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60 公爵と魔術師の最後・前哨戦2

長い事、更新せずに申し訳ありません。書籍作業をしておりました。

再開させていただきます。よろしくお願いいたします。

   ~今までのあらすじ~

 平民のリズは聖女の素質を認められ、神殿へ。そこで前世の恋人である王太子のキーファと出会う。

 なんやかんやあって前世の誤解もとけ、リズは順調に聖女選定を勝ち進む。最終選定の課題は「自分の扉を見つける事」だが見つけられず焦る。

 そんな折、前世からの因縁の相手であるアイグナー公爵と、その仲間の魔術師、そしてエミリアがリズに襲いかかる。キーファと協力し、エミリアを撃破したリズは、現聖女にすり替わった魔術師を倒すべく第一神殿へ。

 リズの「扉」でもある、本当の姿を映し出す鏡を手に入れたが、そこに魔術師が現れて――。

 偽の聖女が両手で顔をおおい、うめき声をあげながらもだえている。

 白いローブに隠れた肩や腕も溶けて、本来の姿に戻ったのだろう。現聖女のものより盛りあがった肩が小刻みに震えている。


(……?)


 こんな時にと自分でも思うが、リズは違和感を覚えた。

 何か違う。何かおかしい。やわらかい羽で心の中をなでられるように落ち着かない。


 そして思った。

 偽の聖女はどうして、自分でこの鏡を壊さなかったのだろう? 

 わざわざオリビアを脅して、リズたちをこの鏡のところへ連れてこなくても、自分で壊すか、もしくは隠せばいいだけの話だ。自分にとって都合の悪いものであるとわかっているなら、なおさら。


 それにキーファたちはどうしたのだ? 偽の聖女はここにいる。王宮に引き付けておくと言っていたのだから、偽の聖女が王宮にいないとなれば、その事をリズたちに伝えてくるはずだ。


 嫌な予感がした。


 偽の聖女の、両手の間からかすかにのぞく顔が溶けていく。現れた肌は、現聖女のものより日に焼けて黒い。耳も、首も。


(……見覚えがある気がする)


 そんなはずない。リズは六十年前に現聖女に敗れた候補者の顔なんて知らないのだから。それなのに――。


 ピキ……と小枝を踏んだような乾いた音がした。リズははじかれたように視線を向けた。

 オリビアが持つ手鏡だ。光を放つ鏡面の上部に、小さなひびが入っている。リズが目を見張っている間にも、亀裂が鏡の中心部に向けてどんどんと伸びていった。


 瞬間、体を射貫かれたような衝撃を受けた。

 わかったのだ。なぜ偽の聖女が自分で鏡を壊さなかったのか。なぜキーファたちから何も連絡がないのか。

 そして今、目の前で、姿を変え始めているこの偽の聖女の正体は――。


 リズは思いきり叫んだ。


「オリビア、鏡を下ろして! その人は違う!」


「え……?」と、オリビアが驚いた顔で振り向く。


 偽の聖女が絶叫した。糸が切れた人形のように、床に倒れこむ。顔をおおっていた両手が解かれ、固く目を閉じた顔があらわになった。


 その姿に、現聖女の面影はない。すっかり本来の姿に戻っている。その姿を見たオリビアが悲鳴をあげた。背後でロイドも青ざめた。


 ローブに隠れてはいるが、がっちりとした体躯。黒い短髪に、四角く角ばった顔。意志の強そうな太い眉。

 偽の聖女だった人物の正体は、六十年前の候補者どころか女性ですらない。彼は――。


「ハデスさん……?」


 ロイドが呆然とつぶやいた。


「嘘だろう。何で……」

「おそらく偽の聖女のしわざです。私たちをだますために、ハデスさんの顔と体を現聖女様と自分そっくりに変えたんです。本物の偽の聖女は、王宮でキーファの治療をしているんでしょう」


