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きまぐれ★プレートテクトニクス 〜太平洋を横断した陸塊「大東島」〜  作者: 扶桑かつみ
引きこもりルート

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333 イデオロギー・エイジ(7)

 ■1930年代の日本(2)


 この日本発展の流れは、多少規模が違うが開拓国家のアメリカ、ロシア(ソ連)に強く見られる傾向だった。

 ただし日本の場合は、人口規模は申し分ないが開発できる土地が不足していた。

 このため多くが中途半端だった。

 

 それでも鉄道総延長は、植民地を含めると10万キロメートルに達した。船舶保有量は、アメリカよりも若干多い世界第二位の1200万トンを越えていた。

 平坦な大東島は特に鉄道網が張り巡らされ、西日本列島と大東の間には無数の船舶が行き交っていた。

 

 船舶保有量は、1920年代はアメリカに追い抜かれていたが、1930年代の日本政府の指導もあって、1939年にアメリカを越えて世界第二位に返り咲いている。

 さらに、日本は本土と言われる二つの地域だけでも、海で隔てられた上にかなりの距離がある。

 船で行くには時間もかかり、日本国内の二つの主要地域を効率重視で高速で結ぶため、船舶以上に航空機の発達も非常に早かった。

 

 1920年代から、日本の空を行き交う郵便機は日本では一般的な姿だった。

 さらに満州国建国で、発展に拍車がかかっていた。

 1930年代に入ってからは、大型の旅客機が次々に就役して人々を運ぶようになった。

 おかげで航空産業の発展も急速で大規模なものとなった。


 そうした日本の二つの地域の隔たりだが、交通網よりも苦労があったのが海の底の電信網、つまり海底ケーブルだった。

 何しろ日本海溝などが連なり、よほど迂回しない限り開口が横たわっていた。


 海底ケーブルは19世紀半ばにイギリスなど列強が勢力的に敷いた。日本は統合して以後で、日本の外郭地と結んでいった。

 世界の電信網には、イギリスと協力することで20世紀初頭には結ばれたが、日本の二つの地域は大きく迂回する形となってしまう。

 それがようやく解消されたのが、技術も向上したこの時期だった。


 一方、日本に地下資源が足りないと言われることが多いが、最も足りていないのは、この時代には近代国家に不可欠とされた石油とされていた。

 その石油も、小規模ながら北樺太油田があるので、まったく無いわけではなかった。

 

 この頃日本は、民間はかなりを石炭で賄っていたが、それでも軍と民間を合わせて1800万キロリットル程度(=1500万トン)の石油を消費するようになっていた。

 主な理由は、日本国内でモータリゼーション(自動車)が起こり始め、さらに大量の船舶を保有していたからだった。

 軍での使用は、比率で言うと3分の1程度だ。

 

 しかも急速に増加傾向で、これに軍用燃料の増加が国家としての消費量を大幅に拡大しつつあった。

 1940年には2500万キロリットルに増加している。

 これに対して、国内での石油生産量(産出量)は最大で300万キロリットル程度だったので、多くを輸入に頼っていた。

 

 このため海軍は、有事(戦時)に備えて国内各所に石油の備蓄基地を作っていたが、備蓄自体は1941年の時点で1000万キロリットル(800万トン)と心許なかった。

 故にドイツで発明された人造石油(※石炭から科学合成でガソリンを得る技術)の技術特許を取得し、有事の際に生産する体制の構築を急いでいた。


 しかし、朗報もあった。

 1932年秋、新たに手に入れた満州北部で、大規模な油田が発見されたのだ。

 しかし同油田は、当時としては深い深度に油層があるため採掘コストが高かった。

 さらに試掘してみると、ナフサ、揮発油ガソリン、軽油という上質の精製物が採れる比率が少ない、石油としての質がかなり悪いものだった。

 

 それでも自分たちの勢力圏内であり本国からも近いことから、早くも1933年には大規模な開発が開始される。

 連動して、開発された油田に対応した能力を備えた大規模な精油所の建設も行われた。

 だが開発は当初極秘とされ、1935年には一部で商業採掘が開始されるも、しばらく諸外国が詳細を知ることは無かった。

 

 当時満州は、日本の手で異常なほどの投資が行われ、膨大な量の物資と人が流れ込んでいたので、日本はこの中に石油開発の予算、資材、人材を紛れ込ませていた。

 諸外国が日本の行動に本格的に不信感を持ったのは、1937年頃からだった。

 

 日本の製鉄所が、どう考えても石油採掘に使う鋼材を大量に生産している統計数字から露見した。

 また、さらに詳細に調査してみると、大量のタンカーが発注されていた。精油所も、大規模な施設の建設が日本各地で行われていた。

 

 そして決定的だったのは、諜報員が持ち帰った満州鉄道を走る100両編成のタンク車の車列だった。

 全てが満州内陸部での大油田存在を伝えていた。

 それに、日本の石油輸入は本来なら増えるところが、年々減ってもいた。

 

 この事を日本に問いただしても、多くは北樺太油田の開発促進だという答えしか返さなかった。

 満州内陸部についても、ごく小規模の油田開発が行われているとしか返答しなかった。

 

 だが、北満州油田の開発は、異常な速度で進められている事は間違いなかった。

 膨大な予算、資材、人員を投入することで、1940年には年産2000万トン以上の商業採掘が行われるようになっていた。

 

