 初期の頃は世界的に青銅で作ることも多かった大砲も、大東では最初から鉄で作るのが一般的だった。

 

 しかしこれでは石炭以外、産業革命に必要な地下天然資源が足りないため、大東国政府は産業革命を進めると決めた時点で、まずは自分たちの勢力圏内の資源調査を広範かつ大規模に実施した。

 

 この結果、各地で地下資源が発見された。

 

 ユーラシア北東端サハ各所に炭田と思われる地層、小規模な鉄鉱石鉱床、錫鉱床を発見した。

 しかし、どれもが極寒の地のため、19世紀前半の技術では採掘も運び出しも非常に困難を伴うと考えられた。

 

 北米大陸へと探しに出かけた一行は、荒須加の西部沿岸の屋古尾で銅、さらに南に下った白姫島で鉄のそれぞれの鉱床を発見した。

 ただし、どれも規模は小規模または中規模程度だった。

 また距離と地形の問題もあった。

 大雪山脈へと足を進めた探索隊は、当初はあまり大きな成果を挙げなかった。

 だが19世紀後半になると、各地で銅や亜鉛、鉛、さらに金や銀など豊富な鉱産資源を発見する事になる。

 

 別の一行は、スンダ地域の自分たちのテリトリー内にある未踏のジャングルへと足を踏み入れた。

 だが、大東の勢力圏の島々に、有望な資源は見つからなかった。


 しかし、この地域では生ゴム栽培が可能なため、後に広く栽培されるようになる。

 またこれら南方の地域では、既にサトウキビの資本主義的農場が数多く切り開かれていた。

 香辛料も、これらの地域で商業栽培された。

 

 19世紀前半においては、海外で最大の地下資源が見つかったのは豊水大陸だった。

 

 良質の石炭と鉄は、初期の調査でも恐らくは無尽蔵に存在すると考えられた。

 しかも採掘も比較的容易かった。

 それ以外の地下資源も量は限られているものもあったが、銅、錫、鉛、亜鉛、水銀など産業革命に必要なものの多くが順次発見されていった。

 

 銅や鉛の一部は、近在の西日本列島からも輸入されることになった。

 

 しかし海外の地下資源は、本国に運ぶコストが折り合わない場合がまだ多かった。

 何しろ19世紀半ば以降になるまで帆船で運ばなければならないため、効率が悪くコストもかさんだ。

 このため、出来る限り国内資源でまかなわなければならなかった。

 

 

挿絵(By みてみん)


fig.01 大東島の主な地下資源


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