 リズはかすれた声で答えた。


 おそらく偽の聖女から、『自分の言う事を聞けば、神官長にしてやる』とでも言われたのだろう。オリビアと違い、ハデスはその提案を受け入れたのだ。


 オリビアが、はじかれたように顔を向けてきた。


「私たちを神殿に引き留めておくために、こんな事をしたの? キーファ殿下の治療を邪魔されないために」


 違う。リズはゆっくりと首を左右に振り、オリビアからそっと鏡を受け取った。

 鏡を両手で持つ。細心の注意を払って。


(もっと早く気づくべきだった――)


 (ぬぐ)っても(ぬぐ)いきれないほどの後悔が押し寄せてきた。


 あっという間に、リズの持つ鏡の上部から始まった亀裂が伸びていった。ピキピキと乾いた音をたてて鏡が割れていく。まるで役目を果たし終えたように。


(お願い、止まって。お願い! これ以上、割れないで……!)


 心の中で強く願うが、無残にも亀裂は止まらない。


「リズ、まさかその鏡……!?」


 ハデスに駆け寄っていたロイドが、大きく目を見開いたその瞬間――。


 手鏡の鏡面が音をたてて割れた。リズの手の中ではじけ飛んだ破片が、床に散乱する。


「嘘……。どうして!?」


 オリビアが悲鳴のような叫び声をあげた。

 リズは震える手で、縁だけになった鏡を拾った。そのまま胸に強く押し付けた。体中から力が抜けていく気がする。必死に踏ん張ろうとするものの、足に力が入らない。どうして、もっと早く気づかなかったんだろう。狂おしい程の後悔が襲ってきた。


 この、本来の姿を映し出す鏡は一回きりしか使えないのだ。

 一回使うと魔力を失い、壊れてしまう。


 偽の聖女はそれを知っていた。だからハデスを自分そっくりにし、リズたちにこの鏡を使わせた。そうすれば鏡は割れる。偽の聖女の正体を暴くものは、もうない。


(気づくのが遅かった……)


 二度目に捕まった時点で、リズたちの魂胆は見抜かれていたのだ。


(……まるで自分自身みたい)


 無残に砕けた鏡が。

 リズの「扉」はなくなった。次期聖女になる道は潰えた――。


「嘘でしょう? リズの扉が、鏡が……。私のせいだわ。私がこの鏡をかざしたから……!」


 オリビアが蒼白な顔で、よろめいた。


「オリビアのせいじゃないよ。私が頼んだんだから。偽の聖女の方が一枚上手だった」

「どうするんだ? 扉がなかったら、次期聖女には……」


 ロイドがさすがに声を失っている。


「ハデス様が!」


 オリビアの叫び声に、我に返った。床に横たわるハデスの肌が土気色になっていた。急いで抱き起こすと、すでに虫の息だ。


「ハデスさん!」


 ロイドが必死に呼びかけるが、ハデスは目を開けない。体もぴくりとも動かない。息はあるのにまるで人形のようだ。

 ハデスの右の中指、その指先がふいに崩れた。ギョッとした。水で湿らせた砂の固まりが、ボロっと崩れ落ちた。そんな感じだ。そしてその個所から次々と、本当に砂になり、中指が、続いて他の指がさらさらと崩れていった。


「いや! どうなってるの!?」


 オリビアが悲鳴をあげた。ハデスの両手が、顔が、次々と細かく砕け始め砂粒になっていく。

 リズもロイドも声もない。できるすべもない。


 ハデスの体が砂になり、厚みのなくなったローブのすそから黒い魔石が転がり出た。先ほどリズたちがこの部屋に入ってきた時の黒い光は、このせいだったのだ。偽の聖女がハデスに使わせたのだろう。