 この結果日本は、1940年には揮発油ガソリン、軽油、ナフサ以外、ほぼ自給できるまでになった。

 低質の重油など、1938年頃から輸出に回すほどだった。

 日本各地の道路舗装にも、屑油を利用したアスファルト舗装が俄に増えだした。

 

 しかもガソリンなどは、採算度外視すれば人造石油で賄うことが可能なだけの精製施設の建設が進んでいた。

 風雲急を告げる頃には、アメリカ、イギリスが日本を追いつめる最有力の手段と考えていた石油を、外交カードとしてほとんど使えなくなっていた。

 

 一方では、国内(+勢力圏内)には石炭が大量に輸出できるほどあったし、鉄鉱石も20世紀前半の製鉄規模なら十分以上の埋蔵量が国内にあった。

 その上、満州でかなりの補完も出来た。

 

 ボーキサイト、ニッケル、錫、亜鉛、原料綿など足りない資源も多かったが、全く無いわけではなかった。

 状況は、ヨーロッパで孤立が進むドイツ、イタリアよりも随分とマシだった。

 

 しかし、それでも資源輸入国であり、様々な資源を大量に輸入していた。

 海で囲まれた国なのに、産業用の工業塩を大量に輸入していたりもした。

 

 1930年代前半までは、粗鋼生産能力の低さから屑鉄やアルミニウム原料のボーキサイトもかなりの量を輸入している。

 そうした資源地帯を持つアメリカ、イギリス、特にイギリスとの関係は、絶ちたくても絶てないのが当時の日本だった。

 

 そして日本が中華市場を求め満州を牛耳った事から、日本は地下資源を持たない貧しい国というのが、この当時の国際的な一般評価だった。

 総人口が2億人に達することも、欧米一般にはほとんど知られていなかった。


 当然ながら、人口に裏打ちされた相応のGDPを持つことも知られていなかった。

 欧米諸国で日本の国力をほぼ正確に知っていたのは、英国の中枢部くらいだと言われた。

 

 ちなみに、1936年の日本の国家予算は一般会計で45億円(※1ドル1.7円程度に下落。)で、うち軍事費は12億円を少し超える程度だった。

(※神の視点より:史実は1ドル=3円台半ば。予算規模は史実の約4倍)


 軍事費は、金額はともかく予算全体での比率で言えば25%程度だった。

 他の列強と比べるとアメリカ、イギリスを除けばむしろ低い程だった(※既にドイツ、イタリア、ソ連が非常に大きな数字になっている。)。

 しかも1920年代は15%程度を推移していたのだから、日本がいかに軍事費を使わない軍国主義国家だったかが分かるだろう。

 

 日本は、地道な国内開発と産業振興にひたすら国家予算を続けた国家だったのだ。

 ただし、満州事変頃から軍事費は上昇し、一種の積極財政と公共投資的側面で赤字国債をかなりの額発行したので、1930年代の国家予算の状況はあまり好ましいとは言えなかった。



挿絵(By みてみん)


1930年代の日本と周辺部




 ▪️神の視点より


 史実日本の軍事費は、国家予算の20%後半から30%台を推移して、満州事変以後は40%以上が当たり前のようになった。

 さらに支那事変以後は、事実上の戦時国債を積み上げた上で60%以上になっている。

 

 対してこの世界の日本帝国は、国家予算規模は史実の約4倍で一人当たり所得も向上しているため、額面通りの倍率の予算が兵器に化けるわけではない。

 1人当たり所得は史実日本より30~40%ほど高い想定なので、製造単価を含めて人件費にその分取られている計算になる。

 

 なお、史実での1936年の国家予算は約23億円。軍事費は約11億円。

 しかしこの世界の円の価値は、最初に作った日本での金本位制の関係で史実の二倍になるので、数字では4倍近い差となる。

 

(※史実は1ドル=2円で開始。この世界は1ドル=1円。さらに1930年代は史実だと1ドル=3.3円、この世界だと1.6円~1.7円を想定。)


 軍隊や兵器の数は、予算的には生産コストを差を含めても実質3倍程度を揃えられる計算になる。

 そして軍の規模が4倍ではない分だけ質が向上する。

 

 平時では、史実の五割り増しの規模の軍隊を実質3倍の予算規模で養っているので、基本的には陸海軍共に近代化や重武装化、機械化が進んでいる。

 陸軍も、欧米一般先進国並の質と装備を有している事になる。海軍については、当時の世界で最も贅沢な環境と言うことになる。

 1936年でも、史実日本の約二倍の軍事費を使っている計算になる。

 

 そして1920年代は、国際協調や外交の問題から投じてよい軍事費が限られているので、史実のように軍事費で無理をせずその余力を延々と国力増強に投じているという結果になっている。

 これが史実の三倍の人口を抱える国家であるにも関わらず、GDPの継続的な向上へと結びついている。

 

 このため大東島などを持つ日本帝国は、史実の三倍の総人口と丼勘定で四倍の国力という数字が出てくる。

 無論、これより小さな数字や、規模が大きくなったが故に発展が停滞する可能性もある。

 逆に、数字を都合良くいじって、超大国にする事もできなくもない。

 

 なお今回の想定では、日本列島だけだと史実の140%程度の国力となるので、絶対数の比較だと火葬戦記のお約束ともいえる極端な国力増強が行われているわけではない。


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