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きまぐれ★プレートテクトニクス 〜太平洋を横断した陸塊「大東島」〜  作者: 扶桑かつみ
第三章 ノーマル ルート 及び 引きこもりルート

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204 ファイト、国内国家たち(4)

■金鉱の発見


 1504年、大東島北部の凍陰地方の野馬山地東部において、大規模な金脈が発見された。

 西日本列島は火山が多く、自然の濃縮作用によって金脈も豊富にあったが、東日本列島ではこれまで大規模な金鉱はないものと考えられていたから、この報は驚きと共に受け止められた。

 しかし地球は数十億年間地表での運動を続けていたのだから、どこかの時期で濃縮されたものなのだろうというのが現代の評価となっている。

 

 しかし当時は非常に大きな驚きを持って迎えられた。

 何しろ現地の牧村勲爵領は、領土面積だけは関東地方より大きいが、トナカイ放牧が経済の主役でしかない寒村に過ぎず、人口も1万程度であった。


 15世紀末、首都から商都となった大坂を中心に手広く商売を行う尼子氏の”尼子屋”が牧村勲爵領の城下町に進出、金物屋を営みはじめた。

 1503年、尼子屋は経営難に陥り、窮余の一策として、大金鉱が牧村領で見つかったと喧伝した。

 鉱業は金物屋の上得意の産業分野である。

 

 尼子屋は、日本の堺で新興豪商として台頭しつつあった今井氏の”納屋”に融資を依頼した。

 金鉱関連の金物需要で商売は右肩上がりになるとの予想を声高に広げる尼子屋は、嘘をついてでも回転資金が欲しかったのだ。

 

 予想外だったのは、尼子屋の嘘が嘘でなくなったことだった。

 尼子屋が流した噂にコロッと騙されて、選鉱なべを背負い現れた山師の一団が、野馬川の川原で大量の砂金を発見した。

 この知らせが、大東中に知れ渡るのに半月とかからなかった。

 

 今井納屋の主人は尼子屋の流してくれた情報に従い、大東の金産業のリーディンカンパニーになるチャンスをつかもうと試みた。

 日本中の金鉱で戦国大名が探鉱技術者を”保護”しているために人材探しに苦労したが、際どいヘッドハンティングで技術者を確保し、牧村領に送りこんだ。

 

 1年後には、牧村勲爵領には6~7万人もの山師が日本、大東を問わずに殺到していた。さらに一攫千金を求めた者達、そうした者を相手に商売をする者達が押し寄せた。

 発見された金が、今まで日本人、大東人が触れたこともないほど巨大な規模だったからだ。

 

 誰も気付かぬうちに、牧村氏の城下町は、それまでの”滑矢”から”金城”と改名していた。

 大型船の発着のために接岸埠頭の建設がはじまった。

 港が冬季には流氷に覆われるため、現地で不足する保存食の貯蔵倉庫も現れた。


 盗賊や海賊から身を守るため、今までは必要すらなかった強固な城壁や沿岸要塞が作られた。

 街も発展し、宿、酒場、売春宿を中心とした大都市が形成された。


 寒冷な気候をしのぐために、茶茂呂産の石炭が燃料として大量に持ち込まれた。

 森林資源が不足する大東特有の事情から、石炭の方が価格面で優位であったからだ。

 

 精錬には石見銀山で用いられていた灰吹法が導入され、金城には石炭を熱源とした鉛溶融炉が多数設置された。

 鉛の微粒子を含んだ煤煙に霞む金城には、多くの無宿人が臨時労働者として流入した。

 

 1520年頃には大東、日本連合の豪商達が採鉱権を獲得し、多くの山師や一般採掘者は牧村領を去った。

 しかし金城は繁栄を続け、凍陰最大の都市となる。

 こうして、金鉱発見を契機に凍陰の人口は3倍に増加したのだった(それでも地域全体で20万人しかいないのだが)。

 

 なお、野馬金山などで見つかった黄金(Au)の総量は、トン換算で約1400トン。

 ヨーロッパで一般的なフローリン金貨(黄金約3.53g)に換算すると約4億枚分にもなる。

 

 このうち約400トンが砂金で、ゴールドラッシュとなった初期の採掘で根こそぎ採取された。

 この量がいかに巨大かは、日本列島で有名な佐渡金山の総採掘量が80トンだったという数字を示せば少しは分かるだろう。

 また金銀の重さでの交換比率が10~15倍という数字でも、規模の大きさが分かるだろう。

 

 そしてその後豪商による金鉱採掘に移行するが、良質で巨大な金鉱は無尽蔵に金を吐き出し続けた。さらに近隣の大鹿山地での別の巨大金鉱の発見もあって、向こう100年間の間に平均して年産10トンを記録し続けた。

 大東は、いちやく「黄金の国」となったのだ。

 この巨大な金が、大東経済さらには時代そのものに与えた影響は非常に大きかった。

 

 大東では、それまで通貨の流通が遅れていた。

 基本的に開拓国家だったためと、自力での鉱山(金銀銅)がなかったためだ。

 しかし巨大金鉱発見で全てが覆り、大東全域で一気に貨幣の流通が進み、経済的な発展も加速度的に速度を増した。


 海外との商取引にも大東の黄金が用いられ、非常に純度が高いため国際信用度も高かった。

 さらに黄金と交換で銀、銅が大量に輸入され、金貨、銀貨、銅貨による大東国での貨幣経済が短期間のうちに完成を見ることになる。

 

 なお、大東金貨の片方の面は剣歯猫が意匠化されていたため、「金虎貨きんこか」と呼ばれる事もあった。

 一方では、日本人社会の中に金が溢れすぎたため、相対的に金の価値が下落するという減少も起きた。

 

 そしてさらに、この巨大金鉱が枯渇し始めることで、自らの経済を支える為に近隣地域の海外進出にも手が付けられるようになる。

 さらにわずか一世紀で巨大金鉱が枯渇の危機に瀕したのは、17世紀後半に大東を巨大な戦乱が襲ったからだった。



挿絵(By みてみん)


fig.1 資源所在地

 

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