 ロイドが、ハデスの体だった砂粒の横に膝をついた。片手で額を押さえて、悲痛な声をもらした。


「声まで現聖女様と同じだった。顔も体も禁術で変えて、おまけにこんな魔石まで使ったら、どうなるかくらいわかっただろう……!」


 わかっていても、自分の欲の方が勝ったのだろう。それでも――。

 ロイドが食いしばった歯の間から言葉を出すようにうめいた。


「確かにハデスさんは性格悪いし、嫌味っぽいし、ひがんでばかりいるし、性格もクソだけど」


 リズはうなずいた。その通りだ。


「でも死ぬほどじゃない。こんな事されるほどじゃないだろ……!」


 その通りだ。


 ロイドが震える手で、砂粒になったハデスの体に手を伸ばす。その瞬間、さらさらと風に吹かれるように、砂粒が空中に溶けて飛散していった。


 後には何も残らなかった。ハデスが着ていた白いローブと靴が、そのままの形で残るのみだ。


「ハデスさん……」


 ロイドがかすれた声でつぶやく。その瞬間、残ったローブの胸元から黒く丸い光が浮かび上がった。親指の先くらいの大きさだ。頼りなさそうに浮かぶそれは、まるでハデスの最後の思いのような、この世に必死につなぎ止めた最後の執念のように見えた。


 ロイドがそっとつかもうとするも、怯えたように逃げていく。そしてまた、ふわふわと頼りなげに浮かぶ。行き場がないのだ。


 ロイドとオリビアが悲しそうに顔をゆがめる前で、リズは素早く手を出し、躊躇なくハデスの光の玉をつかんだ。

 ロイドたちの顔が、今度はギョッとしたようにゆがむ。

 リズは気にせず、自分の手の中で何とか逃げようと動き回る光の玉を見つめた。そして目を閉じた。


 リズの全身が白い光に包まれていく。清らかな純白の光に。


「リズ……」


 オリビアが息を呑んだ。


 ハデスには嫌味を言われた。ロイドの言う通り性格はクソだし、欲に負けたのも自業自得だ。

 でも、こんな目に遭ういわれもない。こんな捨て駒のように、理不尽に命を落とすいわれはない。


 まるで前世の自分たちと同じだ。執事の思う通りに振り回され、駒のように扱われた。

 もうあんな事は二度とごめんだ。自分も、そして他の誰もあんな理不尽な思いをしなくていいような、そんな世の中になればいいと思った。だから聖女になりたいと願ったのだ。


 今の自分には何もできない。けれど――。

 リズは祈った。心の底から。


 リズの手の中の黒い光の玉が、大きく震えた。そしてリズを取り巻く柔らかな白い光と合わさり、輝きながら溶けていく。

 砂粒になって無残に飛散した体とは違い、またたくように光りながら、納得したように消えていった。


 ロイドとオリビアと聖竜と、そして目覚めて頭をブルンブルンと左右に振り終わったペンギンとが、声もなくリズを見つめている。


 リズは目を開けた。視線を向けると、ロイドとオリビアがたじろいだように一歩下がった。


 リズの扉である鏡は割れて砕け散った。でも、まだだ。まだ、やる事がある。

 公爵のした事と、偽の聖女の正体を暴かなくてはならない。キーファが待っている。だが、本当の姿を映し出す鏡はもうない。偽の聖女が自分の正体を暴かれないために、ハデスに使わせて壊れてしまった。


(考えるんだ。何か、何か他に方法があるはず……)


 リズは鏡を見た。鏡面はほとんどないが、周囲の楕円形の枠の縁には、まだ鏡面の残骸がちらほらと残っている。

 そこが、きらりと光った。何かを訴えるように。リズの頭の片隅で何かが光った。


(――もしかして)


 リズは割れた手鏡を片手に、ぐるぐるとその場を回り始めた。


「ねえ、大丈夫……?」


 ショックで変な行動に走ったと思ったのか、オリビアの顔がこわばっている。

 リズは気にせず、手鏡を手に回り続けた。


(やっぱり、そうだ)


 鏡面の残った残骸部分が、四方の壁に反射した時だけきらめくのだ。光の強さが違う。かすかなものだけれど、リズにはわかった。


「シロ、壁の表面だけ壊せる?」


 聖竜が壁に向かって白い炎を吐いた。頼んだとおりの弱い火力で。

 壁の表面が音をたてて崩れ落ちる。壁の内側からあらわれたものを見て、オリビアが驚きの声をあげた。


「さすが現聖女様」と、ロイドも感嘆したように小さく笑った。


 リズは顔を上げた。いい加減やり過ぎだ、あの偽の聖女は。


 赤い目が強い輝きを放つ。

 リズは前を見すえて言った。


「行きましょう。キーファのところへ」


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